天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

香月康男美術館来訪記 その1

2022-06-14 11:00:09 | エッセイ

うちの孫の、アゲハ、最初の狩猟成果です。
器用に、あみを振ります。
この前から、オニヤンマが獲りたい、獲りたいといってましたが、真夏じゃないとだめだよと、じじ(昆虫博士)は言ってましたが、目の前に留まるのを見つけ、孫と現認し、率直に謝罪しました。私にとって、孫と一緒に、オニヤンマの、ホバリングを観たのは、中幸福くらいです。
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山口県の宿泊施設振興に係る、県民割のクーポンが利用できるのは、当初、本年三月末であり、それで完了するものと、考えていました。
しかしながら、私たちにとって、うれしいことに、当該クーポンの給付が延長となり、段階的に、5月末までに延長され、このたび、6月末までに再度延伸されたようです。
私は、引退後、待っていたような闘病生活に入って以来、さすがに、うっくつする日も続き、移動に負担がかかりにくい、県内に、容易に旅行ができるのは、私たち夫婦にとって、まことに喜ばしい事です。
また、その利用が、昨年一昨年と続いた、ゴー・ツー・トラベルのキャンペーンが、ともすれば高級(?)旅館利用に、偏っていたのに対し、安直で、気の置けないホテルまで、利用が拡大されたのは、県民全体にとっても、喜ばしい、ことです。
妻に任せれば、様々な興味深い優良旅館を見つけてくれるのですが、私、今、食味障害があるので、何を食っても、あまり、快、不快もない。
無味でないのが、幸せくらいです。
もともと、旅館など、形式的には、かんずめになるので、本来、あまり好きではない。
超高級リゾートなどであれば、それなりに内部見学で工夫が見え、興味深いかも知れないが、コロナファシズム隆盛の、このご時世に、そんなものがあるとは思えない。
やはり、私にとっては、それぞれの地区地区の歴史や文化など、出歩くたびに、個人的な見聞や、腑に落ちること、好奇心を満足させる方が、望ましい。
ということなら、時には、県外にも出たいのですが、バカな隣県、広島県は、6月以降、県外クーポンを利用するのに、無意味なPCR検査、ワクチン接種証明を義務付けると、言っています。
広島県民がバカで、性格が悪いのではない、要は、岸田文雄がバカなのです。
これは、広島だけかと思えば、どうも、中四国、九州と、ガイドラインになったようです。
観光業者たちにとっては、現場の対応は地獄みたいなものか知れないが(電話してみてそう思った。)、生きていくことは、本当につらいことです。

それにつけても、重ねてバカな話ですね。
バカにも、意地悪をする、クソ意地があるということでしょう。
最近、広島に行くのも、嫌で、億劫になり、選挙区だけで、広島に帰ったこともないであろう、岸田文雄に決して会わないのは、小幸福ですが。
従前は、広島市というところは、「仁義なき戦い」という映画で見たように、理不尽で、暴力的な人ばかり住んでいる(笑い)(そちらの方がわかりやすく望ましい。)と、勝手に予断していました。
 しかし、決して、そうではない。広島県民の大多数は、岸田文雄の理不尽な、コロナファシズムに対しても、年末から始まった反観光キャンペーンにも、地元観光に対する反動政策にも、黙って耐えた。
 これは、よんどころない事情で、昨年来、ずっと広島市に通っていた私には、よくわかります。
 殊に、宮島観光など、ようやく景気が回復するだろう時期・過程で、岸田氏に水を差されて、こちらが、気の毒になるようにみて取れました。
 あれをみていれば、歴史ある宮島にわたる意欲も何も、なえてしまう。
 今後は、以前宮島で出会った、下衆な中国人たちが、いずれ今後、闊歩するのでしょう。
 以前、さる温泉旅館で、中国人観光客を優遇し、今まで日本国民に許していた、日帰り観光客の入湯を、予告なしに断ったので、そのことに対し、抗議もしました。
 当然、コロナ以前の出来事です。
 頑迷な、フロントのデブ親父は、頑として受け付けませんでした(腹いせに抗議する私をハゲ、と心の中でののしるのはあんたの勝手)。
嫌な、苦い思い出です。
 そのホテルですが、実名は挙げませが、営業はしているようだが、今も、その無礼な付けを払っているもかもしれない。私の知ったことじゃないが。

 広島市において、例えば、市内を運転していても、ことさらに粗暴な運転者がいるわけでもない。
 しかしながら、市内商店街は着実に、明らかに衰退している。
 広島市民にとっては、随分、理不尽な話です。
 私が定宿にしていた、伝統ある老朽化ホテルも、この3月末で廃業しました。
 ようよう三月初旬、そのことを、フロントの心ある女性が私に教えてくれました。
 今になって急に言われてもこっちも困るが、という、私の本音ですが。
 それ以降、もう広島市には泊まらない。
 その廃業原因を「コロナによる、客数減による」、と言っており、半官半民のホテルだったので、思い切ったことを言ったな、と、私には思われたところです。
 ここは、市内の一番の優良地に立ったホテルで、お人よしの私とすれば、広島県民の迷惑を鑑み、中国資本に買われなければよいがなと、本気で思っています。

 それはそうとして、広島の政治勢力は、非常に嫌なところで、広島市の高教組、労組、反核、反原発組織はまことに下衆な団体です。
 岩国米軍基地に反対するため、岩国基地の騒音にいちゃもんをつけたり、中電の、原発余剰電力など、広島市民くらいしか受益はないのに、安心安全な、地点から、山口県の原発予定地決定になんくせをつけたり、そのバカげたパヨク性と、反動性に定評があります。
 それ以前に、私には、許せない思い出があります。
 2011年の3.11,東北大震災の際にも、自然災害によって、2万人弱の自国同胞が理不尽にもなくなり、その被害の直後、地震の被害状況も、住民の苦衷、苦悩もわからない時期に、「原発があるからこんなことがあった」と、コメントをだし、彼らは、その、人でなしぶりを、存分に発揮したの
です。(科学兵器と、科学技術を、同意に論じる、彼らの低能ぶりを私は、決して許しませんが。)
 さすがに、人とも思えない、その所業に、私も心底怒りを覚え、要は、自然災害も、核兵器も、原発もおしなべて政治的に利用しようとする、腐った政治主義と、退廃した人間的な不道徳性に怒りを覚え、SNSを通じコメントを出し続けました(東京パヨクに遮られ無力ではあった。)。
 終いには、「もしあなたが人間であれば、私は人間ではない。もし、私が人間であれば、あなた方は人間ではない」、シベリア抑留で練り上げられた、石原吉郎の、無理解者、敵対者の「人間性」へ対する厳しい拒否を思い出したわけです。
 もっとも、この石原吉郎の場合は、強制収容所で、人民抑圧を繰り返す、ソビエトスターリニズムの役人と協力者に対してですが。
 それを言えば、この人たちは、もともと、ソビエトスターリニズム、極左中国毛沢東主義、いわゆる、個々の人間の家族尊重や、併せ持つ社会的親和性の存在を打ち消し、党への奉仕を強要し、その親族によって人前でつるし上げ、粛正するような恐ろしい共産主義イデオロギーの、いわば戦後共産主義の鬼っ子たちのシンパなので、さもあろう、ということです。
 すでに、日本人であろうということを、拒否しているのかも知れない。
 今も、ウイグル、チベットで、中国がまったく同じ、民族浄化を繰り返すことを、彼らは支持します(政治団体として何のコメントもしないということはそういうことだ。)。
 さすがに恥ずかしいのか、顔をよそに背けていますが、加担していることは、発言すらしないことをみれば明白です。
 要は、こんな人たちを、日本人と認定するのは間違っているということです。
 グローバリズムの手先、そして、破綻した、世界同時革命、世界永久革命の手先なのです。

 「非核三原則は、(広島パヨクのタブーなので)国民が考えなくていい」、と、日本人を無権利者・無能力者として判断し、とことん、バカにした、要は、国民の政治参加と、政治理念表明を、侮り虚仮した、いわゆる本来的な意味で、民主主義を否定した、岸田文雄と、まことに相性が良いわけです。
 内閣不信任案は、この時、提出すべきだったのです。
それを理解できない、立憲などのパヨク勢力はバカなもんだが、彼らは、同様に、国民を、常時、バカにしているので、何をいわれているのか、理解もできないのでしょう。

 自分たちにとって迷惑施設は、他県に押し付け、父祖の代の「原爆被害」体験を盾に取り、隣接県を脅迫する。
 もう飽きた。うちの、義父は、兵士大衆の一人として、原爆投下直後に、広島県に、その救援と、後片付けに、命を懸けて、従事した。人は命令だけで、その責務に従事するわけではない、それが、同胞としての責務であり、当然と思ったわけです。
 私の仄聞した限りでは、広島刑務所の囚人たちも、あと片付け(すなわち死者を回収し葬ることです。)、に従事し、服役者ではありながら、人間として、何と尊い姿と、感謝されたやに、聞きています。

 しかし、彼らは、東京の反核、脱原発運動の支持者と同様で、自己利害と、無考えのパヨク性だけで動いている。
 要は、彼らの活動は、戦後の由緒ある、どうしようもない、パヨクバカの、系譜をひくものなのです。
 したがって、芸術でも、「主題に反核がないものは文学的価値がない」、などと、恥知らずのスターリニズム芸術論を繰り返し、戦後のまともな思想家に、ひんしゅくを買い、批判され続けたところです。
 広島出身のわがサークルの先輩も、直接体験抜きに原民喜など何の意味もない、と言っていました(「失礼」)、彼は、学校をさぼって、あの「ヒバゴン」を探しに行った人ですが。

 ところで、最近では、中国政府の傘下、上海電力が、岸田首相の未必の故意(陰から意識的に優遇するということです。)により、山口県岩国市、由宇地区に、米軍ベースの監視のための、太陽光発電用地という名で、大規模土地を取得し、山口県にも、その悪影響を伸ばしています。囲障の中で何が行われているか、まったくわからない。
 そもそも、非常に非効率で、コストも高い、電力をなぜ、電気事業者は買い取らなくてはならないのか?
 私たちは中国の奴隷なのか?
 なぜ、国力を低下させる、非効率な再買電などを、政治家の都合でしなくてはならないのか?
 私は単純にそう思います。
 自国のライフラインを他国に売り渡す、オーストラリアでもどこでも既に行った歴史的誤謬を無批判で繰り返す、日本国政府に不信感を抱きます。

 防府市の航空自衛隊の近くにも、民間企業から中国が広大な土地を取得したという事実もあり、それを看過し、こちらは、黙示の承認(他県のことだから俺のけつに火はつかないだろう。中国はうるせーからな。)でしょう、何の手も打たない、岸田首相に、批判が集まっています。
 せめて、岩国地区は、防衛大臣岸信夫氏の地盤でもあり、山口県民のために、どうにかして、手を打って欲しいと思われます。
 山口県民は、本音では、林芳正とその追随者(利害関係者)を加え、岸田文夫と手を切りたいのです。

閑話休題、
 私の大学の同窓に、中村ウサギという人がいます。
 確か、本年62歳であり、私たち最後の政治の世代とは、少し、離れた年代(私より三歳下)の人です。
 私の受験時に、英文学科の偏差値は異様に高く、全国の英語好きのお嬢様たちが、本気で目指していたようです。ほかには、種ともこさんなどがいます(彼女の「出町柳」という歌には思わず、涙が出る。)。
 英文科の男どもの方は、うちのサークルに数名居たのですが、大したことはありません。
 彼女も、同志社出身者の御多分に漏れず、少し変わった人ですね。
 同様に変人の、外務省のラスプーチン佐藤優(彼女よりさらに3歳下だそうです。)と神学論争をしていましたが(著書から見れば、どうも創価学会擁護であるらしい佐藤優に興味がないので、買ってまで読みません。)、彼女は、マルクス主義と、同志社プロテスタントを安易につなげる、佐藤を批判していましたが、彼女は、案外まじめな信仰者なのかも知れません。
 しかし、彼女には、異様なラディカリズムがあり、どうも多分に意識的に、観念の力で、自分を抑え、自分の枠組み(良家の子女としての)を解体し、終いには自分の「人間的な」枠を壊そうとする強い指向があり、興味深いので、しばらく、彼女の本に付き合ったことがあります。
 様々な、経験、職歴を経て、現在は、難病と闘っているようです。
 その中のキャッチコピーに、「行き当たりばったり人性」というのがあり、私においても、最近感じるのは、そういえばそうだな、と思うようになりました。
 すなわち、私が、何が言いたいかというと、今回のブログも、とりとめなく、もっと長くなりそうなので、当面、「行き当たりばったりブログその1」、として終了します、ということになってしまいます。