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想像の旅---アレクサンドリアの図書館(3):文明発展の軌跡

2017-09-25 | 地球の姿と思い出
想像の旅---アレクサンドリアの図書館(2)から続く。

3)文明の微かな香り
ソクラテスと弟子たちの問答に出てくるさまざまな職業を通して、紀元前400年頃の古代ギリシアの暮らしぶりをかいま見た。当時の職業が作り出す品ものは、衣食住の必需品から寝椅子や香料や金・象牙などの装飾品まで、これらは贅沢品あるいは嗜好品だった。さらに、理髪師、調理師、教師や医者、また、歌手や芝居の役者、絵画や美容の仕事、店番は賃金生活者(wage-earner)だった。

ソクラテスたちの会話から当時、すでにに“職業”という社会的分業が確立していたことが分かる。そこから生まれるさまざまな商品を流通させるマーケットの存在、陸運・海運による交易もあり、商売の決済には貨幣制度(coinage)を利用した。

興味深いのは、サービス業の wet nurse(乳母)とdry nurse(子守)である。筆者の知る限りだが、dry nurseと聞けば現代のnanny(ナニー)を思い浮かべる。ナニーは、アメリカの高校生などが頼まれるベビーシッターではなく、NY辺りのリッチ(rich)なキャリアー・ウーマンが雇う子供の世話係である。単なる子守でなく、子供の躾(シツケ)までしてくれる信頼できる住み込み家庭教師のような人である。

現代の辞書では、dry nurseとnannyは類語または同義語である。もちろん、古代ギリシアでdry nurseを雇うのは上流階級だったと思うが、筆者はトルコの裕福な家庭でもナニーを見た。

ある時、トルコ人の国連職員が家族と共に数人の使用人(召使いやナニー)も連れて、ウィーンに赴任してきた。先進国の庶民感覚とは違い、召使いの数が多く、金持ちにはかなわないと話題になった。また、タイでも日系企業の部課長クラスには召使を抱えているケースがいくつかあった。工場では作業服を着た課長でも、家に帰れば豪邸で数人の召使いを使っている人もいた。ユーラシア大陸の文明文化には、島国の日本とは一味違う文化や習慣の流れを感じることがある。海外進出の日本企業が現地人と接するとき、その国の文化や従業員の社会的地位(social status)を念頭に対応しなければならない。単に社内の上下関係だけではない。

その文明の流れの源流は遠く古代のアテネの街角につながるが、その支流をユーラシア大陸の国々の建築様式に見ることもある。バンコクやハノイの市場や由緒ある建物やビルの1階をGround Floorという習慣である。もし1階をFirst Floorといえば、新興のアメリカ流である。近年では、エスカレーターのステップに立ち止まる時、右側か左側かの違いに欧米流と日本流を感じる。日本の西と東では左右逆であり、その境界はどこか?と疑問が湧く。

プラトンの「国家」1巻~4巻の主題は、個人から国家レベルの「正義と不正」であるが、今回の想像の旅では、第2巻の数ページで古代ギリシアの生活に触れたに過ぎない。その問答は、ほんの一部分で、しかも英語だったが、ソクラテスと弟子たちの口からでた生のことばだった。その言葉(単語と構文)は、残念ながら古代ギリシア語ではないが、多くの研究者と共通の英語での理解、日本語の単語と構文より、一歩彼らに近いと理解する。

前回の引用文にはないが、食生活においても、食後のデザートやケーキ類、アルコール類を楽しみ、生活基盤である農地や領土を広げるため、あるいは他国からの侵略に備えた職業的な軍隊もあった。「自分の身は自分で守る」は人類、否、動物の基本である。

4)アレクサンドリアの古代図書館で感じたこと
たった数時間の「想像の旅」だったが、今回はプラトンのおかげで、旅の目標を達成した。この古代図書館で感じたことは「文明の軌跡」、その軌跡を要約すると次のようになる。

1)ソクラテスの指摘は、性に合ったものを作るのが最善、「好きこそ物の上手なれ 」に符合する。
2)この考え方は、アダム・スミスの「分業」(1776年)に発展、産業革命で製造業の自動化が進んだ。
3)その後、1950年代には、自動化にコンピューターが加わり、もの造りが人間の手を離れ始めた。
4)もの造りの近代化は人類に、電気や車やインターネットなどの「文明の利器」を提供した。
5)とりわけ、医学の進歩は人類に長寿をもたらした。それは「光と影」を伴う両刃の刃(ヤイバ)である。
6)他方、ソクラテスが論じた人類が背負う「光と影」、「正義と不正」には今も進歩はない。
  国家と個人を問わず、「知らぬ存ぜぬ」を押し通せば「不正」がまかり通り、やがて合法になる。
7)文明の利器と教育で人の理性(mind)は進歩したが、本能と感情(heart)には古代から進歩がない。
8)人類の「光と影」のうち、「影」は絶望的な暗闇ではない。コンピューターが一条の「光」になる。
9)今回の旅では、ピラミッドの技術資料は見付からなかった。しかし、それは大きな問題ではない。
  理由:今さらピラミッドを建設する必要もない。技術情報は、あれば良い程度の話、気にしない。

古代アレクサンドリアへの「想像の旅」はここで終了、次回の「太陽の賛歌」に続く。ヨーロッパの混浴
(Mixed)の話である。

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