統一地方選 不正、暴言、セクハラ……劣化する議員の問題をどう考えるべきか
2019.03.31(liverty web)
《本記事のポイント》
- 近年、国や地方の議員の「劣化」が指摘されて久しい
- 本来、政治は政(まつりごと)。神事であり、神聖なもの
- むしろ、宗教こそが政治をやらなければ人権や倫理を守れない
統一地方選の前半戦の告示後、初めての日曜日を迎えた3月31日、全国では、各候補者が街頭で舌戦を繰り広げた。
近年、国会議員とともに地方議員の「劣化」が指摘されて久しい。
記憶に新しいのが、2016年、富山市議会で、領収書のねつ造や改ざんによって政務活動費を不正に多く受け取っていた14人の市議が相次いで辞職した事案。最近も、名古屋市議会の自民党議員から「クズ、ゴミ」などと暴言を吐かれ、暴行を受けた減税日本の議員が刑事告訴に踏み切った事案などがある。
3月26日付朝日新聞は、4年前の統一地方選で初当選した女性議員のうち316人から回答を得て、そのうちの4分の1が議員活動中にセクハラ被害を受けた経験があり、半分は同僚の議員からの被害だったと報じた。
国や地域を代表すべき政治家が、一般の社会人レベルの倫理観すら持てていないことにがく然とする。
政治は政(まつりごと)。神事であり、神聖なもの
そもそも政治とは、「政(まつりごと)」と呼ばれるように、天照大神(あまてらすおおみかみ)以降、古代の日本では「神事」であり、神聖なもの。つまり、政治の出発点は、宗教行事そのものだった。
政治家になって金儲けをしようとか、うまい汁を吸おう、といった次元の話ではない。
この伝統に大きなくさびを打ち込んだのは、日本の敗戦後につくられた憲法の「政教分離」規定かもしれない。
本来、政教分離の意味は、「国が宗教に介入してはいけない」という意味で、宗教を守るためにつくられた。しかし、マスコミなどの誤解が広がり、いつの間にか、「宗教が政治をしてはいけない」という意味で使われ始めている。
むしろ、宗教こそが政治をやらなければ人権や倫理を守れない
よく考えてみれば、国会や地方議会には、さまざまな職業の政治団体に応援された人々が政治家になっている。例えば、日本医師会は「日本医師連盟」、労働組合は職種別の複数の政治団体から候補者を出している。
宗教を信じる人々だけが政党をつくれず、政治に参加できないのは、職業差別であり人権弾圧にあたる。神社関係者がつくる「神道政治連盟」が特定の候補者を応援しているように、宗教が政治に携わることはまったく問題がない。
むしろ、神仏を信じない「無神論」の国だった旧ソ連では、「宗教はアヘン」と言われ、聖職者や信者が多く殺されたり、聖堂を爆破して壊されたり、大規模な宗教弾圧が行われた。現代の中国でも、チベットやウイグルで同じことが行われている。
冒頭で指摘した地方議員の劣化の問題も含め、国内外の混沌とした政治状況を見渡しても、「むしろ、宗教こそが政治をやらなければ人権や倫理を守れない」と言えるのではないか。
(山下格史)
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