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コンパクト・シティーの姿(9)---日本のITの傾向と対策:傾向

2020-08-25 | 地球の姿と思い出
「コンパクト・シティーの姿(8)---デジタル化とマイナンバー」から続く。

(1)日本のITの傾向
今年(2020)の2月以来、新型コロナウイルスで日本も世界的な混乱に巻き込まれた。その混乱は異常事態を招き、国内に潜在するいろいろな問題を洗い出した。

最初に、マスク、消毒用のアルコール、体温計用のボタン電池などが街から消えた。たとえば不織布マスクは簡単な製品だが、各国の需要でたちまち世界の生産体制は焼石に水の状態に陥った。医療現場では必須品のマスクだが、そのサプライ・チェーンは経済性優先、さらに経済性追求と同根の買占めと高値転売が発生した。そこに国民は不満を覚えた。

ところが、その不満に対する政府の対策は戦時標準品のような布マスクの配布だった。しかも、そのコストは数百億円、この経済感覚には、国民の不満は怒りに変化した。

思えば、日本が60年代からコツコツと蓄積した製造技術をケロッと忘れて、政府は訪日外国人の増加に目を奪われ、突然インバウンド需要歓迎に舵を切った。観光地や温泉街から地方の商業施設を訪れる訪日外国人や頻繁に入港する買い物ツアーの巨大な客船を熱烈に歓迎した。

しかし、「急ハンドルは転覆のもと」は自然の道理、インバウンドという分かったようで分からない片仮名が瞬く間に日本を席巻した。日本の観光地では日本人の影が薄くなり、日本は工業国だったことや自給率という言葉も忘れてしまった。

ここで、考えるべきことは、古くから日本が得意とする”もの造り”の実績と可能性である。かつての成長期では、工業地帯は油まみれで公害まみれの時期もあった。しかし、今後は高度なデジタル製造に大きな可能性がある。

日本にはデジタル製造の技術開発への投資が必要、大きな無駄とピンハネを省けば十分な原資はある。その投資には、Technical、Operational、Economicの3つ観点でFeasibilityをきっちりと検討すべきである。検討の結果がGoと出たとき、確信を持って進めば現在のサプライ・チェーンも変貌する。

サプライ・チェーンという言葉は、時代と共に変遷してきた。60~70年代はメーカー・レイアウト(Maker・out:和製英語?)と言い、自社工場と国内取引先の配置が主要課題だった。90年代にはロジスティックス(Logistics*注)に進展、配送センターも含む物流ネットワークの効率的な配送が課題になった。さらに、今日ではグローバルな物流&情報流ネットワークとデータベース化に進展した。
【*注):元々軍事用語、兵站(ヘイタン)/戦闘支援の意;Logisticsに無知な日本軍は米軍に敗れた。復員兵は、自分たちは勝っていたと言って帰国した。すなわち、各地の日本軍は闇雲に進撃したが武器弾薬食料の補給路を米軍に断たれ孤立、戦闘能力を失った。】

現在は、どこのメーカーがどのような製品を造っているかなどという情報は調達先開拓に欠かせないが、物流情報とは異質のデータベースも必要である。今後は、さらにIoTやAIとともに発展、その先には宇宙空間も視界に入ってくる。

しかし肝心なデジタル技術では、日本には胸を張る訳にはいかない弱みがある。その弱みは、筆者が感じる20~30年の遅れである。

たとえば、厚労省と都庁合作の前近代的なFax情報収集システムは「デジタル化の遅れ」の見本だった。また、マイナンバー(2015年交付)には6400億円も投資したにもかかわらず、銀行口座とのリンクは手付かずである。たぶんこの失敗は、人口減少が顕在化する2050年代には大きな「負の遺産」になると心配する。

話は変わるが、最近の報道に筆者は単純な疑問を持った。

いわく(曰く)、“43自治体がオンライン申請を停止した。”(日経20/6/2)とか54自治体が停止した。”(日経20/6/5)などの報道である。

なぜ自治体ごとにオンライン申請を停止できるのか?なぜ“一斉に”ではないのかと思った。

その疑問は、次のインターネットの情報で納得した。
  第1 目的
  自治体の情報システムは、これまで各自治体が独自に構築・発展させてきた結果、その発注
  ・維持管理や制度改正対応などについて各自治体が個別に対応しており、人的・財政的負担が
  生じている。・・・・・
  ・・・・・
  世界的に過熱するAI開発競争。そのなかで日本のAI開発は周回遅れになっていると度々指摘
  されてきました。・・・・・今回は、日本のIT公共事業の問題点について説明していきます。
  ・・・・・

これらの資料から、日本の行政システムは分散処理型であり、それぞれの自治体のシステム開発・運営を助ける多くのソフトハウスが存在するという状況が見えてきた。

このような状況は、筆者が過去に感じた”日米IT格差”とも符合する。ここに言う過去とは、1970年から2010年頃まで、経験したケースの数は少ないが、次のような傾向をいろいろな場面で見聞した。

米国:
1.米国の企業経営者はシステム構築、特に基本設計に直接参加してくる。
2.本社システム部門が全社のシステムを集中管理、筆者の知る限りだが、バンコクの米系工場でも
  米国本社のシステムをシェアー(共有)していた。バンコク工場はシステム利用だけ、システム開
  発とメンテナンスはすべてUS本社が責任をもって実施。本社と現地のシステム・コーディネーター
  は密接に連携していた。

日本:
1.日本企業の経営者はシステム開発・運営をシステム部門に任せきりだった(1社だけは例外)。
  部長以上の管理職の9割以上はIT音痴、時にはワープロによる文書作成を秘書に任せていると
  自慢げに公言する幹部に出会った。
  アメリカでは、この種の人物に出会ったことがない。
2.日本企業の海外工場は、現地でシステム開発、運用する分散処理型だった。海外のシステムは
  現地任せ、本社システムの現地支援・指導は見たことがない。・・・本当は大いに必要。しかし
  日本本社は海外システムに口出ししない。
  (放任?本社システム要員の不足?海外支援予算なし?言語障害?など疑問あり。)

さらに筆者の独断だが、日本企業の業務管理システムが分散処理に走った理由の一つは、専用回線の料金が非常に高かった*ことにあると思っている。
【*参照:「コンパクト・シティーの姿(2) 」(2020-01-25) 、③Economic Feasibility(経済性の検討)】

多くの企業は本社のシステムを地方支店や工場に延長せず、それぞれの事業所が本社とはオフラインでシステム化を進めた。また、日本企業に電話会議やTV会議が浸透しなかったのも高い電話代が一因だったと考えている。今でもケータイ料金は高すぎる。

対策に続く。


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