ポケモンGOが日本でダウンロード可能になってから数日が経ちました。
初めメディアは軽いノリでニヤニヤしながらその爆発的な人気について報道していたようですが、予想通りいくつものトラブルを引き起こしつつあります。さすがにメディアの論調も、わずか数日で様変わりしてきたようです。しかし本当は、日本解禁の前にアメリカですでにトラブルが報告されていたのですから、このゲームの問題点についてもっと真剣に報道すべきでした。日本の「カワイイ」文化がまた一つ国際化したというので、メディアは調子に乗っていたのでしょう。
固いことを言うようですが、この遊び、私は非常によくないと思っています。で、次のような趣旨のことをあるところに投稿しました。
このゲームは、やってる当人の危険もさることながら、厳粛な場所を汚したり、静謐な領域を荒らしたり、プライバシーを侵害したり、交通事故を起こしたりと、問題だらけである。想定外の犯罪に利用される可能性も大きい。特に子どもに持たせると、誘拐が容易になったりする。
治安維持や注意喚起や立ち入り禁止区域を設けなくてはならない立場の人たちの苦労もたいへんである。
まただいたい、ゲームそのものがすこぶる幼稚で、大人が夢中になるような代物ではない。主体的に行きたい場所を選択するのではなく、受動的に移動させられるわけだから、広場や路上に愚民化した群衆が溢れる結果をもたらす。
すると、実際にやってみた人の立場から次のような反論がありました。
これはじゅうぶん面白いゲームで、みんなが飛びつくのも無理はない、もちろんTPOを心得る必要はあるが、それは電話をしたり音楽を聴いたりするときと同じこと。また、このゲームでは、接近しないとポケモンは出現しない。ポケモンを求めてさまようわけではなく、目的地に向かって移動している最中に寄り道感覚で捕まえに行くのである。言わばナビに毛の生えたようなもの。おかげさまでわが街の、知らなかったスポットにも気付かされた。また13才以下には配信されない。
これに対して私は再反論しました。以下に、少し変奏し加筆してそれを掲げます。
実際にやっている人の立場からは、肯定したくなるお気持ちは十分わかります。私もやりだせばハマってしまうかもしれません。しかし私が上記で主張しているのは、実際に起こりうる危険、迷惑についてです。これらはもう現にあちこちで起こっています。社寺などの静かに情趣を味わうべき場所、店舗その他、多少とも公共性のある空間にポケストップが置かれた場合、そこに群衆が集まれば、それらの場所の本来あるべきたたずまいが乱されるのみならず、付近の住民のプライバシーも侵害されます。マスゴミが芸能人宅に押し寄せるのと似ています。
たとえばAさんは、皇居や靖国神社にポケストップが置かれることをお望みになりますか?
以下の記事などもご参考になさってください。ナイアンティックと契約したあの猥雑なマクドナルドでさえ、食事空間を攪乱され、逆効果になりかねないことを指摘した記事です。
http://www.mag2.com/p/news/213217/3
世の中の人は、Aさんのようにきちんとマナーを守る良識のある方ばかりではありません。本人の仕事に支障をきたす場合も出てくるでしょう。
また、マナーを守るべきなのは電話をしたり音楽を聞いたりするときと同じであるとおっしゃっていますが、シチュエーションがまったく異なります。電話や音楽の場合は、広場や路上や公共の場所に不特定多数が密集するわけではなく、特定の個人がたかだか周囲の数人に対して迷惑を及ぼすだけであり、しかも事故を起こす気づかいなどありません。
このゲームが他のゲームと違う点は(だからこそ爆発的人気を博したわけですが)、単なる歩きスマホではなく、目的地への行動とゲーム上での展開が一体化しているという点です。「ナビに生えた毛」は、他人のことなどお構いなしの興奮を呼び起こすのです。
なおAさんは、「ポケモンを求めてさまようわけではなく、目的地に向かって移動している最中に寄り道感覚で捕まえに行く」とおっしゃっていますが、それは節度ある人の話で、すべての人がそうではない証拠に、これまで人が集まらなかったスポットに異常なほど人が集まっていますね。
また13歳以下に配信されなくとも、親や年長者のスマホを使うことはいくらでもできるでしょう。親がダウンロードして楽しんでいるゲーム(しかもマージャンや競馬ではなく、本来子ども向けのゲーム)を子どもに禁じるのは不可能に等しいのではありませんか。
以上ですが、いささか大げさに言えば、私はこのポケモンGO現象を、現代社会の愚民化の象徴であるとみなします。あのオルテガが嫌悪した、自分を懐疑することを知らず、数を恃んで自分たちこそが世界の主人であると厚かましくも思い込む大衆――その光景を目の当たりにする思いです。一人一人になれば賢い人はたくさんいるのに、群集心理によって蝟集した人たちは、その限りにおいてやはり愚民です。その間はずっと真正の「他者」と出会うことを避け、冷静で客観的な配慮を欠いた思考停止期間となるからです。
ところで、開発元のナイアンティックにも文句を言っておきたい。世界地図の精密化の技術をよいことに、地域主体や建造物所有者に無断でポケストップを措定して、何が起きようと知らんぷり。しかも、以下の記事によると、トラブルや訴訟が起きた時は、合意事項規約で巧妙に責任逃れをしているそうです。
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%EF%BD%A2%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%A2%E3%83%B3go%EF%BD%A3%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%A6%8F%E7%B4%84%E3%81%AB%E4%BB%95%E7%B5%84%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%83%AF%E3%83%8A-%E7%94%A8%E6%84%8F%E5%91%A8%E5%88%B0%E3%81%AB%EF%BD%A2%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E5%9B%9E%E9%81%BF%EF%BD%A3%E3%81%8C%E6%BA%96%E5%82%99%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%EF%BC%81/ar-BBuNVO5?ocid=MIE8HMPG#page=2
まことに自分勝手というほかありません。先にこのブログでマイクロソフトの強引さを指弾した文章を書きましたが、それと同じです。アメリカ式「自由」が無秩序化して歪んだ姿をさらした典型と言えるでしょう。任天堂発の「カワイイ」文化にいい気になってばかりではいけないのです。
この流行が一刻も早く廃れることを祈ります。
人間集団が衆愚の群れに堕していかないようにするため、お互いに折り合いをつけて協働するための道具が法であり、法律を骨格とした細やかなマナーであり、例えば自動車という便利でもあり凶器にもなるモノを利用する上で従うべき道交法や交通マナーがある。
新しく出てくるドローンやスマホゲームでも同じこと。
まずどこかの公園内や歩行者天国だけをフィールドにしてテスト運用し、安全なものになるようシステムを揉む。必要なルール整備についてオープンに天下公論に諮る。そのようにミニマムに始めてまっとうなコンテンツとして大きく育てていけばよい。
「地球上あらゆる場所が我が社のゲームフィールドだ、皇居とか原発とか、とくに外してほしい場所があれば申告しろ」「儲けはこっちのもの、社会的コストはお前ら持ち」そんな傲慢な商売のやりようは許すべきでない。
…そのように公言すればおそらく「新たな産業が萎縮する」「アメリカを見習え」みたいな反応があると思われますが、つまり「とにかく絶対安全なように何でもガチガチに規制しろ」でもなければ「とにかく規制撤廃して何でも自由にさせろ」でもなく、締めるところは締め、丁寧な相談の上で緩めるところは緩めていくという行政のイニシアチブが発揮されないと民間のイノベーションも育たないのではないかと思います。
結論ですが、私としてはこちらの記事の主張に基本的には賛成ですが、その上で、この件でおおいに責められるべきは「お上の怠慢」だと思います。
とりあえずは万事ほったらかしで様子見、実際にバンバン事故が起きてマスコミが騒いだらやおら諸々禁止、みたいな小役人的日和見主義の横行には衰亡のにおいがする。
…新奇な商品であっても、既存法によって、またはわずかなアジャストによってとりあえず網をかけることは本来可能なはずです。
「明らかに歩きスマホを助長/前提とするゲーム」にはとりあえず待ったをかけておいて、システム的に何らかのフールプルーフの仕組みを要求するなど、政府が積極的に関与することはできるはず。だが、しない。なぜといって何となく面倒くさいから以上の理由はないのだろう。
「とりあえずはほったらかし、騒ぎになったら禁止になりとすればいいや」
政府の怠慢、おっしゃる通りと思います。その点を指摘すべきでしたが、見落としておりました。
この点に関しても、任天堂の「カワイイ」キャラが国際的に認知されたために、そのことにやに下がって、危険や迷惑に対する配慮を怠った政府の油断があると思います。ポケモンの波及力に目をつけたナイアンティックのビジネス感覚には敬意を表すべきですが、見方を変えれば、任天堂(=日本)はナイアンティック(=アメリカ)にうまく利用されただけだとも言えましょう。
加えて、いまの政府の無原則な「成長戦略=構造改革・規制緩和」路線からすれば、こういう「ゆるふん」がまかり通ってしまうのも、むべなるかなという感じもします。他分野でも今後同じような、あるいはもっと深刻な事態を引き起こすことになるのではないかという危惧を禁じ得ません。
すでにアメリカでは、個人の家の裏庭に入らせてくれなどという要求が続出しているため、代表団ができてナインテックと任天堂を相手に訴訟が起こされているようですが、こういう時は、訴訟社会も捨てたものではないと思いますね。
しかし、おっしゃる通り、次々と新手が登場することが予想されます。困ったものです。これは要するに、文化、伝統、プライバシーを破壊するゲーム界のグローバリズムだと言えるでしょう。
富士山が世界遺産になりましたが、これも日本人の宗教的な心に土足で踏み込むようなことにならなければ、と思います。世界遺産ブームも、文化のグローバリズムでしょう。
これが廃れたとしても、日本人の質そのものが高くなるわけじゃないんですよね。