高橋洋一VS三橋貴明
去る7月18日、産経新聞の「金曜討論」欄に、元大蔵(財務)官僚でリフレ派経済学者の高橋洋一氏と、中小企業診断士で経済評論家の三橋貴明氏との「討論」が掲載されました。
この欄は、論者が直接対面するのではなく、担当記者がそれぞれに同一テーマについてインタビューし、両者同じ字数でその見解を載せる形をとっています。このスタイルのほうが論点が冗漫に流れず、よく論理的に整理されるので、読者にとっては相違点が明瞭にわかるという利点があります。
さてテーマは、今年1月に施行された「タクシー減車法」の評価をめぐってです。これは2002年の参入規制緩和を見直し、価格競争激化によって生じる格安タクシー料金に規制をかけるもので、すでに国土交通省による格安タクシー業者への値上げ勧告が始まっています。また、格安業者が裁判所に強制値上げの差し止めを求める動きも出てきているそうです。
この問題は、いまの日本の経済状況を具体的にどう見るかという点でとてもわかりやすく、またこの問題にどう答えるかで、論者の経済思想(人間観と言ってもいいでしょう)が端的に表現されます。かたやリフレ派の大物・高橋洋一氏、こなたケインズ派の活躍者・三橋貴明氏。めったに見られない横綱相撲と言っても過言ではありません。はばかりながら私は、この横綱相撲の行司役を買って出たいと思いました。
それではここに両者の見解を全文転載することにします。各行頭の――線部分はインタビュアーの質問です。
≪高橋洋一氏≫
――今回の規制強化をどう評価する
「まったく評価できない。本来は価格規制をなくすことが必要なのに反対のことをしている。国交省が少しでも安い運賃の業者を指導しているため訴訟も起こされているが、安いタクシーはほんの一部であり、市場経済において目くじらを立てる話ではない」
――大阪、福岡地裁では国による強制値上げの差し止めが認められた
「国側が負けて当たり前で、司法から『法律がひどいですよ』といわれているようなものだ。価格規制を緩和すれば、自然と業者も利用者も納得できる状況に落ち着いていくはずだった。しかし古い官僚主導型の規制に自公民各党が乗って、今回の規制強化策が導入されてしまった。経済学が分かっていないという点で国会議員の無知をさらけ出す結果となっている」
――格安タクシー業者は「営業の自由を侵害し憲法違反」と訴えた
「憲法違反とまでは言えないにしてもそれなりの説得力があるといえる。なぜ国が強制的に値上げするのか。タクシーの公共性といってもバスなどと違って根拠は弱く、だからこそ参入が自由化されてきた歴史がある」
――需要と供給の関係を無視した高い料金設定が問題ということか
「その通りで、結果的に誰も満足できない状況になっている。料金が高くて食べていけると思うから多くの運転手が参入してきて、共倒れになるという悪い循環に陥っている。しかし価格規制を緩和して料金が下がれば、食べていけないと分かるから自然に参入は減ることになる。そうした市場メカニズムを活用すべきだ」
――業界への新規参入をうながした平成14年の規制緩和をどう評価する
「評価できるが、料金規制を残したのはまずかった。結果として新規参入が殺到することになってしまった。そもそも日本のタクシー料金は世界的にみても高すぎる。米国なら初乗りが日本円で250円くらいだ。運転手は特別な職業ではなく、誰にでも務まる仕事なので料金は安いのが当然だろう」
――厚生労働省によると、タクシー運転手の賃金は労働者平均の半分強だ
「運転手の賃金をどうするかは最低賃金法などで対応すべきであり、それは国交省ではなく厚労省の仕事だ。経済合理的に考えれば、特別な資格がなくてもできる仕事の対価として、低賃金はやむを得ないだろう。福岡では初乗り300円のタクシーがあるそうだが、それで事業が成立するのなら結構なことだ。安さに文句をつける必要はなく、無理に料金を統一しようとすれば、料金以外での競争が始まる。大阪の一部タクシーのように乗客に粗品を渡すなど、かつて問題になった“居酒屋タクシー”のような不健全なサービスが横行しかねない」
≪三橋貴明氏≫
――平成14年の参入緩和について
「経済状況によって規制緩和が正しいか正しくないかが決まるが、14年当時はデフレ下で需要不足であり、供給過剰状態のときにタクシーの参入規制を緩和したのはまずかった。結果的に料金は下がったが、競争が異様に激化してタクシー運転手の貧困化を招いてしまった。消費者としてはいい話かもしれないが、事業者側からの目線も必要だ。その点で今回、規制のあり方を見直すのは当然だといえる」
――今回の規制強化は評価できると
「働く人たちの所得が増えていくのが正しい政策のあり方で、そのためにある程度、料金が上がるのはやむを得ないだろう。デフレが長く続いた結果、日本人は『価格は下がるもの』と思っている人が多いが、基本的に価格は上がるもの。ここ20年、タクシー料金がほとんど変わっていないのは異常なことで、何でも『安ければいい』との考えはやめるべきだ」
――タクシーの公共性をどう考える
「ある程度は公共交通機関としての役割があり、国民の足を維持するという視点は必要だ。利益だけを考えればタクシーは東京に集中するだろう。地域住民の足を確保するために、場合によっては助成金のような仕組みも必要かもしれない。今回の規制強化で都市部の供給過剰な台数を削減するという点は評価できるが、供給不足の地方のことまで考えてほしかったと思う」
――大阪、福岡地裁では強制値上げの差し止めが認められ、初乗り500円といった格安タクシーが健在だ
「あまりに激しい価格競争は排除されるべきで、差し止めは支持できない。大阪市なら初乗り660円といった、国交省が定めた下限料金まで上げるべきだ。タクシー運転手が自分の労働できちんと家族を養えることが重要で、14年の規制緩和以降、運転手の所得が下がっていることは大問題だ。働く人の所得が上がらなければデフレ脱却はできない。タクシー料金が上がるということは消費者目線で『物価上昇は困る』と捉えられがちだが、働く運転手の所得を増やすことが消費増につながり国民生活全体としてプラスになると考える必要がある」
――米国などと比べて日本のタクシー運賃は高いとされるが
「むしろいいことではないか。なぜ米国のタクシー運賃が安いかといえば、移民も含めた労働者を酷使しているからだ。工業製品と違って、サービス料金は国境を越えて同じ水準である必要はない。先日、視察に行ったスウェーデンでは初乗りが2千円程度だったが、それがむしろ正常といえるし、その運賃に文句をいうつもりもない。事業者側の視点を持つことが重要で、外国と比べたいのならスウェーデンと比較すべきだろう」
ご覧のように二人の主張は、真っ向から対立しています。
ところで金融緩和促進に賛成のリフレ派と、それを受けての積極的財政出動派とは、それぞれデフレ脱却をめざすアベノミクスの第一の矢と第二の矢とを代表しています。この両者はパッケージとして機能して初めて投資や雇用や所得の改善に寄与するので、本来対立すべきではないのです。ところが、おかしなことに、この両者はしばしば不毛な理論闘争を繰り返しており、学問レベルで、せっかくのアベノミクスの意義を減殺する効果を生んでいます。
この論争もその一変種とみなすことができるでしょう。では、ここでの二人の言い分は両方とも間違っているのか。そうではありません。
初めに軍配を上げてしまいましょう。私の審判では、これは立ち合い低く当たって、素早く右前褌をつかみ両差し、一気に寄り切った三橋氏の圧勝です。高橋氏は終始腰高で、顎が上がり、頭で相撲を取っているだけです。分析の適否においてだけではなく、公共精神の有無、どれだけ国民のことを真剣に考えているかという点においても、両者には雲泥の差があります。
以下取り口を、少し細かく分析してみましょう。
高橋氏は、まずこう言っています。
価格規制を緩和すれば、自然と業者も利用者も納得できる状況に落ち着いていくはずだった。
これは、政府が介入せずに自由市場に任せさえすれば需要と供給は均衡するという教科書通りの古典派経済学原則をそのまま述べたものですが、ここには、需要が不足しているデフレ期に供給ばかり増やしても需要が追いつくはずがないという現実が完全に見落とされています。さんざん批判されている「セーの法則」を何の疑いもなく前提としているのですね。
次に高橋氏はこう言っています。
安いタクシーはほんの一部であり、市場経済において目くじらを立てる話ではない
これは彼が市場の現実、というよりも市井の一般人の生活感覚というものに関心がないことを象徴する言葉です。たまたま格安タクシーが話題になっているから、それが「ほんの一部」であるのをいいことに、「市場経済全体」には関係ないかのようにうそぶいていますが、デフレ状況下で価格競争を刺激するような規制緩和をすれば、あらゆる中小産業に悪影響を及ぼすことは眼に見えています。現に今回の法的措置は、規制緩和をしたために過当競争が起こり、ブラック企業の従業員と同じように、低賃金と過重労働に甘んじざるを得ない運転手さんが続出したのです。「料金規制を残したのはまずかった。結果として新規参入が殺到することになってしまった」のではなく、規制(この場合は台数制限や参入条件j)が緩和されたからこそ他業界で行き悩んでいた人たちが新規参入し、結果として供給過剰となり、価格競争が激化して格安タクシーが横行するという悪循環を招いたのです。
高橋氏はまた、次のようなふざけたことも言っています。
価格規制を緩和して料金が下がれば、食べていけないと分かるから自然に参入は減ることになる。そうした市場メカニズムを活用すべきだ
この発言が、社会的弱者を無視した、いかに無慈悲でふざけた発言か。
何よりも、規制緩和によって(価格競争が起こり)料金が下がるというメカニズムは、すぐ前の「料金規制を残したから新規参入が殺到した」という自説と論理的に矛盾しています。もちろん、前者のメカニズムこそ、市場メカニズムとして自然なものです。それで食べていけないからといって、ただちにやめるわけにはいかないから、低賃金と過重労働に甘んじる労働者がが続出し、さらに価格競争の悪循環が起きるのです。
次に、小学生でもわかる道理ですが、仮にある業界で食べていけなくなったとして、その業界から敗者が撤退すれば、その業界内では「市場メカニズム」がはたらくかもしれませんが、では撤退した敗者はどこに働き口を求めたらよいというのでしょうか。世はいたるところ不況で、投資は冷え込み、雇用や賃金はほとんど少しも改善していないというのに!
さらに高橋氏は続けます。
米国なら初乗りが日本円で250円くらいだ。運転手は特別な職業ではなく、誰にでも務まる仕事なので料金は安いのが当然だろう
経済合理的に考えれば、特別な資格がなくてもできる仕事の対価として、低賃金はやむを得ないだろう。
ここに高橋氏の、庶民をバカにした傲慢な経済思想がいかんなく発揮されています。タクシー運転手が「誰にでも務まる」「特別な資格がなくてもできる仕事」でしょうか? 高橋さんはタクシーを運転できますか? 何よりもあの仕事は、行く先までお客の命をあずかるため、交通安全に対する極度の熟練感覚を必要としますし、またさまざまなお客の要求に応じるためのデリケートで適切なサービス心を持つことが不可欠です。
他の多くの仕事もその点においては同じですが、そもそもこういう大切な「実業」に従事する人々の低賃金を「やむを得ない」と断ずるその冷ややかな「経済合理主義」が問題です。この「経済合理主義」がどこから来たかといえば、資本主義の最も過酷な面を代表する市場原理主義からです。
市場原理主義は、それぞれの働き手たちの具体的な生活心情を切り捨て、経済の動きを計量化・数値化できる抽象的なレベルでだけとらえます。そのため、経済活動においてはすべての個人・集団が自分の利益追求だけを目的とし、その目的に沿った「合理的」な行動しかとらないという、あのとっくに古びた経済学的前提が必要となるのです。高橋氏は、この机上で考え出された人間把握のスタイルに完全にハマっています。
次です。
――厚生労働省によると、タクシー運転手の賃金は労働者平均の半分強だ
「運転手の賃金をどうするかは最低賃金法などで対応すべきであり、それは国交省ではなく厚労省の仕事だ。
これは完全にごまかしとすりかえですね。ある仕事が労働者平均の半分しかもらえてないという現実をどうするかは、担当省庁の領分の適合性の問題ではなく、日本経済全体をデフレ不況から恢復させて、低所得者層を少しでも裕福にし、いかにして分厚い中間層を作り出すかという政策レベルの問題です。
高橋氏は、規制緩和さえ徹底させればよく、競争の敗者などは自然淘汰されればよいといった、新自由主義思想の申し子です。彼には、格差拡大による社会不安をどうするかとか、不況下であえぐ国民各層の生活苦をどうするかといった経世済民の発想がかけらもないことがこれでよくわかります。リフレ派というのは、金融緩和だけが政府・日銀のやるべきことで、そのあとの動きについてはレッセ・フェールよ、という狭い狭い学者頭の集まりなのですね。
一方、三橋氏の主張については、すでに多言を要しないと思われます。「働く人たちの所得が増えていくのが正しい政策のあり方」だというのはまったくその通りですし、個別の消費者にとって物価が安くなることが、マクロ経済的な視野からは投資や雇用の悪化を引き起こし、結果的に消費を冷え込ませるという循環の論理がきちんと押さえられています。
また、次のように述べて、都市と地方との著しい格差の問題にも正確な目を注いでいます。
地域住民の足を確保するために、場合によっては助成金のような仕組みも必要かもしれない。今回の規制強化で都市部の供給過剰な台数を削減するという点は評価できるが、供給不足の地方のことまで考えてほしかったと思う
以下の記述もまったくその通りで、つけ加えるべきことはありません。
タクシー料金が上がるということは消費者目線で「物価上昇は困る」と捉えられがちだが、働く運転手の所得を増やすことが消費増につながり国民生活全体としてプラスになると考える必要がある
またタクシー料金の国際比較で、高橋氏がアメリカと比べて日本が高いと言っているだけで、何らその苦しい社会背景に言及できていないのに対して、三橋氏は、アメリカが安いのは移民労働者などを酷使しているからで、サービス料金は国境を超えて同じ水準である必要はないと喝破しています。極め付きは、スウェーデンの2000円という例を出して、高橋氏の論拠を顔色なからしめている点ですね。ここにて勝負あり! というところです。
どちらが本当に国民生活のことを考えているか、もはや明らかでしょう。
規制はすべて固守すればよいというのではありませんが、低所得者層が増え格差が拡大しているときに、それにかかわる規制をただ撤廃すればうまく行くなどと考えるのは大きな間違いです。国家の適切な関与・介入が必要なのです。安倍総理は、岩盤規制をドリルで砕く(つまり第三の矢)などと、すっかり新自由主義にやられた発言をしていますが、この点では、彼はとんでもなく間違った経済思想に毒されています。格安タクシーに対する強制的な値上げと供給過剰な台数を削減する方針は、デフレ脱却の方向性として正しいのです。
ちなみに、日本経済の現状は、デフレ脱却からは程遠い状態です。アベノミクス発動以後も、物価は上がりましたが、その結果、実質賃金(名目賃金から物価上昇分を差し引いた値)は下がり続けています。また次のような指摘もあります。
銀行などの預金取扱機関の預金は3月末までの1年間で31兆円増えたが、貸し出しは11兆円増で、差し引き20兆円分のお金が滞留した計算だ。
ニッセイ基礎研究所の上野剛志シニアエコノミストは「日銀が川上から水(お金)を流しても、いったん金融機関というダムにせき止められて、川下の民間にまで流れていかない状態だ」と解説する。(産経新聞7月10日付)
つまりはいわゆる「ブタ積み状態」なので、これをどう有効に流すかこそが、政府の経済政策の課題であり、それは、金融緩和だけで何とかなると考えているリフレ派の出る幕ではありません。この経済政策には、公共投資などの積極的な財政出動だけではなく、今回のタクシー問題のように、過剰な価格競争を抑制する政策(規制緩和見直し)も含まれます。高橋氏には、「経済学が分かっていないという点で国会議員の無知をさらけ出す結果となっている」などと経済学者のおごりをさらけ出さずに、黙っていてほしいものです。
去る7月18日、産経新聞の「金曜討論」欄に、元大蔵(財務)官僚でリフレ派経済学者の高橋洋一氏と、中小企業診断士で経済評論家の三橋貴明氏との「討論」が掲載されました。
この欄は、論者が直接対面するのではなく、担当記者がそれぞれに同一テーマについてインタビューし、両者同じ字数でその見解を載せる形をとっています。このスタイルのほうが論点が冗漫に流れず、よく論理的に整理されるので、読者にとっては相違点が明瞭にわかるという利点があります。
さてテーマは、今年1月に施行された「タクシー減車法」の評価をめぐってです。これは2002年の参入規制緩和を見直し、価格競争激化によって生じる格安タクシー料金に規制をかけるもので、すでに国土交通省による格安タクシー業者への値上げ勧告が始まっています。また、格安業者が裁判所に強制値上げの差し止めを求める動きも出てきているそうです。
この問題は、いまの日本の経済状況を具体的にどう見るかという点でとてもわかりやすく、またこの問題にどう答えるかで、論者の経済思想(人間観と言ってもいいでしょう)が端的に表現されます。かたやリフレ派の大物・高橋洋一氏、こなたケインズ派の活躍者・三橋貴明氏。めったに見られない横綱相撲と言っても過言ではありません。はばかりながら私は、この横綱相撲の行司役を買って出たいと思いました。
それではここに両者の見解を全文転載することにします。各行頭の――線部分はインタビュアーの質問です。
≪高橋洋一氏≫
――今回の規制強化をどう評価する
「まったく評価できない。本来は価格規制をなくすことが必要なのに反対のことをしている。国交省が少しでも安い運賃の業者を指導しているため訴訟も起こされているが、安いタクシーはほんの一部であり、市場経済において目くじらを立てる話ではない」
――大阪、福岡地裁では国による強制値上げの差し止めが認められた
「国側が負けて当たり前で、司法から『法律がひどいですよ』といわれているようなものだ。価格規制を緩和すれば、自然と業者も利用者も納得できる状況に落ち着いていくはずだった。しかし古い官僚主導型の規制に自公民各党が乗って、今回の規制強化策が導入されてしまった。経済学が分かっていないという点で国会議員の無知をさらけ出す結果となっている」
――格安タクシー業者は「営業の自由を侵害し憲法違反」と訴えた
「憲法違反とまでは言えないにしてもそれなりの説得力があるといえる。なぜ国が強制的に値上げするのか。タクシーの公共性といってもバスなどと違って根拠は弱く、だからこそ参入が自由化されてきた歴史がある」
――需要と供給の関係を無視した高い料金設定が問題ということか
「その通りで、結果的に誰も満足できない状況になっている。料金が高くて食べていけると思うから多くの運転手が参入してきて、共倒れになるという悪い循環に陥っている。しかし価格規制を緩和して料金が下がれば、食べていけないと分かるから自然に参入は減ることになる。そうした市場メカニズムを活用すべきだ」
――業界への新規参入をうながした平成14年の規制緩和をどう評価する
「評価できるが、料金規制を残したのはまずかった。結果として新規参入が殺到することになってしまった。そもそも日本のタクシー料金は世界的にみても高すぎる。米国なら初乗りが日本円で250円くらいだ。運転手は特別な職業ではなく、誰にでも務まる仕事なので料金は安いのが当然だろう」
――厚生労働省によると、タクシー運転手の賃金は労働者平均の半分強だ
「運転手の賃金をどうするかは最低賃金法などで対応すべきであり、それは国交省ではなく厚労省の仕事だ。経済合理的に考えれば、特別な資格がなくてもできる仕事の対価として、低賃金はやむを得ないだろう。福岡では初乗り300円のタクシーがあるそうだが、それで事業が成立するのなら結構なことだ。安さに文句をつける必要はなく、無理に料金を統一しようとすれば、料金以外での競争が始まる。大阪の一部タクシーのように乗客に粗品を渡すなど、かつて問題になった“居酒屋タクシー”のような不健全なサービスが横行しかねない」
≪三橋貴明氏≫
――平成14年の参入緩和について
「経済状況によって規制緩和が正しいか正しくないかが決まるが、14年当時はデフレ下で需要不足であり、供給過剰状態のときにタクシーの参入規制を緩和したのはまずかった。結果的に料金は下がったが、競争が異様に激化してタクシー運転手の貧困化を招いてしまった。消費者としてはいい話かもしれないが、事業者側からの目線も必要だ。その点で今回、規制のあり方を見直すのは当然だといえる」
――今回の規制強化は評価できると
「働く人たちの所得が増えていくのが正しい政策のあり方で、そのためにある程度、料金が上がるのはやむを得ないだろう。デフレが長く続いた結果、日本人は『価格は下がるもの』と思っている人が多いが、基本的に価格は上がるもの。ここ20年、タクシー料金がほとんど変わっていないのは異常なことで、何でも『安ければいい』との考えはやめるべきだ」
――タクシーの公共性をどう考える
「ある程度は公共交通機関としての役割があり、国民の足を維持するという視点は必要だ。利益だけを考えればタクシーは東京に集中するだろう。地域住民の足を確保するために、場合によっては助成金のような仕組みも必要かもしれない。今回の規制強化で都市部の供給過剰な台数を削減するという点は評価できるが、供給不足の地方のことまで考えてほしかったと思う」
――大阪、福岡地裁では強制値上げの差し止めが認められ、初乗り500円といった格安タクシーが健在だ
「あまりに激しい価格競争は排除されるべきで、差し止めは支持できない。大阪市なら初乗り660円といった、国交省が定めた下限料金まで上げるべきだ。タクシー運転手が自分の労働できちんと家族を養えることが重要で、14年の規制緩和以降、運転手の所得が下がっていることは大問題だ。働く人の所得が上がらなければデフレ脱却はできない。タクシー料金が上がるということは消費者目線で『物価上昇は困る』と捉えられがちだが、働く運転手の所得を増やすことが消費増につながり国民生活全体としてプラスになると考える必要がある」
――米国などと比べて日本のタクシー運賃は高いとされるが
「むしろいいことではないか。なぜ米国のタクシー運賃が安いかといえば、移民も含めた労働者を酷使しているからだ。工業製品と違って、サービス料金は国境を越えて同じ水準である必要はない。先日、視察に行ったスウェーデンでは初乗りが2千円程度だったが、それがむしろ正常といえるし、その運賃に文句をいうつもりもない。事業者側の視点を持つことが重要で、外国と比べたいのならスウェーデンと比較すべきだろう」
ご覧のように二人の主張は、真っ向から対立しています。
ところで金融緩和促進に賛成のリフレ派と、それを受けての積極的財政出動派とは、それぞれデフレ脱却をめざすアベノミクスの第一の矢と第二の矢とを代表しています。この両者はパッケージとして機能して初めて投資や雇用や所得の改善に寄与するので、本来対立すべきではないのです。ところが、おかしなことに、この両者はしばしば不毛な理論闘争を繰り返しており、学問レベルで、せっかくのアベノミクスの意義を減殺する効果を生んでいます。
この論争もその一変種とみなすことができるでしょう。では、ここでの二人の言い分は両方とも間違っているのか。そうではありません。
初めに軍配を上げてしまいましょう。私の審判では、これは立ち合い低く当たって、素早く右前褌をつかみ両差し、一気に寄り切った三橋氏の圧勝です。高橋氏は終始腰高で、顎が上がり、頭で相撲を取っているだけです。分析の適否においてだけではなく、公共精神の有無、どれだけ国民のことを真剣に考えているかという点においても、両者には雲泥の差があります。
以下取り口を、少し細かく分析してみましょう。
高橋氏は、まずこう言っています。
価格規制を緩和すれば、自然と業者も利用者も納得できる状況に落ち着いていくはずだった。
これは、政府が介入せずに自由市場に任せさえすれば需要と供給は均衡するという教科書通りの古典派経済学原則をそのまま述べたものですが、ここには、需要が不足しているデフレ期に供給ばかり増やしても需要が追いつくはずがないという現実が完全に見落とされています。さんざん批判されている「セーの法則」を何の疑いもなく前提としているのですね。
次に高橋氏はこう言っています。
安いタクシーはほんの一部であり、市場経済において目くじらを立てる話ではない
これは彼が市場の現実、というよりも市井の一般人の生活感覚というものに関心がないことを象徴する言葉です。たまたま格安タクシーが話題になっているから、それが「ほんの一部」であるのをいいことに、「市場経済全体」には関係ないかのようにうそぶいていますが、デフレ状況下で価格競争を刺激するような規制緩和をすれば、あらゆる中小産業に悪影響を及ぼすことは眼に見えています。現に今回の法的措置は、規制緩和をしたために過当競争が起こり、ブラック企業の従業員と同じように、低賃金と過重労働に甘んじざるを得ない運転手さんが続出したのです。「料金規制を残したのはまずかった。結果として新規参入が殺到することになってしまった」のではなく、規制(この場合は台数制限や参入条件j)が緩和されたからこそ他業界で行き悩んでいた人たちが新規参入し、結果として供給過剰となり、価格競争が激化して格安タクシーが横行するという悪循環を招いたのです。
高橋氏はまた、次のようなふざけたことも言っています。
価格規制を緩和して料金が下がれば、食べていけないと分かるから自然に参入は減ることになる。そうした市場メカニズムを活用すべきだ
この発言が、社会的弱者を無視した、いかに無慈悲でふざけた発言か。
何よりも、規制緩和によって(価格競争が起こり)料金が下がるというメカニズムは、すぐ前の「料金規制を残したから新規参入が殺到した」という自説と論理的に矛盾しています。もちろん、前者のメカニズムこそ、市場メカニズムとして自然なものです。それで食べていけないからといって、ただちにやめるわけにはいかないから、低賃金と過重労働に甘んじる労働者がが続出し、さらに価格競争の悪循環が起きるのです。
次に、小学生でもわかる道理ですが、仮にある業界で食べていけなくなったとして、その業界から敗者が撤退すれば、その業界内では「市場メカニズム」がはたらくかもしれませんが、では撤退した敗者はどこに働き口を求めたらよいというのでしょうか。世はいたるところ不況で、投資は冷え込み、雇用や賃金はほとんど少しも改善していないというのに!
さらに高橋氏は続けます。
米国なら初乗りが日本円で250円くらいだ。運転手は特別な職業ではなく、誰にでも務まる仕事なので料金は安いのが当然だろう
経済合理的に考えれば、特別な資格がなくてもできる仕事の対価として、低賃金はやむを得ないだろう。
ここに高橋氏の、庶民をバカにした傲慢な経済思想がいかんなく発揮されています。タクシー運転手が「誰にでも務まる」「特別な資格がなくてもできる仕事」でしょうか? 高橋さんはタクシーを運転できますか? 何よりもあの仕事は、行く先までお客の命をあずかるため、交通安全に対する極度の熟練感覚を必要としますし、またさまざまなお客の要求に応じるためのデリケートで適切なサービス心を持つことが不可欠です。
他の多くの仕事もその点においては同じですが、そもそもこういう大切な「実業」に従事する人々の低賃金を「やむを得ない」と断ずるその冷ややかな「経済合理主義」が問題です。この「経済合理主義」がどこから来たかといえば、資本主義の最も過酷な面を代表する市場原理主義からです。
市場原理主義は、それぞれの働き手たちの具体的な生活心情を切り捨て、経済の動きを計量化・数値化できる抽象的なレベルでだけとらえます。そのため、経済活動においてはすべての個人・集団が自分の利益追求だけを目的とし、その目的に沿った「合理的」な行動しかとらないという、あのとっくに古びた経済学的前提が必要となるのです。高橋氏は、この机上で考え出された人間把握のスタイルに完全にハマっています。
次です。
――厚生労働省によると、タクシー運転手の賃金は労働者平均の半分強だ
「運転手の賃金をどうするかは最低賃金法などで対応すべきであり、それは国交省ではなく厚労省の仕事だ。
これは完全にごまかしとすりかえですね。ある仕事が労働者平均の半分しかもらえてないという現実をどうするかは、担当省庁の領分の適合性の問題ではなく、日本経済全体をデフレ不況から恢復させて、低所得者層を少しでも裕福にし、いかにして分厚い中間層を作り出すかという政策レベルの問題です。
高橋氏は、規制緩和さえ徹底させればよく、競争の敗者などは自然淘汰されればよいといった、新自由主義思想の申し子です。彼には、格差拡大による社会不安をどうするかとか、不況下であえぐ国民各層の生活苦をどうするかといった経世済民の発想がかけらもないことがこれでよくわかります。リフレ派というのは、金融緩和だけが政府・日銀のやるべきことで、そのあとの動きについてはレッセ・フェールよ、という狭い狭い学者頭の集まりなのですね。
一方、三橋氏の主張については、すでに多言を要しないと思われます。「働く人たちの所得が増えていくのが正しい政策のあり方」だというのはまったくその通りですし、個別の消費者にとって物価が安くなることが、マクロ経済的な視野からは投資や雇用の悪化を引き起こし、結果的に消費を冷え込ませるという循環の論理がきちんと押さえられています。
また、次のように述べて、都市と地方との著しい格差の問題にも正確な目を注いでいます。
地域住民の足を確保するために、場合によっては助成金のような仕組みも必要かもしれない。今回の規制強化で都市部の供給過剰な台数を削減するという点は評価できるが、供給不足の地方のことまで考えてほしかったと思う
以下の記述もまったくその通りで、つけ加えるべきことはありません。
タクシー料金が上がるということは消費者目線で「物価上昇は困る」と捉えられがちだが、働く運転手の所得を増やすことが消費増につながり国民生活全体としてプラスになると考える必要がある
またタクシー料金の国際比較で、高橋氏がアメリカと比べて日本が高いと言っているだけで、何らその苦しい社会背景に言及できていないのに対して、三橋氏は、アメリカが安いのは移民労働者などを酷使しているからで、サービス料金は国境を超えて同じ水準である必要はないと喝破しています。極め付きは、スウェーデンの2000円という例を出して、高橋氏の論拠を顔色なからしめている点ですね。ここにて勝負あり! というところです。
どちらが本当に国民生活のことを考えているか、もはや明らかでしょう。
規制はすべて固守すればよいというのではありませんが、低所得者層が増え格差が拡大しているときに、それにかかわる規制をただ撤廃すればうまく行くなどと考えるのは大きな間違いです。国家の適切な関与・介入が必要なのです。安倍総理は、岩盤規制をドリルで砕く(つまり第三の矢)などと、すっかり新自由主義にやられた発言をしていますが、この点では、彼はとんでもなく間違った経済思想に毒されています。格安タクシーに対する強制的な値上げと供給過剰な台数を削減する方針は、デフレ脱却の方向性として正しいのです。
ちなみに、日本経済の現状は、デフレ脱却からは程遠い状態です。アベノミクス発動以後も、物価は上がりましたが、その結果、実質賃金(名目賃金から物価上昇分を差し引いた値)は下がり続けています。また次のような指摘もあります。
銀行などの預金取扱機関の預金は3月末までの1年間で31兆円増えたが、貸し出しは11兆円増で、差し引き20兆円分のお金が滞留した計算だ。
ニッセイ基礎研究所の上野剛志シニアエコノミストは「日銀が川上から水(お金)を流しても、いったん金融機関というダムにせき止められて、川下の民間にまで流れていかない状態だ」と解説する。(産経新聞7月10日付)
つまりはいわゆる「ブタ積み状態」なので、これをどう有効に流すかこそが、政府の経済政策の課題であり、それは、金融緩和だけで何とかなると考えているリフレ派の出る幕ではありません。この経済政策には、公共投資などの積極的な財政出動だけではなく、今回のタクシー問題のように、過剰な価格競争を抑制する政策(規制緩和見直し)も含まれます。高橋氏には、「経済学が分かっていないという点で国会議員の無知をさらけ出す結果となっている」などと経済学者のおごりをさらけ出さずに、黙っていてほしいものです。
こういうまっとうな論考が知識人の間で支配的になれば、日本は、長らくのデフレ不況から脱却し、健全な経済成長が実現され、ゆるぎない安全保障体制を確立する端緒をつかむことができるものと思われます。
しかし相変わらず、残念なことに、新自由主義的経済思想が、知識人やパワーエリートの間で支配的なのが現状です。端的に申し上げると、私は、この期に及んで道州制を支持したり、競争原理主義を是とする言説を弄する人々は頭がおかしいと思っております。つまり、新自由主義は、一般国民の息の根を止めることを是とする、ガイキチの思想なのです。それゆえ、「日本丸」は、狂った羅針盤で航海することを余儀なくされています。そのことが白日の下にさらされる日を、私は首を長くして待っています。
わがブログへの転載をぜひお許しください。
高橋洋一氏は、財政健全化路線を批判する点では、きわめてまともな人だと思っていたのですが、やっぱりリフレ派経済学者特有の「木を見て森を見ず」のところがあるのですね。
経済に弱い私ですが、お励ましの言葉を頼りとして、これからも勉強しつつ、とんまなパワーエリートたちの言説を崩していきたいと思っています。
どうぞ貴ブログにご転載ください。
一切の競争を禁止し、みんな平等にして、手を繋いでゴール。
大企業経営者も運転手も格差無しですか。
頭おかしいね
競争を否定すれば、ソ連のような暗黒の超格差国家になるのが現実です。
なぜに「共産主義」という極端なレッテル張りをするのでしょうか?
貴方の頭の中はそんなにも単純な構造になってるのでしょうか?
新自由主義だろうと共産主義だろうと格差拡大になるのは当然、しかし、新自由主義の立場から共産主義は超格差云々というのは筋が通らない。
必要なことは、自由主義的、共産主義的、さらに社会主義的な考えを持つバランス感覚なんだろう思います。しかもその三つは互いを支柱のようにして成立するわけで、自由主義が絶対の善であり、他は駄目だと排除すれば、国家は成り立たないのは言わずもがな、社会すら不安定になります。
誰にどう教わったのか知りませんが、共産主義的、または社会主義的な考えを忌み嫌い排除するのであれば、それは最早自由主義にもなりません。それが新自由主義です。しかし、皮肉にもその新自由主義とやらは結局、一部の支配層と他を圧倒的に引き離す共産主義のような末路なんですね。
意味がないわけですよ、共産主義だ、なんてレッテル張りは。
競争を否定するのと、過度な競争を否定、又は、競争を推奨することの違いを、よく考えたほうがよろしいかと思います。
全般的に三橋貴明氏の主張を鵜呑みにしすぎではないかと思いますね。氏は「物価と価格」の区別も付いていないような御仁ですので、そういう人の語る「経済学もどき」の言説が「弱者保護や国民の利益」に適うとは到底思えません。
主さんは大学教員であられるそうですが、そのような一定の社会的影響力を持つ方であれば、「リフレ派が何を主張しているのか」と言った基本的なことは事実を正確に把握された方が宜しいかと思います。少なくともリフレ派は金融政策万能論者でもリバタリアン的な市場原理主義者でもありません。「傲っている、毒されている」などといった情緒的な表現で批判する前に事実関係をご自身の目や耳で確かめられるべきだと考えます。
世の中「善意の強い方が正しい」ということはありません。口先で「弱者に優しい」だのとほざいても、理に適っていない善意はむしろ弱者を弱者のままに押し留めることになりかねません。あなたが「机上の空論」と切って捨てる経済理論の方が実際には「社会全体の幸福」を増進させるということは歴史上明らかなのです。
長々と失礼いたしました。
私の見解はコチラ↓にまとめてありますので、もし興味がおありでしたらお読みいただければと思います。
http://ameblo.jp/akichi-3kan4on/entry-11896627528.html
格差があって何が悪い。
タクシー運転手の賃金とビルゲイツの所得を平等にしろというのか?
各々の仕事の市場での成果や難易の差、供給と需要の差、リスクの差によって収入が違うのは当然だ。
だいたい、物価を政府が統制し、自由を全否定するなら、ソ連のような暗黒の官僚独裁国家になる。それでいいのか。
功利主義哲学にも正当な評価を与えていらっしゃる小浜先生のことですから、自由競争自体を否定されているのでないことは、年来の読者として当然承知しております。
タクシー業界に対する規制緩和については、規制緩和自体には賛成の論者からも疑問の声が上がっているようですね。インターネット・ニュースの「The Capital Tribune Japan」にも「規制緩和論争の不毛」と題する、なかなか興味深い論説が掲載されていました。
論旨を要約しますと、
①タクシーは小売業等他の事業とは異なり、道路という公共財を使用するため立地等の制約がなく、車両さえあれば即ビジネスを始められる。すなわち、本来事業者が追うべきリスクを国民が負担しているため事業参入が容易であり、しかも必要以上に台数を増やすことが可能であるため、過当競争に陥りやすい。
②タクシー運転手の賃金は歩合制の割合が高い特殊な体系になっているが、個々のタクシーの成績すなわち実車率は運に左右されるところが大きく、運転手は本人の努力と関係ない部分で業績不振の責任を負わされる。こういう状況下では、タクシー会社は業績不振の場合にはただ運転手の給料を下げればよいだけなので、企業努力をしなくなる。
小泉改革のせいで、今やタクシー業界が規制緩和論争の主戦場となっている感がありますが、この論者によれば、そもそも現状のタクシー業界には叙上のようなある種の歪みが存在し、規制緩和の試金石とするには不適切だったということになります。
論者は匿名ですが、規制緩和には基本的に賛成の立場のようですから、却って強い説得力があります。やはり、規制緩和をすればいいというわけではない、というのは真実だろうと思いますね。要は方法とタイミングなんでしょう。
かつてはマルクス主義全盛下で冷や飯を食わされてきたせいか、日本の新自由主義者たちには、殊更に庶民の素朴な感情を逆撫でする、過度に偽悪的なところがあるような気がします。高橋さんにもそれを感じてしまいますね。
記事の出典はこちらです。先生のご参考までに。
http://www.capital-tribune.com/archives/2758
ちょうどこの記事のヴァージョン2をアップした後で、ランピアンさんのコメントに接しました。
いろいろと教えられるところが多く、特に「The Capital Tribune Japan」の記事を紹介していただいたのはありがたかったです。
これを読みますと、タクシー業界の特殊性がよくわかります。そもそもタクシー業界を規制緩和の対象とすること自体が間違っているのですね。料金規制を残したために新規参入が殺到したなどという高橋氏の指摘がいかにとんちんかんなものであるかが明瞭になります。それにしても小泉政権の罪は深いと思います。
ランピアンさんのコメントを参考にしつつ、新記事に少しばかり加筆しようと思います。
これからもよろしく。
タクシー業界の規制を存続させようとすることに、驚きです。
The Capital Tribune Japanの記事を書いた人は、タクシー業界では価格統制もしていることを知らないようですね。
公共財を利用することによるタクシー業界の外部性を指摘していますが、自動車税やタクシー税等のピグー税で対応したらいいだけです。その税収で、道路整備や交通整備をしたらいいのです。外部性は、規制を維持するだけの理由にはなりません。外部性が存在することと過当競争になるのは、関係ありません。
乗車する前にそのサービス内容を確認することが難しいので、差別化がしにくいから、規制維持というのも、短絡です。車の色等目印をつけることで、差別化できるし、すでにしています。
実車率が運に左右されることは、規制維持する理由たりえません。業績に運の要素が絡まない産業は珍しい。また、現在でも、流し以外にも車庫待ちが存在しています。優秀な従業員を雇ったり、教育したりするのも、事業者の仕事であり、事業者が責任を負っていないというのは、意味不明の理屈。歩合給が過当競争の理由ではないです。規制でタクシー業界が不当に優遇されていたことが、過当競争の理由です。
タクシー業界に参入したい生産者は山ほどいるのです。
規制のために、タクシー業界に参入できない生産者が可哀そうでなりません。
生産性が向上するということは、それだけ余暇が増えたり、新しい投資ができる、ということです。その際、社会保障は重要なのは言うまでもありませんが。