ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

バイクで駆け足、羽州街道の旅(その2、浪岡より矢立峠まで)

2011年07月25日 07時38分15秒 | 羽州街道
浪岡でルートを見失い(実は事前調査の不足が原因なのだが)駅で一休みの後、次の宿場、藤崎に向け走り出す。

浪岡の町を出ると羽州街道は浪岡町松枝付近で国道7号と一緒になりそのまま進むと、浪岡下十川の交差点で国道7号と旧道とに分岐します。左方向が常盤バイパス(国道7号)、右寄りの道が旧道の羽州街道になります。
旧道は現在名が県道285号(浪岡藤崎線)となっております。この道は国道7号と平行しており藤崎町矢沢の集落を過ぎるとまた国道7号と交差します。

県道285号の矢沢集落(旧名は矢沢村、現在名は藤崎町矢沢)の街道筋には表記の写真の立派な道標があります。そしてまたこの場所には羽州街道に付いての案内看板もありました。
次の画像をご覧下さい。
    羽州街道のこの地区近隣の街道筋に付いて書かれています。

羽州街道は国道7号との交差点を過ぎると今度は名称を県道131号となり、藤崎宿の集落を進んでいきます。そしてさらに直進すると鉄道の踏切と交差します。そこには次のような名前の踏み切りがありました。
 

 これはJR五能線の踏み切りです。ついでですので藤崎駅に寄ってみました。



駅前には自転車が留められ、この路線が弘前への通勤通学路線として使われているのが見て取ることが出来ます。
駅から元の道へ戻り少し先に行き国道339号との交差点を左折すると国道7号と交差する藤崎十字路に出ます。
そこで藤崎宿と分かれ、国道7号に入り次の弘前にむかいました。

弘前市内はどれが旧道の羽州街道なのかはっきり解らなかった(これも調査不足のせい)が、少なくとも現在の国道では無いだろうとふんで国道7号に掛かる平川橋を過ぎた次の交差点を左折しやや細い道を選んでみた。
この道は県道260号線で、かっては国道7号でした。少し進むと難解な読み方の地区を通ります。「撫牛子」と言う所です。この読み方は「ないじょうし」だそうです。JRの駅がここにあり「撫牛子駅(ないじょうしえき)」と名付けられています。全国の駅の中でも難解読み方の上位に入ってるそうです。
撫牛子を過ぎ現在の国道7号との交差を越えて行くと弘前駅に近づいて行きます。駅前に寄り道してみました。


 現在の弘前駅です。近代的な建物です。
県道260号線がかっての街道筋なのかは自信がなかったのですが、さらに進むと次のようなバス停がありました。


 代官町とありました。 旧藩時代の道路であったのは間違いないようです。そのままさらに進むと、市中のにぎやかさも消え、落ち着きを取り戻した旧道の雰囲気を残すあたりを通ります。

門外という地区を通り掛かった時、「変った地名だな、弘前城下の門の外あたりなのでこの地名かな」などと考えながらバイクを進めると巨木が繁っている神社に行き当たります。そこは「門外熊野宮」と言う神社でした。
大きな木が保存されていて、次のような案内板もありました。
 

大きなイチョウの木でした。あまりにも大きすぎて道路にかぶさり具合が悪い為なのでしょう、その巨木は上の方は短く刈り込まれていました。
 

やはりこの道が旧道であったことがこれらの巨木を見ることで実感した次第です。
県道260号線(石川百田線)を通るこの道は、弘前市石川で国道7号と接続されています。そしてそのまま大鰐まで行っていますが、そこが旧羽州街道であったかは実は疑問です。大鰐の町に入る手前に大鰐トンネルを国道は通って行きます。長くはないトンネルですが当時の旧道をわざわざ隋道まで掘って通すとも思えません。

弘南鉄道大鰐線の石川駅の近くに御幸橋がありその手前を左折する間道があります。この道を川に沿って行くと大鰐の町へと通じていますのでこちらが旧道(羽州街道)だったのかも知れません。
気が付かずに国道を進み大鰐温泉の町に寄って見ました。駅前に行き駅の写真をパチリ。
駅の名前は「大鰐温泉駅」といいます。

ここにはスキー場があり若い時に温泉宿に泊まりスキーをしに来たことがありました。もっと古い駅舎だったような記憶があります。
駅前通りをそのまま進むと国道7号と接続されます。羽州街道(国道7号)は唐牛(かろうじ)という地名の所を過ぎるとまもなく碇ヶ関を通って行きます。
碇ヶ関にはかって弘前蕃の関所があり津軽街道(現在の国道282号線)とも繋がる交通の要所となっていました。関所役人の勤務する番所や宿舎も設けられていたようです。現在、このあたりには立派な道の駅が設けられ休日には多くの人たちで賑わいを見せています。

津軽街道との分かれ目は追分と呼ばれ現在でも地名にその名残があります。

碇ヶ関の関所を過ぎますと船岡(現在名、平川市碇ヶ関船岡)という所をとおりますがそこが青森県最後の集落です。そこには羽州街道をしめす立派な石標と案内板が建っています。
    

この船岡の道は、矢立峠へ向かっての登りに差し掛かっており、峠を過ぎるまで長い登りが続きます。

矢立峠は現在の道路事情でも積雪期には難儀をする所です。徒歩で旅する時代には、はたしてどのようにして峠を越えたのでしょうか。
国道脇にはこのような標識が建てられております。
写真の前方側が峠の下り方向で、秋田県です。

また、秋田県側には「矢立ハイツ」という建物があり、温泉に入り宿泊も出来る施設となっています。


ここまでが羽州街道の青森県での道程となっており、峠を下って行くと秋田県の最初の宿、白沢になりますが本日はここまで。

次につづく。


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