福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

光のプレミアムボート🛥 Part3 天神橋へ向かう 剣先放水に出会う‼️

2016-12-15 14:02:52 | ★気儘にぶらりシャッター📷思い出‼️
光の水都ルネッサンスボートは進む
難波橋をくぐると
天神橋
大川に架かる天神橋筋の橋
1594年(文禄3年)の架橋とされ、当初は、大阪天満宮が管理していたが、1634年(寛永11年)他の主要橋とともに幕府が管理する公儀橋となった。明治初期までは木造の橋だった。

難波橋をくぐり、堂島川を上る

天神橋


右の方・・・中之島剣先公園と言うらしい。尖った島の部分を剣先と呼ばれ
放水がされている。 ・・・剣先の噴水・・・安藤忠雄氏の構想

剣先の噴水の高さ 約 20m. 到達距離 約60m

良いタイミングだ
中之島の東端で、大川が分岐する土佐堀川を下る

右に
天神橋がバックに

おや、放水は終了ですね〜どうも、30分間隔らしい

土佐堀川
天神橋をくぐる

土佐堀川の難波橋へ







正面の高いビル
フェスティバルタワー

少し先で引き返す。
寒かったが、なかなか日頃見る事の出来ないチャンス。
船からの眺めは陸上では味わえないものです。

*天神橋は、明治初期までは木造だった。1885年(明治18年)淀川の大洪水で流失。1888年、ドイツ製の部材を主に用い鋼製のトラスト橋として架け替えられた。1934年(昭和9年)松屋町筋の拡幅に合わせて、ほぼ、現在の形である全長219.7mの3連アーチ橋となった。
天神橋南詰には、天神橋交差点があり、ここより北を天神橋筋、南を松屋町筋という。

余談

明治15年ごろに中之島
東端はまだ埋めてられていない。

中之島は、江戸時代の蔵屋敷・・色々秘密があるゾーンの感じですね〜

光のプレミアムボート 🛥 難波橋へ向かう Part2

2016-12-15 13:19:54 | ★気儘にぶらりシャッター📷思い出‼️
鉾流橋をくぐり抜けると
難波橋へ向かう
大阪弁では、『ナンニャバシ』と発言
北浜〜西天満の堺筋に架かる橋である
鉾流橋をくぐると、難波橋へ

阪神高速の橋桁もライトアップ


こんな角度から、難波橋を見る事は出来ない




小さく天神橋が見える
阪神高速道路の橋脚もライトアップ



お月さん こんばんわ・・・


天神橋へ向けて進む

風は冷たい
無心にシャッターを押す
今日は、広角オンリー(15-30mm)


難波橋(なにわばし):全長 189.7m. 大川に架かると言っても、川は分岐して
中之島を挟んで、土佐堀川と堂島川の2つの川を渡る。

●歴史・・・最初の橋は、元を辿ると704年ごろ行基によって架けられたと云われる。天神橋、天満橋、とともに浪華三大橋と称された。
1661年(寛文元年)天神橋とともに幕府が管轄する公儀橋とされた。

*1766年 山崎の鼻と呼ばれる中之島東端の辺りが難波橋近くまで埋め立て造成され、難波橋からの眺めは絶景と云われた。1876年に鉄橋に架け替えされたが、この時に中之島が上流へ拡張された為、以降の難波橋は中之島を跨ぐ形となった。

橋の南詰めと北詰めに獅子像があり、ライオン橋と呼ばれている。









光のプレミアムボート🛥 大阪・光の饗宴2016 Part 1 流石、水の都です‼️

2016-12-15 12:30:15 | ★気儘にぶらりシャッター📷思い出‼️
2016.12.14から
大阪・光の饗宴2016 スタート
*光の水都 ルネサンスボートに乗って
水と光を堪能した。 Part1 は、鉾流橋をくぐるシーン

中之島界隈の橋情報

スタートは、水晶橋船着場から約25分間の周遊プログラム。堂島川を上り、土佐堀川をチョット下り、帰ってくる。
水晶橋はレトロな雰囲気ですね〜


エンジンオンで出発 堂島川を上る


鉾流橋をくぐる。水面の輝きが綺麗です





振り向けば

阪神高速の橋桁もある

次は難波橋へ向かう



船は、オープンなので寒い。乗るときに防寒具を貸してくれるので助かる。
オープンなので、360度の風景を堪能。
面白い企画だ。
知れてないのか、私を含めて5名でしたね。 1600円ですが〜値打ちはありますね

滅多に見れない光景にも遭遇しました。


水晶橋(すいしょうばし)
由来・・・本来は河川浄化を目的として1929年(昭和4年)に『堂島川可動堰』として建設された可動堰で、堂島川の水質改善に大きく貢献した。1982年に橋面を改装、法律面でも橋として手続きがとられ、名実とともに橋となった。 72.33m
水晶橋の由来は、今一つハッキリしないが、橋上にある照明灯が水面に映る様子が水晶の輝きに似ていたことからとの説や、水都大阪が繁盛するようにという意味で水晶橋であるとの説とか・・・・

鉾流橋(ほこながしばし)
由来・・・天神祭の鉾流神事がこの橋のたもとで行われたことに因んでいるとされる。
橋の歴史は古くはなく、1918年(大正7ねん)最初の木造で架橋され、現在の橋は、1929年(昭和4年)に完成した。