この地球には、けもの道や人間の街道などいろいろな道がある。ローマ街道やシルクロードは有名だが、世界には無名でも深い来歴を秘める道もある。ヨーロッパのとある一本道、その道を挟む両側の住民は中世から現在も犬猿の仲という。過去には血で血を洗う争いが繰り返され、今も社員の採用では、社内での対立を避けるため出身地がその道の右か左かに気を使うらしい。
この様な歴史的な道は別として、普通の道でも人の人生観に影響することがある。ここではそのような道、R10(アメリカ)、RAMA 4(タイ)や304号線(タイ)を紹介する。いずれも、そこでの出来事に感銘し、その国が好きになった道である。
まずは、R10の話から始める。アメリカの幹線道路は、大まかだが東西に走る道は偶数、南北の道は奇数の番号と云われている。R10(Route 10:10号線)は、フロリダ州ジャクソンビルからカリフォルニア州サンタモニカまでアメリカ南部を横断するインターステート高速道路である。全長4,000kmのこの道は、場所によってはI-10と表示されるが、10号線には変わりない。ちなみに、稚内から鹿児島までの直線距離は約2,000kmである。
ヒューストンのような大都会の中心部では、片道5車線往復10車線の道幅になる。市内のR10とR45、幹線同士のインターチェンジでは道幅は広大になる。遠くから見ると、まるで大河の合流点のように見える。しかし、少し郊外にでるとR10も片道2車線のやや心細いハイウエーになる。テキサスやアリゾナの郊外では、左手の向車線は、広いグリーンベルトを隔てて見え隠れするので、田舎の一本道を走っているように錯覚する。
高原の一本道を走るとき、遙か彼方の地平線にまず山頂が現れる。次に山頂に続く山腹が現われ、やがて裾野が地平線と一体になる。航海中のランドフォール(Landfall:陸地初見)と同じ、水平線と地平線の違いはあるが、地球は球体であると分かる。対向車もなく、船のオートパイロットより簡単な装置で自動運転が可能と思った。このような自然の中では、なぜか人恋しくなり、出会った人とはだれとでもまず握手をしたくなる。
30歳の頃、大学の期末試験を終えて友人と2人、中古車でR10をヒューストンから隣のサンアントニオに遠出した。途中、猛烈なスコールに見舞われた。ワイパーは役立たずボンネットの先すら見えない状況で、走行車線から脱線するように路肩に停車した(路上で停車すると後続車に追突される)。
スコールが去った後、エンジンを始動したが掛からない。エンストは、ディストゥリビューターのひび割れと内部への浸水が原因と分かった。・・・だれに助けを求めるか?幸い、遠くにガスステーションの看板が見えた。もちろん、他には建物は見当たらない。
友人を車に残し、筆者はディストゥリビューターのキャップと部品をもって、そのガスステーションを目指した。ガラガラ蛇を避けるブーツがないので、足の素肌を露出しないように気をつけた。荒野を30分以上も歩いて、ようやくガスステーションにたどり着いた。まさに、清少納言の「近こうて遠きもの(166段)」のテキサス版だった。
50歳ぐらいの赤毛のオヤジさんに事情を話したところ、部品を調べて自分の乗用車と同じものだと言った。しかし、その部品は手元になく、町に行かないと手に入らないとのことだった。
しばらく考えたオヤジさんは、自分の車の部品を外すと言った。自分にはピックアップがあるので、明日にでも町で部品が手に入るとのことだった。「地獄に仏」とはこのこと、その親切が身にしみた。
乗用車からディストゥリビューターを外し、その足で現場にピックアアプで送ってもらった。ディストゥリビューターを取り換えてスタートするとエンジンは一発で威勢よく始動した。不思議なことに、どのように金銭処理をしたかは全く記憶にない。ただ、遠くにそびえるガスステーションの巨大な看板、道路脇の傾いたR10の標識、自分の車から部品を外すオヤジさんの後ろ姿、これらの場面が一体になって、昨日のことのように思い出される。
あれから数十年、ときどきロサンゼルスやツーソン(アリゾナ)で偶然にR10に出会うことがある。出会うたびに、懐かしさと喜びがわいてくる。しかし、同時に自分はあのオヤジさんのようになれるだろかとあれこれと考える。自分の車の部品を外して見知らぬ外国の若者を助ける度量があるだろうかと。
筆者もときには見知らぬ人を助けることがある。そのとき、心の底ではあのオヤジさんへのお礼の気持ちと懐かしいR10の標識が目に浮かぶ。同時に、もう一度あのオヤジさんに向かって改めてお礼のことばを伝えたいが、それは不可能、これが人生だと考える。