由紀草一氏と私が共同主宰している「思想塾・日曜会」の一環として、「文学カフェ・浮雲」というのが運営されています(運営責任者・兵頭新児氏)。1月10日にこの会が開かれ、私・小浜が太宰治の短編をテキストに、レポーターを務めました。扱った作品は、『春の盗賊』『新郎』『十二月八日』『男女同権』『トカトントン』の5作です。その時提出したレポートを訂正・加筆したものを、以下、2回に分けてこのブログに掲載します。久々に文学がテーマです。
「思想塾・日曜会」のHPへのリンクは、このサイトの下部にURLが貼ってありますので、そちらをどうぞ。
【はじめに】
太宰作品は、中学校教科書で「走れメロス」がよく取り上げられます。これは友情を守ることの尊さを主題にした作品だという教育的効果を狙っているのでしょう。しかしこの作品は、太宰作品の中ではあまり上出来とは言い難いし、また太宰らしくないテーマでもあると、私は思っています。
高校から大学くらいになると、文学好きが個人的に太宰作品に触れるようになり、『人間失格』『斜陽』『ヴィヨンの妻』(いずれも戦後作品)などの「代表作」にいかれる、いわゆる「太宰ファン」が大量発生します。自分自身の中にある弱さをそこに投影でき、そうした自分を代弁してくれているような気がするからでしょう。
しかし文学作品として見た場合、これらは太宰自身の直接的な自己投影の度が強すぎ、それは同時に彼の「本領発揮」の力が弱ってきたことを意味します(ただし『斜陽』は長編としてはかなり成功していますし、私も好きです)。これらの作品だけを読んで、その「弱さの自己肯定」臭に嫌気がさし、逆に太宰嫌いになってしまう人も多いように思います。しかしこれでは太宰文学の優れた点をきちんと評価したことになりません。
私自身が初めて太宰作品に触れた時、上記のいわゆる「代表作」を読んで、なぜこれがそんなにいいのかわかりませんでした。ところが数年後、彼の全作品を通読する機会があり、「これがわからなかったとは」と、かつての自分の未熟さを恥じた覚えがあります。この数年の間に私は大学紛争での挫折や母が精神を病んだ経験をもっています。それらの経験が私を多少大人にしてくれたように思います。
太宰作品には太宰自身と思しき主人公が一人称で頻出しますが、太宰は私小説作家ではありません。このことを押さえることが太宰文学の理解にとってまず何よりも重要です。
また彼の文学的教養はたいへんなものですが、けっして「教養主義」ではなく、むしろ自分が身につけた教養を恥じていました。
さらに彼が極度にデリケートで傷つきやすい性格の持ち主で、自意識過剰であったことは確かですが、彼のいくつかの成功作では、その過敏さを逆用して、他人の中に巧妙に入り込み、他人の意識に非常にうまく取りついてしまう(憑依してしまう)方法が用いられています。自意識とはすなわち対他意識です。
例:「皮膚と心」「女学生」「駈込み訴へ」「カチカチ山」「盲人独笑」など。
この特性と、彼の作の多くがパロディ(パクリ)であることとは深く連続しています。ちなみにパクリという言葉にはネガティブなニュアンスを込めていません。そっくりの盗作でない限り、パロディやパクリの名人であることが、いかに特異な才能を要するものであるかは、一度本気で言語表現に取り組んでみた人ならすぐ納得するはずです。そもそも個人表現の独自性、独立性という事実に価値を置き過ぎるのは近代以降の傾向で、先人の思想や文学に依拠していない作品などありえないのです。言葉は共同体の共有財産です。いかにかつて語られた言葉を生き生きと賦活させるかが大事なのです。
また彼の文体の特徴は、落語のように物語を語っていくところにあります。一見思いついたままを放胆に語っているように見えて、そこには、実際の落語がそうであるように、意識的な計算に基づいて言葉を選んでいる痕跡がうかがえます。
物書きの楽屋などいちいち詮索しない読者は、これらのトリックのために、その軽妙で平易な語り口に思わず乗せられ、魅せられてしまうのです。
【春の盗賊】昭和15年1月発表 太宰30歳
この作品は、結婚後1年を経ずして書かれています。
主題であるはずの「どろぼう」が実際に登場するまでに全ページの3分の2ほどを、「私」が実際の太宰ではないことについてのしつこい言い訳、不眠に悩まされる自分の述懐、来し方の反省、文学への執着、その他の与太話に費やし、どろぼうを自分から招き入れて対話してからも、ひとりごとのように妄言を繰り広げ、余計なことを言って引き出しからなけなしの20円という大金をあっさり持っていかれてしまいます。奥さんが隣室でその様子を始めからうかがっており、最後に慰められ、たしなめられて、しかし心の底では、この現実的で健全な日常生活に甘んじてしまうことに満足できないことを吐露して終わります。
この作品は、青年時代の乱脈から立ち直った太宰が、かつての奔放な、しかし自己をさいなむ生活状態から、賢い妻を得て安定した作家生活に移っていく途上で書かれています。「炉辺の幸福、どうして私にはそれができないのだろう」とは、後の彼の述懐ですが、彼は戦後に至るまでのこの期間は、それができていたことがわかります。
どろぼうの登場以前とどろぼうがリアルな行動をしている間に繰り広げられる「私」の絢爛とも評すべき妄想・連想・饒舌の展開は、語り師としての太宰の才能の凄さを感じさせてあまりあります。
また、「私」が太宰自身でないことのしつこい言及は、作家個人としてはかつて受けた誤解を避けるという動機があったのかもしれませんが、この言及には、日本の自然主義文学が読者に対して進んで招き寄せたこの大いなる誤解(悪弊)への克服の意志が込められていると思います。「私」はここでは二重にからみあった存在として描かれていて、自己韜晦と自己執着の表裏になった構造が見られます。これが太宰の表現意識の原型と言ってもよいでしょう。「私」という語そのものがフィクションとして設定されていますが、同時にそのフィクション仕立てそのものを意識的に種明かしする――この方法のうちに、人はいかにも太宰的表現の典型を見出すでしょう。メタ「私」、メタメタ「私」と呼んでもいいかもしれません。
ところで、肝心の「どろぼう」は、華奢な女として設定されています。そこで私は、これは奥さんのデフォルメだろうと解釈します。もちろん最後に実際の奥さんが登場するのですが、太宰は巧妙に奥さんの分身をどろぼうに託して表現しました。
では彼女が盗んでいったものは何か。生活費の20円であることはもちろんですが、「私」が稼いだ金を生活のために使うのは奥さんです。太宰は、その事実を落語的なヒューモアによって表現してみせたのです。
太宰は奥さんを作中に登場させるときに、けっして彼女を悪く言うことがありません(岩野泡鳴などとそこが違うところ)。女房に頭が上がらないのと女性に優しい彼自身の性格がそうさせたのでしょう。この作品でも、奥さんをひそかに恨んでいたなどという気配はみじんも感じられません。だからこそ、女泥棒という、実際にはあり得ない着想で結婚生活が強いて来る現実の厳しさを表現したのだと思います。
じつはもう一つ「私」が盗まれたものがあります。それは、この作品のメインテーマに関わるもので、自ら恃んできた芸術家としてのプライドです。このプライドの過剰な部分の放棄は、本当は生活破綻を極限まで突き詰めてしまった太宰が、自ら屈して現実生活を受け入れたところから生まれたのですから、「盗まれた」とは言えないかもしれません。しかし最後の「私」のセリフには、実生活を選んだことで、もう帰らないロマン的心情への未練が響いています。
一編の主題を簡単に言えば、芸術と平凡な生活とのどちらにも徹することのできない一人の男の悩み、というところでしょうか。
途中にこういうくだりがあります。
《あたりまへの、世間の戒律を、叡智に拠って厳守し、さうして、そのときこそは、見てゐろ、殺人小説でも、それから、もつと恐ろしい小説を、論文を、思ふがままに書きまくる。痛快だ。鴎外は、かしこいな。ちゃんとそいつを、知らぬふりして実行してゐた。私は、あの半分でもよい。やってみたい。》
そしてこの芸術と現実生活との引き裂かれは、この先も続く太宰文学にとっての本質的な主題の一つでした。しかしそれは、結婚生活での落ち着き(美知子夫人のもたらした功績が大きい)と、戦争に突入していく日本の非常時という状況の中で、直接露出することなくうまく隠されて、その結果かえって多くの佳品を生み出しました。戦後その自己カムフラージュが崩れてしまうのですが。
つまり『春の盗賊』は、青年の嵐の時期から中年の安定期への過渡を表す重要な作品なのです。趣向を凝らした面白い作品であるだけでなく、太宰文学を批評するうえで外せない作だと思うのですが、今までこれについてきちんと取り上げた例を私は寡聞にして知りません。
【新郎、十二月八日】(昭和16年12月執筆。太宰32歳)
①『新郎』(十二月八日脱稿)には、日米戦争開始の日を迎えた男の生真面目な気持ちが素直に描かれています。これはこ
れで当時の一般男性庶民の偽らざる気持ちの表現になっていて、身の引き締まる思いが感じられます。
ところが、訪ねて来る大学生や手紙をよこす国民学校の訓導や遠方に住む叔母に厳しく対応していながら、それをわざ
わざ「俺はこんなに真面目に殊勝になっているんだぞ」と書くところに、太宰ならではの自己相対化の芸が感じられるの
です。
また、最後の馭者との対話と、紋服を着て銀座八丁を練り歩きたいなどの願望の表現のうちに、自分の肩ひじ張った殊勝
ぶりに対する自己戯画化が施されています。そこに、本気で言っているとは思えないユーモラスな偽装(仮装)が感じら
れます。
『春の盗賊』に見られた二重化された「私」、いつも生身の「私」を超越する「私」の視点を作者はけっして離しません。
自分の来し方のダメさ、一般人として生きることの出来ないコンプレックスがにじみ出ていて、そういう自省と羞恥の上
にしか成り立たない作品でしょう。
しかし、これだけだったら、彼のいつものやり口であり、さして特徴的とは言えないかもしれません。ところが太宰は、わずか二週間弱ほど後に、『十二月八日』(十二月二十日ごろ脱稿)を書きます。今度は奥さん(美知子夫人)の立場に立って、厳粛な心掛けを吐露している夫の気持ちにそのまま寄り添うのではなく、普段の夫の姿をよく知っている人にしか書けないようなスタンスから、その滑稽なさまを描き出しています。
これによって前作の自己戯画化、自己相対化の視線はさらに明瞭になります。説教師よろしく似合わぬ裃を着てはみたものの、西太平洋がどこかも知らず、原稿を届けてしまえば殊勝な心構えもすぐに崩れて、出先で酔っ払って帰ってきて放言するいつもの癖をさらけ出します。その姿態を、奥さんは見逃しません。どうせまた今夜も帰りは遅いだろうということまで見越しているのですね。
ですがその見逃さない奥さんの視点を描くのは太宰自身であるという事実に注目しましよう。
この作品と前作とをセットにして読むことで、男と女とが、この日をどのように迎えたかが、よくできた夫婦漫才のように見えてくる仕掛けになっています。
もちろんこの女主人公も、この特別な日をある種の感動でもって迎えていることは確かなのですが、女のまなざしは、裃を着ようと息張っている男のそれとはまったく異なり、普段とほとんど変わらない暮らしの細部を掬い取り、赤子を抱えて一日を過ごす苦労をさりげなく綴っています。
以上で、太宰は大東亜戦争開戦に対して本気で興奮していないことがわかります。自分が引き締まった気持ちを抱いたことにウソはないのでしょうが、むしろそれを、語り手をチェンジさせることによってすぐに「語り」の素材にしてしまう醒めた目こそが、文学者としての太宰の本領なのです。優れた語り師はこのように、自分自身とその周りとに絶えず気を張り巡らせています。この「語り」の位相は、世界を大真面目に硬直した眼で眺める「男」のある種のタイプを顔色なからしめます。
太宰は、島崎藤村のように「お面!」と大上段に構えて打ち込む作家を嫌っていました。優れた「語り」には、「やんちゃの虫」「ユーモアとパロディの精神」「自分を突き放す二重の目」がぜひ必要なのです。
ちなみにある若手の保守系政治学者が、雑誌論文で大東亜戦争期を論じていました。それはそれでまっとうな政治論文でしたが、その中で太宰の『新郎』を取り上げ、太宰治は愛国者だったと評していました。これはいただけません。冒頭に述べたように、『新郎』は『十二月八日』とセットで読むことで、初めて太宰文学らしさが浮き彫りになるのです。この学者は、申し訳ないけれど、文学の読み方がわかっていないと申せましょう。
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社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
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