♪テンツンシャン、トコトントン♪
熊さん へい、ご隠居さん、ごめんなすって。
ご隠居さん おや、熊公か。どした。
熊 へい。ちょいとわからねえことがありやしたんで、うかがいやした。
隠 わからんこと。ま、突っ立ってないで上がんなさい。
熊 失敬しやす。
隠 何だね、そのわからんことってのは。
熊 へえ。じつは不景気のことなんすがね。
隠 ほう、不景気。なんだ、借金で首でも回らなくなったか。
熊 いえ、そうじゃねえんで。たしかにあっしも酒屋に借金してるし、家賃も滞ってますが、何とかしのいでるんで、その辺はご心配なく。
隠 ご心配なくって、おめえ、借金して家賃滞納して、何とかしのいでるはねえだろ。
熊 いや、これまでいつもそうでやしたから。
隠 しょうがねえ奴だな。
熊 いや、酒屋や大家なんぞてえしたこたぁありゃしません。
隠 そんなこと言うと、ばちぃ当たるぞ。
熊 ばちなんぞ怖れとっちゃ生きちゃあいけませんや。それより、昨今、世間に不景気風が吹きまくってるみてえですけど、それについてうかがいてえんで。
隠 じゃ、何かい。おめえ一身のことじゃねえってのか。
熊 へえ。どうもこの世間一般の不景気についちゃぁ、わからねえことがいろいろあるもんで。
隠 ほほお。向学心起こしたってわけだ。どういう風の吹き回しだ。ま、しかしおめえにしちゃ感心なこったな。何でも言ってみなさい。
熊 へえ。いま世間見るてえと、どこもかしこも貧乏人が増えとりますな。ウチの長屋でも去年亭主に死なれたお菊さんてえのがね、これまで仕立て屋から仕事もらって何とか食いつないでたんすが、こないだ、家の前とおったら、シクシク泣いてるじゃありませんか。聞いてみるてえと、このごろめっきり注文が減って、これから先どうやって暮らし立てていったらいいかわかりませんてんで。あっしゃ、つい不憫になって、お菊さんの肩にこう手を置いて、お菊さん、いまにきっといいことあるから辛抱、辛抱て、ながながと慰めてやったと、こういうわけでさ。いや、これがいい女でね。
隠 おめえ、肩に手を置いただけだろうな。
熊 そ、そりゃ、それ以上何にもしてませんよ。嬶にばれたらてえへんだ。
隠 まあいい。たしかにおめえの言うとおり、昨今は貧乏人がぐんと増えてる。それももう何年も続いてるな。で、何が聞きたい。
熊 ところがお上は、景気はだんだんよくなってるとか言ってるそうじゃありませんか。こりゃいったいどういうわけなんで。
隠 うーん、おめえ、いいところ突いてくるな。こりゃこの季節に桜が咲く。
熊 ヘンな褒め方しねえでくだせえよ。
隠 よし教えてやろう。それはな、お上ってのは、昔からそういうウソを平気でつくもんなんだ。
熊 そりゃまたどうして。
隠 そりゃな、てめえたちがやってきたことの間違いを認めたくねえからよ。てめえたちのおかげで貧乏人が増えちまったってこと認めたら、民百姓が黙っちゃいねえだろうが。
熊 でもご隠居さん。民百姓が暮らしに困ってるの援けるのがお上ってもんじゃねえんすか。
隠 それはあの連中の建前ってもんでな。ほんたあ、金持んところにますますカネが集まるようなことばっかりやってる。ほれ、こんどまたモノ買うごとに取り立てる税が厳しくなるだろ。このまんまだと幕府の借金がかさんで、もたねえとかなんとかウソついてな。
熊 え? ありゃウソなんすか。幕府がつぶれっちまっちゃまずいと思って、しょうがねえけど我慢すっかって思っとったんでやんすがね。
隠 ウソもウソ、大ウソさ。税なんか取り立てなくたって、幕府は印旛沼の干拓でも何でも、なんかやりたきゃ、お抱えの両替商んとこ行って、何千両借りるぞって書きつけりゃいいだけの話。まあ約束手形みてえなもんだな。手形もらった業者はふつうの両替商にそれ持ってって、大判小判に代えて仕事に使う、と。こりゃいくらでもできる。そうやってこそ、民百姓の暮らしが潤うのさ。ただこれ、あんまりやりすぎるとコメの値段が高くなって、貧乏人は買えなくなっちまうけどな。そこんとこお上がよく見て気ぃつけてりゃいいだけの話よ。
熊 へえ、幕府が借金するほど、あっしらの暮らしがよくなる。初めて聞いたな。こりゃ世間に触れ回って瓦版にでも書いてもらうとよござんすね。
隠 ただその瓦版がこのリクツを全然わかってねえのよ。お上の言い分をそのまま垂れ流してるだけだからな。
熊 なんだかわかったようなわからねえような話だけど、するてえと、何ですかい。そのお抱え両替商ってのは、別に千両箱ため込んでおかなくてもいいし、幕府も借金するのに、世間にいくらカネがあるか気にしなくていいってことでやんすか。
隠 熊、おめえ、今日は妙に頭冴えてるな。こりゃ、この季節に梅が咲く。
熊 ヘンな褒め方しねえでくだせえってば。
隠 しかしおめえの言う通りさ。そもそもふつうの両替商が業者にカネ貸すんだって、お蔵にカネため込んどく必要ねえのさ。ただ借りに来たやつよく見て、こいつはちゃんと期限までに利子払って返しそうかなって見込みつけりゃいいのよ。
熊 へえ、そうなんだ。んじゃ、あっしもお菊さんのために一肌脱ぐかな。
隠 だからおめえはバカだってんだ。酒代も家賃も払えねえ奴に、どこの両替屋が貸してくれるてえんだ。
熊 なある。それがあっしら貧乏人の悲しいとこっすね。ところでご隠居さん、お上はそういうからくり知っててウソついてんのか、それとも知らねえで税上げるぞ、税上げるぞって言ってんのか、どっちなんす。
隠 それはな、知ってる連中もいれば知らない連中もいる。知らない連中のほうがずっと多いけどな。だから困るんだ。
熊 しかし知っててあっしらから税むしり取るってのは、ひでえじゃねえすかい。誰っすか、その知ってるやつってのは。
隠 まあず、勘定方だな。たぶん連中はほんとは知ってるくせにあたしらに知らせないようにひた隠しにしてる。それでとにかくケチくせえから、自分たちの台所の帳尻合わせることばっかり考えて、これからこんなにカネかかるんで、税よこさねえと幕府の財政があぶねえって脅しかけてるのさ。これ、ずーっとやってきたんで、幕府の他の連中もみんな騙されちまったってわけよ。
熊 んでも、世間にゃおつむのいい学者とかいっぱいいるんでしょう。そういう人たちが、みんな集まって、勘定方、おかしいぞって騒ぎゃいいじゃねえすか。
隠 それがな、学者ってのもお上にくっついてりゃ安心だから、物事の道理をきちんと考えようとしねえのよ。あの連中も、自分の財布と幕府の財布とをごっちゃにしてる。自分の財布の中身は限られてるけど、幕府の財布はいくらでも増やせるんだ。そこんところの違いもわからんらしい。学問やってる連中の鈍感さだな。だから勘定方に騙されるのさ。
熊 なんか、こう無性に腹立ってきたな。だけど勘定方は、どうして知ってながら、やり方改めねえんすか。
隠 そこがお役人のしょうもねえところよ。連中は自分たちだけで仲間作って、いったんこうしようって決めると、ご時世が変わっても何でも、絶対改めようとしねえ。要するに石頭ぞろいなんだな。
熊 あっしが、ねえ頭で考えるに、税取り立てるんじゃなくて、その約束手形でも何でもどんどん振り出せばいいじゃねえすか。
隠 熊、おめえ今日は異様に勘がいいな。こりゃこの季節に雪が降る。
熊 ヘンな褒め方しねえで……。
隠 いやしかし、そのとおりなんだ。いまのご時世はな、モノ作っても買う人がいなくて困ってるご時世だ。だから誰も作ろうとしねえし、そのためにカネ使おうともしねえ。そうすっと働く連中にもカネが回ってこねえ。そこであたしら庶民はしょうがねえから節約しようとする。そうすっとますます買う人がいなくなるから、モノ作るためにカネ出す人がますますいなくなっちまう。
熊 ふむふむ、なあるほど。……そうすっと働く連中にますますカネが回ってこねえから、ますます節約する。そうすっとますます買う人がいねえから、モノ作るためにカネ出す人がますますいなくなっちまう。そうすっと働く連中にますますカネが回らなくなるから……。
隠 いつまでやってんだ、熊。もういいよ。とにかくこうやって回り回って貧乏人が増えてるのさ。ところがお上は何やってるかってえと、そういうご時世に、庶民からカネ吸い上げて、使えるカネ少なくさせて、悪いご時世をさらに悪くさせてる。みんながカネ出す気なくしてるときにお上がやるべきなのは、自分たちが借金して、干拓でも作物の栽培でも何でもいいからどんどん民のために仕事作ってやることなのに、逆をやってるってわけさ。
熊 ご隠居さん、出刃包丁一本貸しておくんなせえ。
隠 なんだ、やぶからぼうに。
熊 あたぼうよ。その勘定方のおエラいさんてえ奴めっけ出して一発かますのよ。
隠 ちょ、ちょっとぶっそうなこと考えるんじゃねえ。おめえには女房も子どももいるじゃねえか。つかまって手打ちんなったら、おめえはいいかもしれねえが、路頭に迷うのは女房子どもだぞ。
熊 じゃ、こういう理不尽、許しといていいんすか。
隠 よくねえさ。あたしもそれは十分承知してる。しかし、いかんせん、お上に逆らったって手打ちにされてそれでおしめえだ。
熊 じゃ、あっしら弱いもんはどうすりゃいいんすかね。
隠 血の気の多いおめえにゃあ、我慢ならないかもしれねえが、お上の考えが間違いだってことをできるだけ多くの人に伝えてだな、だんだん仲間作って、その力使って、お上に改めさせていくしかねえだろうな。
熊 そりゃあ、何年かかるんすかね。
隠 さあ、こればっかりはあたしにもわからん。十年、二十年……。
熊 その間にお菊さん、飢え死にしちまいますぜ。
隠 なんだ、やっぱりお菊さんのことだけしか頭にねえのか。
熊 へえ。キクは知るの初めなりって申しやすから。
♪ツレトンシャン、トントトトン♪
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