天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

2022年参議院議員選挙を契機に、高市早苗議員を応援しよう(山谷えり子候補、山田宏候補など)

2022-06-22 19:34:55 | 時事・風俗・情況
 
 このたびに参議院選挙は、岸田文夫首相の、中間総括と言っていいと恩顧います。
 あまりひどいので、個人的に、総裁を辞任してもらいたいと思って、います。
 その件につきましては、別ブロブでアップ沿いたいと思っていますが、一日も早く、岸田文夫氏が辞任することが、日本国に有益であり、 まともな保守政治家として、高市早苗氏を中心とした、保守の再編成を望みます。
 尊敬できない政治家など、日本国には、必要ないのです。                                                              *****************************************************
このたび、山谷えり子候補の支援をしようとしたことに、ついて、以下のように説明していきます。
私のブログに読者の方は、どんな方たちか決めかねていますが、読み、考え、書くことを好まれる方々とは認識できます。
私は、50歳前からブログを始めました。
書くことの、楽しみは覚えましたが、書くことの厳しさには、いまだになかなかたどり付けません。すなわち、学生時代から冷めやらぬ、ある型の典型的なオヤジです。
 そうです。私は、学生当時から、大学がミッション系だったので、キリスト教関係のサークルに居ましたが、サークルの中では典型的なアジテーターと言われました(笑い)。
 とてもイデオローグ(理論的指導者)などという、偉いものではなかった訳です。
そこは、仲間内にも、組織、社会的、あるいは無意識の死を賭けた戦い(笑い)があっての分業であり、それなりに、アジテーターにも、存在意義があったと、今は、短い自分の残年数を数えつつ、思い返しています。
大衆化した、大学でも、バカは、バカなりに、正義感・倫理感の成長や、組織内での社会的な修行があったわけで、そこはあらゆる人たちと同じ道行きです。

最初に、ブログの質が良くない、というお断りをしているわけではありません。
このブログは、私にとっては、必要なライフラインであります。
学生時代、様々な出会いをし、共感し、意気投合し、やがて時間の流れで終結し、再会しても、どこか食い違う、気高い「観念の騎士」の成れの果てです。
残念なことに、私は、著述家ではないので、私のブログは、実のところ、その頃の友人たちを、多くターゲットにしています。
 そうは言っても、若い人とか、それ以外の方々が読んで、楽しんでいただければ、望外の幸せです。

 昨年の9月から、自分の疾病にかかる、二箇月にわたる検査入院で、私にとって重要な政治的事件に遭遇しました。
 当時、これは、第二の政治の季節だ、と自分で思いました。
 言うまでもなく、自民党の総裁選です。

白眉だったのは、候補者の高市早苗氏の演説です。
そのご、河野太郎の中国との癒着、野田聖子の偽善者ぶり、売国外務大臣岸田文夫の政治家としての無能、無個性が、次々に明らかにされていく中で、高市早苗氏の優秀さと、思慮の深さが、国民にも十分理解できました。
 長い人性で、学生時代の私の短い左翼体験を考えても、他人のアジ演説などに感動したことはありません。
 書籍とすれば、マルクスの、初期著作「経哲草稿」、「ドイツイデオロギー」などは別ですが。

大学に入学して、戦中派の典型であり、我々の父の世代、吉本隆明氏の著書を通じ、かつての同胞たちと、グローバリズムという理不尽なものに敗北した(形を変えて出現した、現在のグローバリズムに、私はまだ敗北したと思っていない。)明治期以降の日本国の歴史と、その苦闘、彼の戦後の原理的な思考、その自己に対する厳しい対処と努力には、感動したことは確かです。
 同世代として、百田尚樹の父祖に対する愛憎は、よく理解できます。
 彼が、通俗的な世の保守派とともに、ウクライナ問題でつまずいたとしてもです。

 しかしながら、吉本にも、いずれ、左翼が、すなわち形を替えたグローバリズムが、現実には国境を超えた金融資本が、世界規模で、特定のイデオロギーで世界支配、世界の経済支配を目指し、
個々の国民国家を席巻し、支配を貫徹するために、埴谷雄高ではないが、その死滅を目指しているという発想はありませんでした。
そのあたりの問題意識は、吉本の批判的継承者である、小浜逸郎氏などの著書に依ります。

今になって思えば、なぜ、私が、グローバリズムをあれだけ嫌悪するかということの原因がよくわかります。
欧米人は、ちょっと違いますが、中国人、韓国人には、他国の伝統や歴史に対する敬意がない。
これは、知性とか教養とかの問題ではない。
中国共産主義は、モンゴル、ウイグル、チベットでやったように、彼らは、平然と、他国の文化や伝統を踏みにじり、歴史を改ざんするだろう。
毛沢東に組織された、紅衛兵が、その尊敬する父祖を、民衆の前で、そのこどもたちに裁かせ、つるし上げ、私刑を行ったように、それが中国の国民性である。
それに言及しない、日本パヨクは、共産主義の味方かも知れないが、DS(アメリカの真の支配者といわれる多国籍金融資本家連合)と同様に人類の敵である。
観光地での、振る舞い、買い物でのふるまい、ホテルでの振る舞い、彼らの非常識な、あさましいふるまいをみていると、終いには、たとえ、小金持ちになっても、人間存在とはなんと哀しいものだろうという、感慨もわく。
日本国は、歴史ある、文化や伝統に誇りがあり、国民性として、温厚で、節義もある、まともな、国民国家なのだ。
それを侵すことは、なにびとにも許されない。
その、中国人、韓国人の異常行動も、集めれば、ブログのネタになるほどなるが、日本国を侵奪する、彼らの国を挙げての侵略と、組織的な暴挙になぜ、バカでお人よしの日本人は耐えているのかと思う。
中国、韓国からの侮辱にも、ヘラヘラ笑いの岸田と同様に、である。
岸田首相の場合は、例のODA利権のように、中国・韓国に、利権でもあるのかと、勘繰ってしまいます。
そして、なんと恐ろしい国家のそばで、私たちは暮らしているのかと、思う。

そのうち、当時の友人とも、いつの間にか、「思想」は語れなくなり、すなわち、当時、まだましと思えた、ロシア、トロツキー派の継承者、最終形態は、ユダヤ人DSグループたちによる、世界プロ独、窮民革命、永久革命などの欺瞞性に、バカらしくて、ついていけなくなったのです。
要は、今になって、革命など、一部の異常者を除き、誰も支持しない、ということです。

言い換えれば、温和な資本主義の道行きとして、各国民国家の、国家、政府の政治権力がまともであれば、国民は経済的に安定し、また、分配がある程度平等であれば、国民が苦しむ必要がない、ということです。
どうも、吉本隆明のいうとおり、1980年代「飢えずに食うだけの問題」は、日本国という、まともな資本主義の国民国家の繁栄の中で、とうに片付いていたのです。

この辺りから、パヨク(劣化したサヨク)は変質します。
自国に深刻な貧困がなくなり、貧困国の権力闘争革命の失敗により、自国産業すら振興できない、中国、朝鮮の貧困を、高度資本主義国日本国による収奪とすり替え、日本国は中国、朝鮮の収奪している、ODAだけでは足りない、時に応じ、謝罪せよ、漢江の奇跡に技術を無償提供せよ、バカな教条の羅列です。
 そのうえで、自国民を、差別者、収奪者と脅迫する。
それが、アメリカの、日本支配コード、マスコミ支配に忠実に沿ったものであり、太平洋戦争の勝者国に絶対逆らうな、理不尽な行為にも戦うな、身近に敵を作る、属国操縦の手口です。
政治家として、理念も、節操もない岸田文夫は、民主党バイデンの指示により、この売国行為を今後も繰り返すらしいが、それは、今後、別に扱います。

そこには、国民国家日本に対する、尊敬も、敬意もない、ひたすら、敗北者に対する、脅迫と、恫喝がある(勝者が、敗者を裁くなら、そもそも戦争犯罪など成り立たない筈である。)。
さすがに、国連の欺瞞性(勝者連合)には、古い世代は気付いているので、あんなものが、正義の具現などとは、誰も信じていないが。

 いまさら、バカな、パヨク戦士には、私たちはついていけない。
 これは、大多数国民の実感だと思われます。
 その認識が、現在では、より多くの大衆像を掬い上げた「大衆の原像」というものかも知れない、わけです。
 そんなものが、全世界規模で実現するはずはないので、各国民国家では、中野剛志氏のいうように、当面「富国強兵」を目指すしかない、国民の均質性が近い日本国家は、それが一番合理的で、それこそ、資本主義社会の世界史のあるロールモデルになれる、と思っています。
 反動、既成左翼は、敗戦後から、まともな国民の足を引っ張っており、彼らをバカサヨク、バカサヨクメディアとして、パヨクと蔑称するのは、当然のことです。
韓国、反日韓国勢力が、左翼を仮装し、社会、民主勢力、立憲を通じ、反日行為に腐心している。
最近、在日、中国覇権勢力、在日反日勢力と結びつき、国民国家日本国を食い物にする、立憲、共産、公明党、何より、自民党反動勢力、殊に、自民党宏池会が、わたしたち国民に立ちふさがる、真の敵であることは、議論を待ちません。

そこは、腐った戦後の「民主主義」体制に絶望した、私の個人的な考えです。

総裁選の、高市早苗氏の演説に戻ります。
当時の、高市氏には、それこそ、日本国民を第一の価値と考える、彼女の真情がきちんと語られていました。
それは、後知恵になりますが、私が描く、アメリカのナショナリスト(国民国家支持者。日本国よりもっと大変な状況でしょう。)トランプ氏の言葉にも、通底するものを感じました。祖国の、国民国家の肯定なしに、健全な政治的国家はないわけです。
 言葉に真情が乗せられない政治家に、人は感動し、動かされることはない、当然のことです。
当時、「個人的にも」身体に支障を抱え、様々に思い悩んでいた、私にも、彼女の言葉は、きちんと届いたと思われます。
案外、他の方々の著書を覗いても、たとえば、馬淵睦夫氏の、この演説に対する評価は高いものです。京都出身の彼の出自を考えれば、日本国の独自の伝統と文化の尊重がまず、前提となる。
この辺りは、田舎者の私も同様である。
日本国への、ナショナルな視点が欠落した、視点に何の価値があろうか。
そのあたりは、私の闘病記で触れました。

実際のところ、若いころは、私も、思い上がっており、政治など、おれに関係ない。「見るべきほどのものは見つ」と考え、恥ずかしながら、結婚するまで、国政選挙を含め、選挙というものにいったことはありませんでした。
 さすがに、結婚し、こどもを持つようになると、人並みに選挙に行くようになりましたが、しかし、私にとって、当時、公選挙が特におおきな意味はなかったところです。
 まだまだ、甘い時代だったのですね。
 しかし、無駄だと思っても、公選挙にはいかないと、まともな政治状況は変わらない、それが、その認識が、私の、長い青春の終わりでした。
 苦い認識ではありましたが。

 それまでは、いずれ、社会的矛盾・階級意識に覚醒した大衆たちが、世界同時革命、永続革命、大衆が目覚めるまで待つ、正義の騎士として待つ、などと漠然と考えていました。
しかし、そんなことは起こりもしなかった。
皆、虚妄で、詐欺だった。
古本屋で、トロツキー全集、左翼文献を叩き売ったとき、トロツキーはまだ売れる、と親父は言っていました。
知的な、迷妄に、まだ付き合う人間はいるのですね。バカな話だが。

百万単位(推計された死者の数を累計すれば容易に千万単位になる。数すら公式発表していないのだから。)で、民衆を虐殺した、ソビエト共産主義、中国共産主義、後進国の独裁者ポルポトなどの恥知らずを考えれば、何と甘い認識でした。
その理不尽、非人道性を、飽きずに支援する、日本国朝日新聞などの左翼メディア、このくだらない、日本パヨク(劣化した左翼よりもっとバカ。)の根拠のない、病的なロマン主義で、腐った共産主義が支えられていると、すれば、イデオロギーに媚びる人間存在とは、いかに卑しく劣った存在かと、思いませんか?
 その代わり、何が起こったか。
 世界規模の共産化です。
トロツキーなどの弟子が、グローバリズムを通じて、アメリカ民主党や、NATOなどの勢力を利用し、世界の分割統治を始めた。当面、国境を超える金融資本を通じてですが。
いつの間にか、優れ勝ったものによる、世界統治、世界プロ独(窮民どころか、いつも間にかすり替わった少数富裕者たちによる全世界規模での人民の分割統治を目指した、トロツキーのような革命家非人間の継承者)のような奴が顕在化してきた。
 彼らに、なめられ、屈服する前に、腐った共産主義の信奉者は、シン・ウルトラマンに出て来るメフィラス星人に笑われる素地はいくらもあるのです。
 思考停止して、優秀な人間にすべて任せなさい、と。
 人間がダメなら、もっと、宇宙人の方が、効率的ですよ、と。
 さすがに、庵野監督はよく理解している。
 悪魔の誘惑というやつですね。

 当時の高市早苗氏の演説を引用します。
「日本の国は、今を生きている私たちのものだけではありません。
長い歴史の中で、田畑を耕し、産業を興し、地域社会と伝統を育み、時には尊い命を懸けて美しい国土と家族を守って下さった祖先たちの国でもあります。そして、これから生まれて来る子供たちの国でもあります。
一時代をお借りしている私達には、偉大な祖先から受け継いだ精神文化と価値を守り抜き、「美しく、強く、成長する国を作り、次の世代に確かな未来を贈る責任があります。」
 実に平易に、直截に、私たちの、共同主観性を汲み上げていると思いませんか?
 「私は、究極の使命は、「国民の皆様の生命と財産」「領土・領海・領空・資源」「国家の主権と名誉」、を守る抜くことだと思います。」
「私は、「未来を拓く」ために、雇用と所得の拡大につながる「大胆な成長投資・危機管理投資」、「分厚い中間層を再構築する税制改正」「人材力の強化」と、「全世代の安心感の創出」に資する諸政策を、力強く実施します。」
ほら、当時とまったくぶれがないですね。
高市氏の力量がよくわかります。
私が、推薦する候補は、高市総裁選挙において、最初に推薦した方です。
家族問題、拉致問題にも大きな功績を残された方です。
このたびの、参議院選には、落としてはならない候補者が、幾人もおられます。
比例区の山田宏議員、山谷えり子議員、青山繁晴議員、片山さつき議員、岡山地方区の、小野田紀美議員、公選挙ですので、誰を推すかは、国民の自由です。
 いずれにせよ、総裁選以降、その業績(?)をみてきましたが、えせ保守、岸田文夫首相には、政治家の資質はないと思います。
 今後、高市早苗氏、安倍晋三氏の真の保守派を中心とした、国民国家日本の生命線を賭けた、自民党の、分割再編成を望みます。山谷候補も、活躍していただけると思っています。

 先の、親しくなった古本屋のオヤジと話をしましたが、彼は、高市氏などは認めないといっていました。
 やっぱり、左翼、団塊世代は、だめですね。
 言っても無駄だけど。