想像の旅---カサブランカ(6)から続く。
今は観光客が好みのメディナは、カサポート駅(Gare de Casa Port)に近い縦横それぞれ500mほどの古びた街である。入り江に面したこの辺りは大昔の交易の拠点だったように見える。人が集まって交易は栄える。人の集まりには食が付きもの、食材と加工技術(調理)が付随する。テクノロジーが先行して文化が生まれる。
カサブランカのメディナに限らず、地球上の町や村には“ソクラテスの対話(Dialog)”に出てくるように、生活の基本的なニーズを満たす機能を備えていた。交通機関が未発達の昔では、メディナは昨今話題のコンパクト・シティーだったと考えられる。【参考:)"Specialization Within the City (都市内での専門化)"・・・ソクラテスの問答で都市の最少限の機能を議論している・・・コンパクト・シティーの参考になる。】
7世紀ごろには独立国家に発展した。しかし、15世紀の中ごろからスペイン・ポルトガルとのトラブが発生、1468年にポルトガル人が街を焼き払った。その後、1515年にポルトガル人が街を再開発、その街をカサブランカ(Casa=家 blanca=白い)と名付けた。
平安京 延暦13年(794年)~文治元年(1185年) 伏見稲荷大社=和銅4年(711年)、音羽山清水寺=宝亀9年(778年)、延暦寺=延暦25年(806年)