ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

バイクで駆け足、羽州街道の旅(準備編)

2011年07月17日 19時00分31秒 | 羽州街道
バイクで北東北を走っていると「羽州街道」と記された道標に遭うことがある。
秋田県内にもその道標は多く見られるのであるが、一度その行程を走破してみたいとかねがね思ってはいたのであるが、思いつきばかりで実行に移せないでいた。

たまたま、書店で表題の本を目にした。
なんと、その本の著者は小生が出た高校の3年先輩の方であった。
この本は羽州街道を全線に渡り走破し道中の全宿場を訪ね記録した労作である。
この本を手にした途端、いきなり「バイクで駆け足、羽州街道の旅」のフレーズが浮かんで来たのである。
これはもう、「羽州街道」を走破するしかない。

ちなみにこの本を出版した「無明舎出版」の社主である安倍甲(ペンネームはあんばいこう)氏は郷土に関連した出版物を数多く出してきている方である。中央の大手出版社では手がけることの少ない、郷土に根ざした題材と著者を発掘し世に送り出している稀有な存在である。氏は昭和24年生まれの団塊の世代と聞く。

さて、「バイクで駆け足、羽州街道の旅」と銘うったのは良いがどのように走破したものかと思案する。
本来なら起点である福島県桑折宿から走り始めて青森油川宿まで全線を通しての行程が望ましいのである。
それが当時の旅人に敬意を表する正しい方法というものであろうが、それにはいくらバイクでも途中の見物を入れると数日を要するであろう。
体力と時間の余裕と少々の旅銭を用意しなくてはいけない。

あれこれ思案したあげく「バイクで駆け足、羽州街道の旅 細切れ編」なら実行可能と判断した。
要するに秋田市を起点とし日帰りで行ってこれる範囲をまず走ってみようとの計画である。
まずは青森油川宿までは羽州街道とは関係なく走り、そこを出発点とし、街道の宿場に沿って南下して起点の福島県桑折宿まで細切れでつないでみよう との計画である。
山形県中央部ぐらいまでなら何とか日帰りで行けそうであろう。
途中で見所が多すぎて時間が掛かりすぎるようであればその時点で計画を練り直せば良いであろう。

「戦略は大胆に、戦術は詳細に」という言葉を若い時に聞いてたことを思い出した。
そこで、googlemapで当該場所の地図と当時の羽州街道を見比べてみた。
当時の街道と現在の国道、県道などが一致している道もあれば、そうでなく全く当時の街道は使われなくなり、廃道と化している道もあるようである。また遊歩道のようになっている所もあるかも知れない。
バイクで行けない又は行ってはならない道は、当然走らない。
そして、できるだけ当時の街道に沿った行程で進む事を原則としよう。

googkemapの標記には旧街道が新街道(国道や市町村道)のすぐ側にあるのにもかかわらず新道を羽州街道としている誤りも多くあるようだが、出来るだけ旧道に沿った行程を組んでみた。青森市から秋田市(久保田城下)までの行程を調べてナビに転送するのに半日以上を要した。
それらの各点(ウエイポイント)をgooglemapからGPS(ガーミン1460)に転送し準備が整ったわけである。
後は実走あるのみです。はたしてどうなることやら。



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注解
googlemapの標記に誤りがあると記述しましたが詳しく注解します。
例ええば国道20号線を「甲州街道」と呼びますがこれは通称の呼び名であって「旧甲州街道」とは完全には一致していませんが社会通念上一般に通用する呼び名だと言うことでしょう。
 それ故、googleJAPANでは国道13号及び国道7号の一部を「羽州街道」の呼び名を使っていると思われます。けれども少なくとも秋田県内では「羽州街道」の呼び名は東京地方における「甲州街道」ほど一般的に使われてはいません。「羽州街道」と国道13号及び国道7号は別物であると認識している人の方が多いとおもいます。  


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