羽州街道の終点である青森市油川は松前街道との合流点でもある。
その個所には「羽州街道 松前街道合流の碑」建てられている。
そこの説明文に因れば地元有志の方々が平成5年に建てたものである。
この地には明治11年創業の西田酒造店があります。その建物からも敷地の一隅にある巨木と共に街道のたたずまいを感じる事ができます。
巨木の脇にバイクを留めこれからの行程に備えて十分に休ませておきます。
(本当は人間が休みたいのですが)
バイクを留めたコンビの駐車場の脇には青森湾へと続く小道があり、そこを進むと300Mほどで油川漁港に着きます。
油川宿は古くは大浜と呼ばれ青森港より先に開かれ、そこには北前船なども出入りし多くの商人などで賑わっていたことだろう。
この場所より青森中心方向へ向かい100Mほどで右折すると次の宿場、新城へと向かう。
現在の新城は青森市のベッドタウンとなっており、JR奥羽本線の津軽新城駅がある。その駅に寄ってみた。
木造の古い駅舎である。ちなみに当駅の次の駅は「新青森」でその次は終着駅の「青森」である。青森より津軽新城までは6キロ弱である。
油川を通る松前街道は現在の名称は国道280号となっており、新城に向かう街道は現在名は青森県道234号となっています。
この松前街道(国道280)は青森市から三厩まで行っておりその先は津軽海峡ですが、実は海を隔てて対岸の函館までとなっています。現在の青函トンネルは鉄道用トンネルとなっていますが、当初の計画では自動車も通れる道路も併設するつもりだったのでしょうか。
新城を通る青森県道234号を南下し次の宿場浪岡に向かいますと青森県道247号とつながります。
青森県道247号は元の国道7号です。この県道247号をさらに南下しますと現在の国道7号と接する地点に出ます。青森市戸門(とかど)の集落の入り口で国道7号(鶴ヶ坂バイパス)と合流する方向と旧道とに分かれます。
右へ行くと国道7号、左に進むと羽州街道です。そのまま羽州街道を少し進むと長くゆるい登りに差し掛かります。この地区が「鶴ヶ坂」です。
急な登りではありませんが長い坂なので自分の体以外に原動機を持たない当時の旅人は苦労したでしょう。この坂の途中にJRの駅があります。その名もずばり「鶴ヶ坂」駅です。 小さな無人駅でした。地区の名称となっている「鶴ヶ坂」のいわれも知りたいのでしたが、ここにはそれらを記載した物を見つける事は出来ませんでした。
鶴ヶ坂を過ぎ次の集落である「大釈迦」のすこし手前で羽州街道は国道7号と合流しそしてまた大釈迦の集落で国道と分かれ浪岡へと向かいます。
また、この大釈迦(青森市浪岡町大釈迦)には大釈迦峠があり国道はこの峠を通っています。ちなみに鉄道の奥羽本線は「新大釈迦トンネル」を通っています。当時の街道を旅した人たちは鶴ヶ坂を上り大釈迦峠を歩いたのですから大したものです。現代のエンジンつきの乗り物はなんと便利な事でしょう。
現在の浪岡は平成の合併で青森市と併合しましたがそのときに町を2分するほどの騒ぎがあったと聞きます。
浪岡は青森市と弘前市のちょうど中間に位置し、その大きな産業はりんご栽培です。国道7号の浪岡バイパスにはアップルヒルと名付けられた道の駅があります。また浪岡駅の東側には「浪岡城祉」があるそうです。
この城址は、「浪岡北畠氏」(なみおかきたばたけし)一族のの居城の跡となっています。ただ、残念な事にナビの不具合で場所を特定できなく、また暑さの為、ライダーの方向感覚も狂いがちでパスしてしまいました。
JR浪岡駅への道路案内を頼りに駅まで行き一休みしました。
浪岡の駅はとてモダンな駅舎です。また、町の通りも広くかっての宿場の雰囲気を探し出すことは出来ませんでした。
この駅舎はごく最近に建てられたもののようです。青森まで東北新幹線が延伸されたのにあわせて建造されたものと推察しました。駅ロータリーも広くとられ、付属する建物「あぴねす」内には実物のりんごの大木も展示されていました。「あぴねす」内にはモダンなカフェテラス風なレストランまでありました。都会からの旅行客を意識した造りです。小生の趣味とは相容れないものがありましたので建物の日陰で一休みしました。ライダーの体とバイクの心臓を一休みさせてから次の宿へ向かいました。
次回に続く
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その個所には「羽州街道 松前街道合流の碑」建てられている。
そこの説明文に因れば地元有志の方々が平成5年に建てたものである。
この地には明治11年創業の西田酒造店があります。その建物からも敷地の一隅にある巨木と共に街道のたたずまいを感じる事ができます。
巨木の脇にバイクを留めこれからの行程に備えて十分に休ませておきます。
(本当は人間が休みたいのですが)
バイクを留めたコンビの駐車場の脇には青森湾へと続く小道があり、そこを進むと300Mほどで油川漁港に着きます。
油川宿は古くは大浜と呼ばれ青森港より先に開かれ、そこには北前船なども出入りし多くの商人などで賑わっていたことだろう。
この場所より青森中心方向へ向かい100Mほどで右折すると次の宿場、新城へと向かう。
現在の新城は青森市のベッドタウンとなっており、JR奥羽本線の津軽新城駅がある。その駅に寄ってみた。
木造の古い駅舎である。ちなみに当駅の次の駅は「新青森」でその次は終着駅の「青森」である。青森より津軽新城までは6キロ弱である。
油川を通る松前街道は現在の名称は国道280号となっており、新城に向かう街道は現在名は青森県道234号となっています。
この松前街道(国道280)は青森市から三厩まで行っておりその先は津軽海峡ですが、実は海を隔てて対岸の函館までとなっています。現在の青函トンネルは鉄道用トンネルとなっていますが、当初の計画では自動車も通れる道路も併設するつもりだったのでしょうか。
新城を通る青森県道234号を南下し次の宿場浪岡に向かいますと青森県道247号とつながります。
青森県道247号は元の国道7号です。この県道247号をさらに南下しますと現在の国道7号と接する地点に出ます。青森市戸門(とかど)の集落の入り口で国道7号(鶴ヶ坂バイパス)と合流する方向と旧道とに分かれます。
右へ行くと国道7号、左に進むと羽州街道です。そのまま羽州街道を少し進むと長くゆるい登りに差し掛かります。この地区が「鶴ヶ坂」です。
急な登りではありませんが長い坂なので自分の体以外に原動機を持たない当時の旅人は苦労したでしょう。この坂の途中にJRの駅があります。その名もずばり「鶴ヶ坂」駅です。 小さな無人駅でした。地区の名称となっている「鶴ヶ坂」のいわれも知りたいのでしたが、ここにはそれらを記載した物を見つける事は出来ませんでした。
鶴ヶ坂を過ぎ次の集落である「大釈迦」のすこし手前で羽州街道は国道7号と合流しそしてまた大釈迦の集落で国道と分かれ浪岡へと向かいます。
また、この大釈迦(青森市浪岡町大釈迦)には大釈迦峠があり国道はこの峠を通っています。ちなみに鉄道の奥羽本線は「新大釈迦トンネル」を通っています。当時の街道を旅した人たちは鶴ヶ坂を上り大釈迦峠を歩いたのですから大したものです。現代のエンジンつきの乗り物はなんと便利な事でしょう。
現在の浪岡は平成の合併で青森市と併合しましたがそのときに町を2分するほどの騒ぎがあったと聞きます。
浪岡は青森市と弘前市のちょうど中間に位置し、その大きな産業はりんご栽培です。国道7号の浪岡バイパスにはアップルヒルと名付けられた道の駅があります。また浪岡駅の東側には「浪岡城祉」があるそうです。
この城址は、「浪岡北畠氏」(なみおかきたばたけし)一族のの居城の跡となっています。ただ、残念な事にナビの不具合で場所を特定できなく、また暑さの為、ライダーの方向感覚も狂いがちでパスしてしまいました。
JR浪岡駅への道路案内を頼りに駅まで行き一休みしました。
浪岡の駅はとてモダンな駅舎です。また、町の通りも広くかっての宿場の雰囲気を探し出すことは出来ませんでした。
この駅舎はごく最近に建てられたもののようです。青森まで東北新幹線が延伸されたのにあわせて建造されたものと推察しました。駅ロータリーも広くとられ、付属する建物「あぴねす」内には実物のりんごの大木も展示されていました。「あぴねす」内にはモダンなカフェテラス風なレストランまでありました。都会からの旅行客を意識した造りです。小生の趣味とは相容れないものがありましたので建物の日陰で一休みしました。ライダーの体とバイクの心臓を一休みさせてから次の宿へ向かいました。
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文化14年12月24日に弘前藩9代藩主の津軽寧親により、津軽野村(弘前市内)が津賀野村に改称するのに併せて、鶴賀坂村と改称。近代となって鶴ケ坂村と書かれるようになります。
そこが由来となっています
よほど前の記事なので、書いた本人も忘れかけておりました。
数年前のバイクでの「羽州街道」の旅が思い出されます。