本当の正面から
鐘楼
マリア像
ステンドグラス外観
墓地遠望
結局携帯での投稿は上手く行かないらしい。
帰ってから書き換えるとしよう。
この島は江戸末期まで無人島だったが、
安政六年(1859)に迫害を逃れて、
鯛の浦地区から逃げて来た信者達が住み着いた由。
設計施工はあの鉄川与助だ。
1910年に工事を開始、1917に竣工。
珍しい石造りだが、石の切り出しに信者達も参加したらしい。
少人数で資金を捻出したんだから大変だったろう。
内部は質素ながら落ち着いた雰囲気で、机は八卓が二列だった。
天井は船底型で窓は入り口側から青、赤、緑の三列。
教会正面
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/fa/1ec5acbdae3d387a65f82ef44cb1940a.jpg)
下る途中からの遠景
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/c4/ca1fffe5440bd73a97ea161bd4d06b1d.jpg)
入り口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/86/72731bf3ea900821c84d4ca7e036cf25.jpg)
サイド
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ee/cffc0f80b0cae814f4decc60df98afd5.jpg)
バック
上五島高校前を8時前に歩きだし、頭ヶ島教会に2時に着いた。
途中、「龍馬ゆかりの広場」でお昼を食べて、
丁度来たバスで頭ヶ島分岐に戻った。
友住港から少しで頭ヶ島大橋だったが、
それからが上りでもあり少々辛かった。
今は定期の運航の無い「上五島空港」を見に行ったが、
保守管理はやっているみたいだった。
せっかく大金をはたいて造った空港だもんなあ。
廃墟ツアーの対象にするのは勿体無い。
教会へは結構下らなきゃならないが、
途中でアケビみたいな実を採っているオジンに出くわした。
アケビを採っているのかと聞いたら「ウベ」を採っている由。
どんな味がするのかと聞いたら一つ投げてくれた。
割ってみたら黒い種の周りを黄色いゼリー状の物が埋めていた。
このゼリーと種を一緒に口に入れて種を吐き出す訳だ。
それが結構甘くて旨いんだよ。
道路の端に結構落ちていたが、カラスが食った後らしい。
奴らは何でも食うし、旨いものは逃さないだろう。
しかしだなあ、甘いのをカラスも旨いと感じるんだろうか?
俺たちには甘いと感じても奴らがどんな感じなのかは
分っていないんじゃなかろうか?
この「ウベ」は別名「ムベ」とも言って、「むべなるかな」の語源らしい。
奈良や平安の昔は砂糖など無かったから、貴重な甘味料だったんだ。