ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

バイクで駆け足、羽州街道の旅(補足、長坂一里塚)

2011年10月10日 22時14分47秒 | 羽州街道
秋田の地元紙に次のような記事が載っていました。大館市長坂にある旧羽州街道の一里塚跡のアカマツが枯れてしまったというものです。

伐採されてしまえばもう見ることはできないと思い、バイクで出かけました。

国道7号を大館市中心部より南下し早口(旧地名は田代町早口)の集落を目指します。国道からの分岐は良くわかりにくいのでナビで早口小学校を検索。早口集落は国道の西側の高台に位置してます。程なく目的地に到着。
なんとその小学校の正門入り口には次のような立派な石碑が建てられているではありませんか。



この早口小学校正門前の道が、目指す旧羽州街道だったのです。また、この近くには「早口川」があり、ここの児童生徒や保護者たちは年1回「羽州街道 早口川 徒渡り」と言う行事を通して往時の羽州街道を旅する人たちの苦労を体験しているとの事です。今年は第19回目の行事が7月10日に行われたそうです。
 
石碑の裏手で農作業をしていた年配の婦人に長坂集落を尋ねると山越えして行けば良いとの事でした。
また、その婦人に「自分は旧い街道を訪ね写真を撮ったりしているのだ」と告げると「それはご苦労様なことですな」ともいわれました。

さて、バイクを旧道に沿って南下させると程なく長坂に差し掛かります。集落の入り口に地区の集会所らしきものがあり、そこの地点が「長坂一里塚跡」でした。



案内標柱と案内板と石碑が設置されています。表題の写真がその標柱などです。標柱の後ろにあるアカマツが枯れてしまったものでした。地元の子供が幹に穴があいてると教えてくれました。



現在ではこの旧街道は田畑に農作業に向かう地区の人たちしか利用しない道なのかもしれませんが、旧い雰囲気を残す「歴史の道」ともなっている感じがしました。



この一里塚跡の裏手にも畑地があり、そこで作業をしていた孫を連れた年配の婦人に、ここのアカマツなどについて話をしている時のことです。
秋田市からきて、ここを見学に来た旨を告げると、ここでも「遠い所からわざわざご苦労なことです」と言われました。

小生、道楽でこんなことをしているのに、「ご苦労様」いわれたのは数多くありません。それも、一日に2回も。

一里塚のアカマツが枯れてしまった事は残念には違いありませんが、田舎人の人情が枯れてなかったのにめぐり合えた昨日でした。

ここの長坂一里塚に来る前に八幡平、花輪を経由して来ていましたので帰りは秋の夕暮れのの中をひた走りで帰路につきました。秋の八幡平ツーリングは後日、投稿したいとおもいます。

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