先日、NHKのBSでゴッホの生涯を描いた映画をを観ました。
「炎の人、ゴッホ」と言う作品でした。
観ながら思ったのですが、画家は白いキャンバスの上に絵具を置いて美を表現します。
それに対して、木や石から像を彫りだす彫刻家は、木や石の塊から不要なものを削り取って美を表現してゆきます。
出来上がった彫刻の作品には「美しさ」が表現されているとしますと、その「美しさは」どこから来ているのでしょうか?
元の木や石の塊にそもそも「美」が内在していたのでしょうか?
彫刻家は元の素材に内在している「美」をその外側をくるんでいた余分なものを削り取る事で、「美」を残していったのでしょうか。
このように見ると、画家と彫刻家が行う美を作り上げる作業は正反対の行為であると言えます。
言葉を変えれば、絵描きは無から有を生じさせ、彫刻家は既にあるものからそぎ落とすことにより美を表現しているのだともいえます。
もちろん、どちらの芸術が優れているなどと言うつもりはありません。
「炎の人、ゴッホ」を観ながら、そんなことを思いついたのです。
「炎の人、ゴッホ」と言う作品でした。
観ながら思ったのですが、画家は白いキャンバスの上に絵具を置いて美を表現します。
それに対して、木や石から像を彫りだす彫刻家は、木や石の塊から不要なものを削り取って美を表現してゆきます。
出来上がった彫刻の作品には「美しさ」が表現されているとしますと、その「美しさは」どこから来ているのでしょうか?
元の木や石の塊にそもそも「美」が内在していたのでしょうか?
彫刻家は元の素材に内在している「美」をその外側をくるんでいた余分なものを削り取る事で、「美」を残していったのでしょうか。
このように見ると、画家と彫刻家が行う美を作り上げる作業は正反対の行為であると言えます。
言葉を変えれば、絵描きは無から有を生じさせ、彫刻家は既にあるものからそぎ落とすことにより美を表現しているのだともいえます。
もちろん、どちらの芸術が優れているなどと言うつもりはありません。
「炎の人、ゴッホ」を観ながら、そんなことを思いついたのです。
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