天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

ユニセフはカルトなのか?(罵倒シリーズその9)

2018-12-07 19:11:34 | 罵倒シリーズ
 先に、「国境なき医師団」に対し、社費を流用した、理不尽な拠出に無思考、無原則に加担した、私企業ジェイシービーの拙速について、言及(拙ブログ、「拝啓ジェイシービーEC・ソリューション開発部様(あなた方の「不道徳性」について)」)しました。

 このたび、欧米発、第二次世界大戦の勝ち組の国家連合(以下「国連」と称する。)傘下のユニセフによる、目に余る、弱者(時に頭の弱い弱者です。)の煽動・そそのかし行為を、民放衛生放送で見ましたので、再度、告発します。

 そのコマーシャルにおいて、まず最初に、戦後学校給食に供された、脱脂粉乳を飲んで育ったという、上品で、お人よしそうなおばあさんが登場します。それはどうも、退職後間もないあるいは間際の団塊世代前後を、その射程においているのでしょう。
 彼女の問わず語りで、敗戦後(大東亜戦争によるもの、以下「戦後」と略称します。)、われわれの父祖とその家族が飢えていた時代、学校給食に、米欧の余剰生産物が、ユニセフを通じ、国民生活に救いをもたらしたかが力説されます。「おいしくはなかったけれども」と、巧みに視聴者の反発を避けるガス抜きがされます。
 そして、最期に、「私は、食うだけの問題は片がついた、(このうえは)残りの財産は世界の貧困地域の貧民に寄進します。」、と決意表明がされます。まさしく、巧妙なソフト・スターリニズムのやり口ですね。どうもオームの勧誘に近い。

 かつての戦後の左翼運動は、戦争中の「滅私奉公」に閉口したのか、国家に対し、「私的利害」を主張することが、戦略的に(反権力の戦いとして)正しい、と主張しました。
 そして、現在になっても、時代遅れになったバカサヨクが、ダムの建設や、原発の建設など国家規模の事業におしなべて真っ向から反対して、その事業の多くが、自身を含めた社会の経済発展や安心安全の確保など国民大多数の利害に適うのに、悪乗りして、ひたすら腐った私権利(決して「権理」ではない。)を主張するのは、さすがにあさましい姿です(死ねばいいのに)。

 まず、同様に、私の児童生活体験から入りますが、「ポスト団塊世代」私たちとしても、「あのまずい粉ミルク」か、と記憶がよみがえります。当時、確か、アメリカでは家畜のえさと、揶揄されていたように思っています。
 貧しかった当時でも、少なくとも、冷えた粉ミルクを飲み干すのは決意が要った。
 それは、「お残しは許しまへんで」という、当時の戦中派の教師たちのしつけです。当然、しつけは必要でありますが、いくら当時のいなかの生活水準に類比しても、まずいものはまずいのです。
高度成長期であり、まだ、都会からの転勤族もあったころであり、憧れの転校生から、給食時に、「これまずい、君飲めよ」と真顔で、勧められたことがあり、すでに都会では、牛乳が一般的であったやも知れません。彼の父母ともに大学卒業者であり、いなかでは、めずらしい類でありましたが。
 当時、給食自体もまずく、粗雑で大雑把な調理であり、明らかにあの自校方式の調理であったが、偏食(肉も野菜も食べられなかった)で、給食を心底憎んでいた私とすれば、今になって喧伝される自校方式の給食に、特に、何の思い入れもありません。
 基本的にあれは、収容所の食い物なのですね。
 学校教育において、それを連想・想起しない、調理の工夫や、配膳の仕方に応分の配慮と努力を払うことは当然のことと思われます。給食に依存する極貧(?)・ 育児怠業家庭の児童についても、食事にかかわる、食事の秩序と喜び、他者からのあるいは他者への配慮を感じさせることは、教育上重要と思われます。ただでさえ忙しい、先生の仕事がまた増えて、大変お気の毒ですが。
 いずれにせよ、児童・生徒に、満足に給食が与えられないは、一義的に当該国民国家の政治権力及び政府の責任です。
 それを抜きに、他国や、他国の国民に、前提なしに、善意や、出えんを求めるのは、国家あるいは当該国民にとって、はずかしいことです。少なくとも、日本人の一部にはそのように考える人はいる。

 われわれが、かつて伝記を読まされた聖者シュバイツアー博士(毀誉褒貶はいくらもあるだろう。私も「風に立つライオン」を連想してそのつまらない理念に嫌な気持ちになる。)の時代と同様に、現在ですら近代すら経由していない国家であれば、当面生き延びるために、過去、帝国主義・植民地主義の時代において飢狼のようにふるまった他国の国民にすがりつくのはやむを得ないことだろうが、そんなことはありえないだろう。あれば、それを政治の退廃というものです。それを許していることは、国民国家総員の責任です。
 少なくとも、明治維新を勝ち取った国民国家日本の私たちとすれば、そこは、大敗北から立ち上がった、当時の先人たちに深く感謝するとともに、現在・今後、私たち国民大衆、そして彼らがどうすればいいのか、問われれば答え、自国を含めて、当該正しく自立をするにはどうしたらいいのか、それぞれ考え、それを胸に刻んでおく必要があると思われます。

 また、同様に大東亜戦争に敗北した日本国が、当該国連に疎外され、その後も一方的に悪者にされるたことは、大多数国民にうすうす察知されているところです。したがって、戦後、少なくとも、バカ左翼も、国連及び傘下団体に一方的な賛美をすることを控えてきた。

 その後、現在のわが「平和」国家に対し、経済・軍事実力を貯え、大国になった中共とその軍門に降った南鮮、独裁国家北鮮のあらゆる攻撃を受けている状況を、わが国民国家日本では、よほどのバカでない限り、大多数の国民が同様に、それなり認識しているところです。
 この際、現在のアフリカ、アジアの諸国を、軍事・経済的に、文字通り、搾取・収奪している、中共が、当面、彼ら及び私たちの敵であることを、認識すべきでしょう。

 いずれにせよ、私には、日本国で言えば大東亜戦争の、勝者の連合体である国連の、その傘下の、ユニセフが、過去において、敗者、貧者であったわたしたち日本人に、「恵んでやった恩を返せ」、と言っているように思えて仕方がないのです。
「そんなことはない、(神の前の立場で)私たちは個々の人間の善意や良心に期待しているだけである」と、抗弁するかも知れないが、いかんせん、このコマーシャルは性質(たち)が悪い。戦後を、必死に善意・無過失で生き延び(少し頭は弱いが)、そのうえお人よしのおばあさんに、「遺産を皆差し出せ」、というのはひどいのではないか。
 同じく、民放BSで、高齢者を相手に流されている、「少しは(子・孫に対して)現金を残したいから」という、老人に勧奨する生命保険のコマーシャルを見、苦しい中で老いの年金を割いて、実際のところ、相互の訪問すらするかしないと思われるような親族を無償で思いやる、老人たちの苦衷と、せつない思いやり(執着といえば悲しいが)を観てしまうが、世の中には、仏法におけるような喜捨があると言っても、常識や、社会通念というものがあるでしょう、と、思えるところです。
 それを言えば、信者やシンパに、際限のない経済的負担と、命までささげさせた、オームはもちろんのこと、法華経系の新興宗教で、フランス国ではカルト教団に指定されているという巨大教団、S・G(このたびも、世紀の愚策、消費税の引き上げを画している。)も、寄付・さい銭はいくらも受けるだろうが、世をはばかってか、さすがに、全財産を寄付しろ、とは言わない。「生かさず殺さず」、騙す側にも中・長期的戦略があるのである。
 その意味で、当該ユニセフの戦略は、その欧米出自の伝統に基づき、どこの国民からでも、奪えるときは根こそぎ奪うという、グローバリズムの戦略によく似ている。大衆の「善意」や「良心」を媒介に、甘言を以て奪い取るという、スターリニズムや、カルト宗教、ユネスコと結託して、世界記憶遺産「南京大虐殺」などをでっちあげた中共のいつものやり方である。

 いずれにせよ、無考えのお人よしについては、「バカと金は容易に離れる」という、西欧のことわざと同様な結果となる。
容易に騙される人は、世の中にいくらもいるので、いまさら言挙げる必要はないのであるが、組織的に、正義の仮装を以て、全国民を対象に実施される、このキャンペーンは如何と思うわけである。少なくとも、公序良俗に反する放送ではないのか。
そういえば、当該おばちゃんは、かつて国連の高等弁務官であった、緒方貞子さんによく似ている。これも日本人に対する巧妙なイメージ戦略であろうか、なかなかの戦略と悪智恵である。さぞかし、膨大な予算と、人材を投入しているのであろう。
 グローバリズムの時代とは、つくづく嫌な時代である。

 緒方さんによく似たあなた、貧しい少女時代を過ごし、その後も困難な社会状況の中で奮闘(どの日本人でも同様でしょう)され、運よく、現在の「当面食うに困らない」状況になられたあなた、自己の身銭を割いて、正しい理念に寄付されるのは尊いことです。
 そして、あなたが、国内の悲惨な災害事業や赤十字などに応分の寄附をされるのは良いことです。

 しかしながら、現在、国民国家日本国の屋台骨は軋んでいます。
 長引くデフレと景気対策を怠る財務省=政府の意向で、若者たちは将来に向けた安定した生活を築けず、グローバリズムの嵐によって、前述した、覇権国家中共、それに臣従した南鮮、連衡する独裁国家北鮮の攻撃のもとに、国土防衛、国土の安心・安全は風前の灯です。

 そして、考えてみてください。
 将来の国民に大災厄をもたらす、グローバリズムを根拠なく信仰する、バカで無考えの与党・野党、一部権益者が一体になった世紀の愚策、①外国人労働者の無原則な受け入れ(国内経済の疲弊と安心・安全の確保)、②水道事業の民営化(山口県人として、先の周防大島町の外国船籍貨物船の不注意衝突事故で離島橋りょうが破壊され、添架水道管が断裂し、離島住民のライフラインが途絶し、数ヶ月にわたり、島民は塗炭の苦しみを舐めた事故を踏まえながら、このたび、国会を平然と通過したが、ライフラインを私企業、外国企業に売り渡す日本の政治家は心底の人でなしであると深く思った。)、③消費税増税(財務省、政府与党の一部とS・G教団政治部と結託した勢力が推進し、デフレを加速し、日本の経済改善に決定的な悪影響を与え、中小企業を倒産に追い込む愚挙を図っている)、他にも、農協の解体など、明らかに大多数国民大衆に不利になる、愚かで卑劣な政策に対して、この際、私たちは、意識的に、毅然と、反対の立場を顕わしましょうよ。
 実際「慈善」活動ができるのは、国民の余力があるときだけです。

あなたは、上記の数限りない悪政策のもとで、将来、うめき声も上げられず、何より、大多数の日本人にとって、将来に希望の持てない日本国になることを望みますか。
 少なくとも、私たちの責任で、政治により「変えうるものを変える」こととし、私たちの、子や孫のために、政府を指弾し、粘り強くたたかいましょうよ。
 百田尚樹が言うように、それは、私たち世代の責任じゃあないですか?

 あなたに、2016年出版されましたが、いまだにその射程も、予言も狂っていない、「デタラメが世界を動かしている」(小浜逸郎著、PHP研究所、1700円)を、おすすめします。厳しく、真摯な、情況への発言です。