小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

こんな無意味・有害なことやめろ(1)

2013年11月10日 02時50分35秒 | 社会評論
こんな無意味・有害なことやめろ(1)


 日ごろ、こういうのは、無意味だし時には有害でさえあると思っているいくつかのモノ、コトについて述べます。

Ⅰ. コンビニでアルコールを買った時のタッチパネル 
 これ、だれでも感じますよね。「未成年者」にアルコールを売るのはよくないし、売りたくないと本当に思っているのだったら、店員が「あなたの年齢を証明するものを見せてください」といちいち問えばよいはず。しかし、そんな面倒なことできるわけないし、客だって証明書など持っていることなどまずないでしょう。
 明らかに子どもが買おうとしていたら、君はまだ子どもだから売れないよ、と言えばいいんでしょうが、これもコンビニのバイト店員に義務づけるわけにいかないでしょうな。売り上げにも影響するし、子ども客のほうが「頼まれたんです」と言えば、おしまい。だからしょうがなくてああいうものを置いているのだろうけれど、どう考えても無駄なコストをかけていますね。ある若い店員が「一応押してください。でもこんなの無意味ですよね」と自分で言ってました。そう言ってくれるだけで同志を得た思い。この店員君、エライ!
 高校時代の修学旅行で京都に宿を取った時、友だちと酒を飲もうとして酒屋に行ったのですが、私はガキっぽく見えたので、売ってくれませんでした。そこで、いちばん老けタイプの奴に代わってもらったら、見事に買ってきました。これくらいのゆるい(人間的な)倫理感覚が行き渡っているのがいいと思うのですが、いまの時代では無理ですね。「酒は二十歳になってから」なんていたるところに書いてありますが、あれもなんて無意味なんでしょう。だれも気にしていませんね。こんな文句を書きつけることに効果があるなんて思わないで、大人一人ひとりが自分とかかわりの深い「未成年者」に、状況に応じてタガをはめればよいのです。

Ⅱ. ゴミの過剰分別 
 私は横浜市に住んでいますが、横浜の家庭ゴミ分別は、異常にうるさいのです(知人にこの話をしたら、横須賀はもっとうるさいとのこと)。
 プラゴミと生ゴミとビン、缶、ペットボトルはそれぞれ峻別、新聞、チラシ、雑誌類は、特定の日にひもで縛って出すこと、スプレーや電池も、それぞれ特定の日だけ。粗大ゴミはもちろん事前連絡して、かなり高いお金を取られます。金属類、粗大ゴミでないような電化製品、ガラス製品などは、どうするんだったっけ。とにかくとてもつきあいきれないような細則のオンパレードです。
 まあ、慣れれば大したことはないし、よく処理のわからないものは、新聞紙にでも包んで出してしまえばいいわけですから、細かさそのものに目くじらを立てることもないのですが、腹立たしく思うのは、こういう分別の負担を住民に強いることに論理的な根拠が見いだせないことです。どこが論理的でないのか、すぐ書きます。
 ある時、プラゴミと生ゴミを混合させて出したら、環境事業局の調査員に見つかって、「指導に行くから、都合の良い日を連絡してください」とのチラシがポストに。どうやらゴミの中に私の住所氏名がわかる手紙の類が入っていたらしい。
 私は、ある人の書いた環境問題の本を読んで、その主張をまことに妥当だと思っていたので、横浜市のゴミ分別の不条理さに以前から静かな怒りを抱いていました。「指導」しに来るとは望むところ、こっちにも言い分がある、というわけで調査員との会合が成立しました。私が主張したのは、次の諸点です。
①「ビン、缶、ペットボトル」をなぜ一緒にするのか。ビンと缶は不燃ゴミだが、ペットボトルはよく燃えるし、含水率の高い生ゴミの燃焼を助けるのにたいへん都合がよい。
②私は別の地区の分別を知っているが、そこでは、不燃ゴミ、可燃ゴミという明快な二大別しかしていない。それで十分間に合っている。
③ペットボトルはリサイクルに回すと言われているが、あなたがた市の職員は、リサイクル業者に金を払って引き渡した後、現実にどれくらいの割合でリサイクルされているか事後調査をしているか(じつはこの割合はとても少なく、多くは最終的に焼却や投棄に回されています)。業者に払う金は住民から徴収した税金であろう。
④プラゴミと生ゴミとを分けるのも納得がいかない。現在のプラゴミはほとんどが容器包装だが、これらの材質は、たいへん焼却に適している。
⑤横浜市の焼却炉の能力は極めて高く、しかもNOxやSOxの処理も行き届いていると聞いている。プラゴミも焼却をメインにすればいいではないか。助燃材としての重油もいらなくなる。
⑥私は負担が大きいことに不満を持っているのではない。問題の要点は、市が、住民にこれほどの細かい分別の負担を強いながら、分別された後の廃棄、再利用などの処理の過程を把握していないことである。「このように分別されたゴミは、その分別にふさわしく、それぞれこのように処理されています」と、住民にきちんと説明責任を果たすのが、公正な行政サービスのあり方ではないか。
 懇切に話し合うこと2時間、言うまでもなく、調査員はこれらの主張に一つもまともな答えを返すことができません。そりゃそうですよね。まあ、調査員を問い詰めても仕方がないことははじめからわかっていました。私はいじめ趣味などは持たず、モンスター・クレーマーではないので、最後は「和やかな物別れ」で終止符を打ちました。
 それにしても、何とかしてほしいものです。

Ⅲ. 車内での携帯禁止放送 
 いまだにこれやってますね。「携帯での通話はお客様のご迷惑になりますので、普通席ではマナーモードに切り替え、優先席付近では電源をお切りください。」
 この放送って、携帯メールが普及し、ほとんどの人がスマホを使っている現在、何の意味もないのでは? 私はこの2、3年、電車の中で大声で通話している人を見かけた覚えがありません。技術革新がこの問題を解決してしまったのですね。マナーもいつの間にか徹底して、たまに車内でガラケーの発信音が鳴っても、受信した人は、小声で「ごめん、いま電車の中だから」と断ってすぐに切るのがふつうです。知り合い同士で大声でしゃべっている連中(特に中高生くらいのガキども)のほうがよっぽど迷惑です。
 この放送はかつて、何とか理屈をつけるためにじつに滑稽な説明をしていたのをみなさんは覚えておいでですか。
①「心臓ペースメーカーをつけている方に害を及ぼす恐れがありますので……」
 そんな人がどれくらいの割合でいるって言うんだ! 仮にいたにしたって、携帯使用の微弱な電波が心臓ペースメーカーに害を及ぼすっていう説がそんなにきちんと証明されたのか! ちなみに私のこの言い分に疑問を持たれた方は、以下のURLへどうぞ。

getnews.jp/archives/49911

②「偶数車両では電源をお切りになり、奇数車両ではマナーモードに切り替えて……」
 爆笑ですね。ラッシュアワーでどうっと乗客が出入りして揉まれている時に、自分の乗った車両が偶数車両か奇数車両かなんて、調べてる暇があっか! いったい鉄道会社の誰が、守れるはずのないこんなみょうちきりんで非常識なルールを考え出したのか。
 まあ、過ぎた話なのでいいですが、こういうときは、次のように明快に放送すべきだったでしょう。
「車内では、携帯で大きな声で話されると迷惑に感じられるお客様が多いので、通話はご遠慮ください」
 要するに、物事を遠回しにしか言おうとしない日本人の悪い傾向が出ているのですね。もちろん、この傾向は、よい面も持っていることをおことわりしておきます。

Ⅳ. 駅ホームでの下りエスカレーター専用時間帯 
 私の経験では、東京メトロ東西線、日本橋駅でこれを続けています。おそらく全国の都市駅でこれを実行しているところはたくさんあるでしょう。
 私は、基本的にエスカレーターというのは、上り優先で考えるべきだと思っています。下りは、あればあるに越したことはないですが、あるホームのある箇所に一つしかないエスカレーターを下り専用にするというのは、どうしても納得がいきません。
 私は日本橋駅でこれを見つけたので、使う人がいるかどうか、5分ほど観察していました。空いている時間帯だったためもあるのか、一人もいませんでした。そこで、改札口付近に腰かけている案内役の若い駅員に、あれ、おかしくないですか、とクレームをつけました。
駅員「上りにしている時間帯もあるのです」
私「知っています。でも今見ていたら、だれも利用しませんでしたよ」
駅員「もう一つのほうは上りにしています」
私「それも知っています。しかし、だれだって、電車から降りたら、いちばん近いところから上って行きたいのではないですか」
駅員「階段を上っていただくより仕方がありません」
私「高齢社会で、杖をついているお年寄りも増えています。特にこの時間帯だったら、そういう人のほうが多いんじゃないですか。あなたはそういう人たちにも、向こうのエスカレーターへまわれとか、階段を使えとか言えますか」
駅員「ですから時間帯によって区別しています」
 そもそも時間帯によって区別するという発想がおかしいですね。それなら、ある時間帯には上りを、別の時間帯には下りを利用する人が多いというような調査をちゃんとしたのか。
 らちが明かないと見た私は、「あなたにこれ以上言っても無駄ですから、私の言い分を上司に伝えてください。時間がないので、今日はこれだけにします」と言って立ち去りました。この方式の責任がこの駅員にあるわけではありませんが、とにかく、公共施設の職員や店員には、この種のヘンな杓子定規を機械的に守る若い人が多いですね。「いまの若者は」というセリフは、私にとって禁句ですが、この駅員はまるでコンピュータのようでした。先のコンビニの店員がいっそう輝いて見えます。話が横道にそれるので、ここでは紹介しませんが、信じられないほどマニュアルに忠実で、人間味のない対応をする若者に私は何度か出会っています。仕事はつらいだろうけれど、みんなもっとハートを持とうよ。

Ⅴ. 車内英語放送の駅名「ガイジン」発音 
 もう一つ、電車の話題。
 この話はほかでも書いたことがあるのですが、車内に英語放送が流れますね。これは外国人にとても親切な対応スタイルで、たいへん結構なことです。ところがどうも気になるのは、駅名を言うときに、「シブウヤ」「ヨコハァマ」というように、ネイティヴ・アメリカンの発音を流している線があることです。
 私の経験した範囲では、JR山手線(少し変わったか)、横浜市営地下鉄ブルーラインの二つ。新幹線もまだ残っているようです。東京メトロと東急線各線はちゃんと日本語発音になっています。
 なぜこれがよくないか。地名というのは、人名と同じで、固有名ですね。その土地に住む人たちにとってのなじみ、親しみの感情を最も尊重すべきなのです。アメリカへ行って、「ペンスヴェイニァ」と発音せずに「ペンシルバニア」と発音することが正しいと主張できますか。
 よく英語を話している日本人で、自分の名前まで「イツゥオ・コハァマ」などと調子に乗って発音している人がいますが、非常に不愉快です。アメリカ人と話す機会がたまにあるのですが、私は必ず「コハマ・イツオ」と発音することにしています。これはべつに私がナショナリストだからではありません。とにかく、相手が欧米人だろうと宇宙人だろうと、個人として対等に接するべきであって、欧米人に対するいわれなきコンプレックスを露出するべきではないと考えているからです。
 この話はいろいろな人にしているのですが、ある人が、ああいう発音をしてやらないと、英米人には聞き取れないらしい、という説を唱えました。とんでもない説です。この説自体が事実として間違っていると思いますが、考え方としておかしい。ここは日本です。「郷に入っては郷に従え」。そんな余計な親切を示してやる必要がどこにあるのでしょう。観光にせよビジネスにせよ、日本に来た外国人は、日本語を使うときには日本語の発音をきちんと勉強すればいいだけの話じゃないですか。
 私は横浜市の教育委員をしていた時期に、教育委員というささやかな権威を笠に着ることができるのをこれさいわいと(笑)、同じ市の交通局に出かけて行って、市営地下鉄ブルーラインのあの方式はおかしい、教育上もよろしくない、と抗議したことがあります。すると、ブルーラインよりも後にできたグリーンラインでは、ちゃんと日本語発音にしているというのですね。だったらどうしてブルーラインも直さないのですかと聞くと、「予算の問題とかいろいろありまして」とお茶をにごします。予算の問題じゃない、決断の問題でしょうと言いたかったのですが、まあ、お役所というのはそういうところがありますね。私は「とにかくご検討願います」とだけ言って帰ってきました。
 この話は、みんなが面白がって聞いてくれるのですが、そもそも、みなさん、ふだんからあまりこんなことを気にしていないのですね。私のこだわりが偏屈だということになるのでしょう。でも、これを読んだ方は、ちょっとだけ考えてみてくださいね。大げさに言えば、安倍総理の「日本を取り戻す」という政治的なテーマにもつながってくる問題です。
 なお、今回書いたことは、哲学者の中島義道さんの影響を受けています。中島さんは主として、無意味な音、放送、醜悪な垂れ幕などに対して闘い続けていますが、私はある時期から彼のこの姿勢に感化されて、自分もおかしいとか不快と感じたことは、きちんと冷静に論理的に表明しようと心がけるようになりました。中島さんに感謝。(この項続く)

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1 コメント

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やっぱりキタ─wwヘ√レvv~(゚∀゚)─wwヘ√レvv~─!! (おっさん)
2019-07-24 21:43:15
なんだか中島さんみたいな主張だなあ、と思ってたら(w
スキデス。呉智英にもつながるかも。
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