北朝鮮の核実験やミサイル発射が度重なっています。
アメリカはこれを阻止すべく、「あらゆる選択肢をテーブルに乗せている」として、空母カール・ビンソンを朝鮮半島沖に近づけつつあります。日本の自衛隊もアメリカのこの動きに対して協力体制を固めています。
また日本本土への北朝鮮のミサイル攻撃に対して、政府をはじめとした国民の間に、防衛意識が一気に高まっています。
一方、中国の大連では、国産初の空母「山東」の進水を間近に控えています。「山東」は台湾や日本近海、第二列島線周辺の海域を航行することが確実視されています。
さらに上海でも二番目の空母が建造中であり、これはおそらく南シナ海やその外側を主要な航行海域とするのでしょう。
さて、朝鮮戦争以来、かつてない東アジアの軍事的緊張が高まっている状態をよそに、さる4月14日、日本学術会議が京都内で総会を開き、科学者は軍事的な研究を行わないとする声明を発表しました。
この総会では、ミサイル防衛を否定するかのような発言まで飛び出し、自由討論では研究者9人のうち8人までが声明に対して支持を表明したそうです(産経新聞4月15日付)。
この総会に先立って、2月4日、日本学術会議はシンポジウムを開きました。
これは2016年度からスタートした防衛省の公募制度「安全保障技術研究推進制度」に対してどう対応すべきかを討論したものです。
学術会議は2016年5月、「安全保障と学術に関する検討委員会」なるものを設置し、「軍事的安全保障研究について」という報告書を、総会前日の4月13日に提出しています。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-h170413.pdf#search=%27%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E7%9A%84%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%27
この報告書では、次のようなことが謳われています。
①防衛省の制度によって学術の本質が損なわれかねない。
②科学者コミュニティが追求すべきは学術の健全な発展である。
③科学者コミュニティによって研究成果の公開性が担保される必要がある。
④防衛省の制度は研究委託の一種である。
⑤軍事的安全保障研究の可能性がある研究には技術的・倫理的に審査する制度を設ける必要がある。
まあ、なんて浮世離れした殿上人の集まりのお話なんでしょう、と失笑を禁じえなかった読者もたくさんいるのではないでしょうか。
「学術の本質」「学術の健全な発展」「研究成果の公開性」――抽象的な用語の羅列ばかりですね。ご本人たちに「学術の本質」って何? と聞いてみたくなります。
特に最後の「公開性」は、国家機密や企業秘密に触れるものでもなんでもグローバルに共有しようという理念であって、リスク管理の意識がまったくないことを証明しています。きわめて危険であり、また技術流出が経済的な意味での国益を毀損する可能性に対してもてんで無頓着です。
こんな組織が大手をふるって存在するんですね。
しかし日本学術会議というのは、内閣府に所属するれっきとした国家機関です。政府への政策提言を行うことを任務の一つとしており、2017年度予算では国庫から10億5千万円が拠出されています。
日本の安全保障がこれだけ脅かされている時に、こういうサロンでの空想的平和主義のお話を、国費を費やして許しておいてよいのでしょうか。
この報告書では、ある研究が軍事目的であるか民生目的であるかの線引きが困難であることを認めています。
素晴らしくよく切れる包丁はよい料理を作るのに役立ちますが、凶器にもなりうることは子どもでも分かります。核物質の研究成果も平和利用が可能だし、インターネットやGPSが軍事利用目的から生まれたことは有名です。ネジ一つだって、どちらにも使えますね。
学術会議は、それを知っていながら、軍事的な研究であるかそうでないかをどうやって審査するのか、その基準については何も述べていません。基準などできるわけがないのに、言葉で逃げているだけです。
目的の如何は、技術研究そのものに存するのではなく、それを運用する人間、もっと言えば個々の局面での政治的な判断のうちにあります。
防衛省の制度が研究委託だというのもウソです。きちんと公募という手続きを取って、安全保障に役立つと思われるものを採用しているのです。2年間で153件の応募があり、採択されたのは19件です。必ずしも軍事用というわけではありません。
たとえば現在のガスマスクは有毒物質をフィルターにため込んでしまうため、これを分解・除去する技術の開発を目指した研究があります。これなどは、当然、農薬の被害や自然災害を避けるのに役立つわけですね。
先に述べたように、軍事用から民生用へ〈スピンオフ〉、民生用から軍事用へ(スピンオン)の転用というのは、技術というもののもつ本質的な特性ですから、学術オタクたちが個々の技術研究だけを取り出してそれらを軍事用、民生用と腑分けすることは不可能だし無意味でもあります。彼らに要求したいのは、いま日本がどういう緊迫した状況に置かれているかということについて正しい感度と認識を持ち、それにもとづいて、「何をしないか」ではなく、「何ができるか」を考えてもらうことです。期待しても無理かもしれませんが。
結局のところ学術会議は、防衛省の制度に全面的に反対するほかなくなるわけですが、ではそれを「政策提言」として政府に具申するのか。その働きかけが有効だとでも信じているのでしょうか。
もちろんそんな気はさらさらなく、安全圏にいて自分たちの幼稚な空想が満足させられればいい、ということなのでしょう。これでは話になりません。
また学術会議の考え方に従えば、武器や兵器についても一切研究してはならないということになりますが、これもバカげた考えの極みです。こういう「お花畑」志向はじつはたいへん有害なのです。
第一に、国民を守らなくてはならない時に、それに何ら貢献しなくとも、「学術」の権威の下に国費を費やすことが許されてしまいます。
第二に、それによって現実を見ようとしない幼稚な平和主義が民間の間に存続し、助長されます。いざ自分たちの身を守らなくてはならない時にその用意ができていない事態を招きます。
第三に、敵国が着々と軍事研究を進めている、その技術水準がまったくわからなくなります。まさかその部分だけは、敵国に「研究成果の公開性を担保」してもらうことを期待するのではありますまい。どこかの国の憲法の前文のように。
第四に、軍事研究から手を引くことは、技術全般における退歩をもたらし、民生用の技術においても世界に遅れを取ってしまいます。欧米やアジア諸国には、こんな軍事アレルギーは全然ありません。
こうして学術会議の今回の声明は、国民としての、また専門家としての義務を放棄した、きわめて無責任な振る舞いなのです。
どうせ危機対応など何もできない殿上人の集まりで、現実的な安全保障のことなど考えていないのだから、こんなのは無視してしまえばよい、とも思います。
しかし日本学術会議は「アカデミズムの国会」と見なされており、大学に対して強い影響力を持っています。現に今回の「検討委員会」の流れをよいことに、全国のいくつもの大学(関西大学、関西学院大学など)が、学者たちに防衛省の制度に応募することを禁止しています。
http://www.sankei.com/west/news/170226/wst1702260012-n1.html
これは、憲法で保障された「学問の自由」「思想表現の自由」が侵されていることになります。憲法を守りたい人たちが、その憲法を率先して破っているのです。
それでも象牙の塔にこもりたい方はどうぞ、というほかありません。ただ、こんな百害あって一利なしの組織に政府が予算をつけることだけはやめてほしいものです。
国民のすべての営為(殊に科学の研究)は突き詰めれば国家の軍事力の強化・発展の為にあるのに、それすら理解できない者が科学者を名乗っているとは沙汰の限りですね。