表記の絵画展の印象記の4回目になります。
この絵画展は、ブリューゲル「バベルの塔」展ーボスを超えてーが正式な名称です。
きょうはその絵画展に添えられた副題の<ボスを超えて>に着目してみたいと思います。
先回ではボスが描く「奇怪画」について述べました。ボスの絵画のモチーフは、奇怪な物体が描かれている事で知られています、
彼は奇怪な物体を好んで描いたように思われますが、実はそんなものばかりではないのです。
彼の作品には、こんなものもありました。
これは「行商人」と題された絵画です。制作されたのは1500年頃とされていました。
先回紹介した<快楽の園>の制作年が1503年頃とされていますので、それの3年前にこの<行商人>が描かれたことになります。
<快楽の園>と<行商人>から受けるイメージはかなり違っていますね。<行商人>の絵には「奇怪さは」無いように受け取れます。
<行商人>の絵からは、一般の人々の日常の中に題材を求めた近代の絵画に近いものを感じることが出来ます。
そこで、<行商人>が「日常性」を表現したものとすれば、<快楽の園>はそれの対極の「非日常性」をモチーフにしたものと見ることが出来ますが、それらの制作年には、3年ほどの年月の差しかありません。
ボスの画風が3年の期間で、全く変化したものになったのでしょうか。
画風が変化したと見るべきなのか、あるいは一人の画家に異なった画風が同居していたのか----。
さてどっちなのでしょうか?
ここで、次の2枚の絵を観ていただきたい。
これはボスが描いた「樹木人間」と題されたものである。
次の絵はブリューゲルが描いたものである。「忍耐」と題されている。
これ等の絵は下絵を作家が描き、版を彫るのは別の専門家の手になる版画です。
私たちがこれを観ると、この2枚の絵に通底する共通のイメージを感じ取ることが出来ます。
いや、はっきり言うとこれらの絵は同じ作者が描いたものだと言われてもおかしくないものに見えます。
ちなみに「樹木人間」の中央に樹にとまっているいるフクロウが見えます。
また「忍耐」の絵にも樹にとまっている鳥がフクロウのようです。
両者の絵のモチーフがこんなに似通っているのは、単なる偶然以上のものがあると、考えるのが自然です。
ここで、この二つの絵を描いた画家の生年と没年を調べてみましょう。
「樹木人間」を描いたヒエロニムス・ボスは1450年頃生~1516年没。
「忍耐」を描いたピーテル・ブリューゲルは1525-1530年頃生~1569年没
となっていました。(ガイドブックによる)
ボスの没後にブリューゲルは生まれていますので、彼はボスの描いた絵やボスの弟子たち、そしてボスの模倣作者たちが描いた作品に触れる機会はあったわけです。
ブリューゲルは彼の画業の集大成ともいうべき<バベルの塔>をその後に描きます。
この絵画展の副題<ボスを超えて>の意味がここでわかってきました。
ブリューゲルは一時期、ボスの画風をまねたこともあったのですが、<バベルの塔>を描くことにより、<ボスを超え>たのでしょうね。
とても面白く、そして為になる絵画展でした。
<追記>
上の文書で、ブリューゲルは<バベルの塔>を描くことにより、<ボスを超え>たと書きましたが、実はブリューゲルには「ボス的要素」があったのではないか。
植物の栽培で苗を作る方法に、接ぎ木法というのがあります。下になる方を台木と呼び、上になる方を穂木と言います。
ボスの作品とブリューゲルの作品では、苗を作るときの接ぎ木の関係にあるとも言えます。
ボスが台木でブリューゲルが穂木とも考えることが出来ます。
絵画展で購入したガイドブックを眺めていて、そのように思えたのです。
この絵画展は、ブリューゲル「バベルの塔」展ーボスを超えてーが正式な名称です。
きょうはその絵画展に添えられた副題の<ボスを超えて>に着目してみたいと思います。
先回ではボスが描く「奇怪画」について述べました。ボスの絵画のモチーフは、奇怪な物体が描かれている事で知られています、
彼は奇怪な物体を好んで描いたように思われますが、実はそんなものばかりではないのです。
彼の作品には、こんなものもありました。
これは「行商人」と題された絵画です。制作されたのは1500年頃とされていました。
先回紹介した<快楽の園>の制作年が1503年頃とされていますので、それの3年前にこの<行商人>が描かれたことになります。
<快楽の園>と<行商人>から受けるイメージはかなり違っていますね。<行商人>の絵には「奇怪さは」無いように受け取れます。
<行商人>の絵からは、一般の人々の日常の中に題材を求めた近代の絵画に近いものを感じることが出来ます。
そこで、<行商人>が「日常性」を表現したものとすれば、<快楽の園>はそれの対極の「非日常性」をモチーフにしたものと見ることが出来ますが、それらの制作年には、3年ほどの年月の差しかありません。
ボスの画風が3年の期間で、全く変化したものになったのでしょうか。
画風が変化したと見るべきなのか、あるいは一人の画家に異なった画風が同居していたのか----。
さてどっちなのでしょうか?
ここで、次の2枚の絵を観ていただきたい。
これはボスが描いた「樹木人間」と題されたものである。
次の絵はブリューゲルが描いたものである。「忍耐」と題されている。
これ等の絵は下絵を作家が描き、版を彫るのは別の専門家の手になる版画です。
私たちがこれを観ると、この2枚の絵に通底する共通のイメージを感じ取ることが出来ます。
いや、はっきり言うとこれらの絵は同じ作者が描いたものだと言われてもおかしくないものに見えます。
ちなみに「樹木人間」の中央に樹にとまっているいるフクロウが見えます。
また「忍耐」の絵にも樹にとまっている鳥がフクロウのようです。
両者の絵のモチーフがこんなに似通っているのは、単なる偶然以上のものがあると、考えるのが自然です。
ここで、この二つの絵を描いた画家の生年と没年を調べてみましょう。
「樹木人間」を描いたヒエロニムス・ボスは1450年頃生~1516年没。
「忍耐」を描いたピーテル・ブリューゲルは1525-1530年頃生~1569年没
となっていました。(ガイドブックによる)
ボスの没後にブリューゲルは生まれていますので、彼はボスの描いた絵やボスの弟子たち、そしてボスの模倣作者たちが描いた作品に触れる機会はあったわけです。
ブリューゲルは彼の画業の集大成ともいうべき<バベルの塔>をその後に描きます。
この絵画展の副題<ボスを超えて>の意味がここでわかってきました。
ブリューゲルは一時期、ボスの画風をまねたこともあったのですが、<バベルの塔>を描くことにより、<ボスを超え>たのでしょうね。
とても面白く、そして為になる絵画展でした。
<追記>
上の文書で、ブリューゲルは<バベルの塔>を描くことにより、<ボスを超え>たと書きましたが、実はブリューゲルには「ボス的要素」があったのではないか。
植物の栽培で苗を作る方法に、接ぎ木法というのがあります。下になる方を台木と呼び、上になる方を穂木と言います。
ボスの作品とブリューゲルの作品では、苗を作るときの接ぎ木の関係にあるとも言えます。
ボスが台木でブリューゲルが穂木とも考えることが出来ます。
絵画展で購入したガイドブックを眺めていて、そのように思えたのです。
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