小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

倫理の起源2

2013年11月10日 02時45分54秒 | 哲学

倫理の起源2





 以上、個体の発達過程に即して語ってきたことは、おそらく人類史の過程で、良心の疚しさの意識、つまり道徳意識が現在のようなかたちに育ってきた道筋にもそのまま当てはまると考えてよい。
 はじめにあったものは、共同体の権威と、それに逆らうことから生じる離反の恐怖であった。この権威は、時代をさかのぼるほど、宗教的な聖性と絶対性を帯びていた。共同体の集合的な意識と、これに属する個人の意識とは、現在の私たちに比べれば、はるかにその隔たりが少なく、両者はレヴィ・ブリュルが『未開社会の思惟』(岩波文庫)で言うような「融即」の原理にもとづいていた。
 また自分たちと自然との関係も、現在の私たちが認めているような主体と客体的対象との関係ではなく、主客未分離の一体的な関係としてとらえられていた。おそらく共同体は、この自他、主客未分離の「融即」的なあり方を基盤としながら、そのような関係全体の秩序の源泉として、「聖なる権威」を表象していたと考えられる。
 だから共同体の精神的な支柱である聖なる観念(神やトーテム)を、何らかのかたちで汚す行為や出来事は、それだけで大きな罪に値した。この場合、「罪」と呼ばれる観念は、共同体にとっての神聖なるものが汚されることと同義であり、したがってあるタブーを個人が破った場合、ただ単にその行為の主体である個人だけが罰を加えられれば済むのではなく、共同体がいただく聖性が回復されるために、言い換えると、共同体のどの個別メンバーにとっても「汚れ」と感じられる状態を取り除くために、祓い清めや禊ぎが行われなくてはならなかった。
 そもそも「罪」という観念自体が、個人がタブーを犯すという意味と、自然の災厄などが共同体の秩序を壊乱するという意味との両義性をはらんでいた。わが国の『祝詞』に記された「罪」概念はそのことをよくあらわしている。たとえば同じ「罪」でも、畔放ち(あはなち)、溝埋み(みぞうみ)、屎戸(くそへ)などは、実質的には暴風の災害を意味していたらしく、頻蒔き(しきまき)、串刺し(くしざし)、逆剥ぎ(さかはぎ)などは人の犯す過ちを意味していたらしい(この区別には諸説あるようだが)。
 こうした世界像のなかでは、個人がタブーを破ったために感じられる「良心の疚しさ」つまり道徳心と、自然災害などによって共同体全体が抱く「神から見放された感じ」とは、集合心理として未分化であるほかはなかった。
 ということは何をあらわしているか。自分たちと自然との融即の関係として成立している共同体が、自然自身の手によるにせよ、人の手によるにせよ、何らかのまがまがしい状態に陥った場合、それは、神やトーテムからの「愛の喪失」を意味するということである。
 おそらく古代人にとっては、この「愛の喪失」状態をどう雪ぐかということのほうが、その状態をもたらしたものが自然なのか人為なのか、過失なのか故意なのかということよりも重要な問題だった。それは彼らが、個人に対して寛大であったという意味ではない。むしろ原因が個人であることがはっきりしていれば、災厄が大きかろうが小さかろうが、簡単に当人を犠牲に供することで禊ぎの一端は果たされたということでもある。
 こうした感受の仕方は、幼児のそれと似ている。
 私の幼いころ、仲間同士で「えんがちょ」という、遊びとも儀式ともつかないやりとりが流行った。犬のフンなどの汚いものに触れた子どもがいると、周りから「えんがちょ、えんがちょ」とはやし立てられた。「えんがちょ」にされた子どもの体に触れると自分も「えんがちょ」になってしまうので、私たちはその子に近寄らないようにしながら、両手の親指と人差し指を組み合わせて鎖を作る。
 しかしいつまでもそうしているわけにはいかないので、鎖を作っている仲間同士で、「てーんのかみさま、ゆびきった」と唱えながら、お互いの鎖を切り合う。そうすると、自分たちの身は浄化されて、「えんがちょ」の子どもとは無縁の存在となれるのである。しかし「えんがちょ」の子どもはいつまでも屈辱感に見舞われて、いわれなき「良心の疚しさ」を抱き続けなくてはならない。
 このやりとりには、未開の共同体の住民が、自分たちの神やトーテムを汚されたと感じたときに陥る原始的な心性がよく保存されている。
 未開社会の場合にも、自分たちの共同性を作っている秩序感覚と安寧とが、何らかの「まがまがしきわざ」によって脅かされたと感じたときに、その恐怖と不安をこれ以上感じないで済むような何らかの儀式を行って、共同性の呪力を回復しようとする。たまたまか、あるいは理由があってその呪力の敵対的な標的とされた者は、共同性から追放されるほかない。
 この原始的な心性の遺制をよく示すものに、被差別感情がある。被差別者は、同じ共同社会の住人であるという素朴な了解の下に人とかかわるが、あるとき差別的な言動に出会うと、自己意識の範囲内には心当たりが見当たらないにもかかわらず、その言動を、何かしら自分の存在自体が「悪いもの」「恥ずべきもの」であると指摘されたように受け取ってしまう。彼は多かれ少なかれ、いわれなき「良心の呵責」に悩むはずである。
 こうして、人類社会全体においても、個体の発達過程にみられるのと同様に、「良心の疚しさ」すなわち道徳心は、合理的な納得によって個人のなかに根づいたのではない。はじめにあったものは、共同体からの追放の恐怖と不安であり、いいかえれば共同体の神の愛を喪失するかもしれないという危機意識なのである。
 自然宗教社会から法社会に移ってくるにしたがい、この危機意識は、ちょうど個人がその発達過程において、一般的他者を自我のうちに内在化しつつ「やってよいことと悪いこと」との分別を身につけていくように、しだいに「正義と悪」との区別の問題に移される。
 そもそも自然宗教に代わって、法的な感覚や道徳的な感覚が社会を秩序づける権威としての場所を獲得するということは、何を意味しているだろうか。
 それは、ひとことで言えば、自然と人為との、また偶然性と故意との、明瞭な分節の意識の確立過程をあらわしている。いいかえるとそれは、この社会は、単に神によって与えられたものなのではなく、人間自身の意志や行為の複合によって作られたものなのだという自覚が深まったことを示している。あるものは自然の「せい」であるが、別のものは現に生の営みを行っている個人や特定の人間集団の意志や行為の「せい」であるという、選り分けの意識の発達である。
 この過程を通じて、人間は、自分たちの意志や行為をそれとして切り取り、その交錯が生み出すトラブルを、文字として書き記された「法」のかたちで自己制御するようになる。そのとき、法というものがまさにだれにとっても自分たちの外側に書き記されておかれているという事情からして、必然的に次のようなことが起きる。
 外側に書き記されたものとしての法は、個々の生活者にとって、「他者一般」の関係に立つ。それはちょうど個体発達において、養育者からの愛の喪失に対する危機意識として不合理なかたちで「良心の疚しさ」の萌芽が芽生え、やがてその危機意識が「他者一般」「共同性一般」に対する「疚しさ」へと発展することで道徳意識にまで高まっていったのと同じである。
 法の存在は、あらゆる個人の外側に書き記されたものとして超越的な権威をあらわすから、各個人のうちのだれがそれを犯し、だれはきちんと守ったかの区別の観念を発達させるであろう。そしてこのような区別の観念の発達は、同時に、各人の意識を、自分の意志や行為が自分の外側にある法に照らしてまちがったものであるかどうかという関心にいつも駆り立てるであろう。この関心は、各人のうちに内面的なものとしての道徳心、つまり「良心の疚しさ」をいっそう育てることに貢献する。道徳的なものがまさに道徳的なものとして自立しはじめる。
 道徳的なものが自立するということは、法からという意味と共同体のもつ宗教的なものからという二重の意味を帯びている。
 共同体の宗教は、法的なものと道徳的なものとの両方を未分化なままに包摂しており、各メンバーの帰依の感情にその根拠をもっている。これに対して、禁止項目を外側に書き記した法は、帰依の感情という内面的なものとは別の位相からその存在の権威を示すので、そこに共同性への即自的な愛の感情を託すことは出来ない。私たちは、あくまでも法に対して、客観的対象として「向き合い」つつ、それとの外的な関係によって自分の意志や行為の妥当性を推し量るほかはない。
 ところが一方、人間の生活上に起きるもめごとや摩擦や秩序の攪乱の実相は、言語という抽象作用によって書き記された法のもつ有限性をいつもはるかに超えている。そこで私たちは、ある個別の状況のなかで生じた意志や行為が、書き記された法を犯していないかどうかとは別の場所、別の尺度で、絶えずその妥当性を自他に向かって問うていなくてはならない。その吟味の尺度となるものが道徳である。
 法が、ある限定された意志や行為の妥当性の外的な尺度となるのに対して、道徳は、あらゆる意志や行為の妥当性の内的な尺度となる。ゆえに道徳は、理性的であると同時に、感情的でもある。それは、書き記された外的なものとしての法が担いきれない内面感情の領域で、その大きな力を振るうのである。
 このように、法と道徳とは、共同体の宗教として渾然一体となっていた規範が、社会の複雑化と個人意識の発達にともなって二つに枝分かれしたところに生じた、いわば車の両輪である。両者は、外面と内面というそれぞれに固有の領域で、社会秩序を守るために分業するのである。
 といっても、両者はまったく相互に関連のない役割を担うというわけではない。法が作られるとき、その内的な根拠をなすものは道徳であるし、法が特定の事案に運用されるとき、具体的にどのように運用されるべきかを決済する力は、原則として道徳にゆだねられている(ここで「原則として」とことわったのは、個別の判決や裁定は、裁判官の人格の偏りや、世論の動きなどに実際上左右されることが大きいからである)。また逆に法の存在は、各個人に対して、守られるべき道徳の一定のモデルを指し示していることも疑いようがない。
 近代社会は、その建前上、宗教によって治められるのではないから、この社会の住人は、誰しも法と道徳との分裂を身をもって味わっている。しかしこのことによって、私たちは、自分の生が共同性によって支えられていることを忘れたわけではない。法の侵犯が発覚すれば、私たちの生はただちに危機に追いやられるし、生活上で非道徳的な振る舞い(たとえばウソをつくことや、友人を裏切ることや、家族を養う責任を放棄すること)を重ねれば、周囲の者からの愛を失うことを知っている。
 こうして、悪をなすことから私たちを遠ざけているものは、それをあえてなしてしまうことによって招来する共同性からの孤立であり、共同性からの追放の予感である。共同性が現実化したものとしての「社会」は、ある個人がその社会の秩序を乱すことが、いかにその当人を、共同性の剥奪された裸の個人に追いやるか、そしてそれがその当人にとっていかに恐ろしいことであるかをよくわきまえているのだ。



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