この、フードポストの存在が、何度もいうが、悔しくてならない。
資源の無駄を避けるため、余った商品を、足りないところで、助けあう。ウソを、つくな。
行政が、なぜ、こんな偽善に手を出すのか?
多くの市民が、私たちの父母が、決して私たちに見せなかった、裏の貧困が、かつては、いくらもあったことを覚えている。
現在、国も、県も、市も決して、その理不尽な、その事実を認めない。頑として、認めない。
資源のむだつかい、そんなものはない。私の行くスーパーなど、食料品など、その日でも、最期は半額でうるぞ、それに、群がる老人、貧困所帯たち、私だって、並ぶ。
社会的な要請には従わずには、いられないと思われる、流通業者たちも、さすがにあきれたか、行政を嗤っただろう。
その程度の、デフレと、賃金低下に痛めつけられた大多数国民の苦衷がわからない人間は、政治家の看板を降ろせ、ということだ。
おまけに、この品のない、ドラム缶が、各官庁出先ののトップに、平然と設置されてあるといういう、恥知らずな事実、とどのつまりは、炊き出しでもやるつもりか。
それなら、まだ、芽がある。
場所を決め、市の運営(すなわち市発注の業者にまともな方法で管理運営してもらうということだ。)配食まではできないが、窓口で、こどもにでもだれでも、希望者に、弁当配布をするということだ。
配布者に、意識的に、きびしい、しばりは設けない。
おかわいそうにと、贈与はできる。それが、日本人の倫理観というものではないか。
図書館の本の贈与・貸与を全国にしている、なら、今すぐにでもできるではないか。
昔の人はよく言って、いる。
衣食経って礼節を知る、と。
いずれ、制度の恩恵を受けた、こどもたちが、その意味を、考え始める、だろう。
それが、最も良い。
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女性政治家は、徹底的に名前を惜しむ(文語表現は要らない。すなわち、権力と権威が欲しい。)らしい。すべての女性政治家とは言わない。例外もある。
私たちに、相互の性差、女性を忘れさせる、優れた政治家もある。私たちが異なった性を、意識化しないことはないが、議論の中に、性差の支障のない、議論と政治の時空が成立する、そのように、人間はできている。
しかし、そんな本質を逃した、LGBTなど、何の意味もない。
バイアスかかった女性は目も当てられない、それこそ、劣化した男だ、武蔵市長のような方ですな。
再度、繰り返すが、すなわち、女性政治家は、自分の名を挙げよう、名前を印象付けようとするためには、なんでもする。
小池都知事は、格好のロールモデルである。
太陽光発電、その採算性、将来に対する有害廃棄物化に対する危険性、都民どころか、都庁職員からさえ、事業効果性に反対が出ているのに、平然と事業推進を強行しようとする。
私は、都民、日本人ではない、西欧の環境狂信者の政策、すなわち、他国侵奪を目指す、グローバリズム活動家の正義に連動しているのよ。
コロナファシズムにより、都政が混乱、疲弊し怨嗟の声すら生じ、病気にもなった。
神宮外苑の再開発に伴う、樹木の大量伐採を批判され、都民ファーストの前提をくずされ、「小池百合子ファースト」が暴露され、彼女は今さら、何を、目指すのだろうか。
しかし、マスコミに出るのだけは、止めない。
「死に至る病」という哲学的な悩みではなく、通俗的に、「死んでも止めない」、権力への渇望とでもいうべきだろう。
周南市のコロナの取り組みについて、先に言及した。
私たちは、在職中、私たちの仕事に就いて、押しなべて、事業評価を求められた。
決められた、自己の担当する、事業の、妥当性と、成果を、求められる。
そんな都合のいい、見栄えのいい仕事があるわけがない。
目立たぬ、重要な仕事はいくらもあるのだ。
上司は、日常業務がいっぱいあるので、そんな、やっつけ仕事に、部下が、乗れるはずもないのをよく知っている。したがって、仕事の内容もわからない指導人間のやっつけ仕事になる。
このたび、さきの、私のもと同僚、藤井律子市長の事業から、時間がたったし、実害も生じているらしいので、誰もやらないのなら、私が、事業・実績評価をしてみる。
あなたは、いつも、市民に受けそうなテーマには、ネット通信署名入りで文書送付する。
典型的な、リアルポリティシャンである。
今回は、是非、回答してもらいたいものだ。
前回の提案はこうだった。
「このたび、文部科学省は、政府が強行する、学齢期から、ワクチン接種の義務化を、任意設置で実施する、ガイドラインを全国に通知した。
同時に、ワクチンを大量発送したわけである。
自己責任を前提で行われる、個々のワクチン接種を個々の親の判断にゆだねるという指導である。
本来、ワクチン接種では、副作用は生じない。生じないのであるから。副作用が出たら、副反応と呼ばれる。救済はない。自分のリスク意識と判断で、ということになる。
試しに、先に二回行われた、ワクチン接種の、実施資料で、厚生省職員のワクチン接種率(2回目までである。)が10%、国会議員が、30%弱、驚くべき達成率であった。
どうも、ワクチン接種は危険であると、NHKその他のメディアがあおった80%から90%の国民接種達成率から比較して、官僚・政治家は、その安全性を疑い、自分は決して打たないと、その本音を隠していたわけである。
60歳以降の、免疫低下の世代にインフル同様に犠牲者が出るのは、残念であるとしても、ウイルス被害で、ほぼ毎年2万人超の死者の数に比べ、著しい低下である。
おまけに、PCR検査を経た人間が死ねば、皆、死因はコロナ死と判定されるという、とんでもない話だ。
現在、壮年世代の、若い世代に死者が出ているのは、どうも、ワクチン接種の副作用(断じて副反応ではない。)と取りざたされているところである。
私も、そんなものじゃないかと思っている。
しかしながら、こどもに死者はほぼいない。
なぜ、犠牲者もいない世代に、ワクチン接種を強行するのか?」
「しかし、そのうち、話は変わる。
なぜ、国レベルで、学齢期児童のワクチン接種は、効果があるとは、疑わしい、と、指示があったのに、周南市も、学齢期接種を強行するのか。
それとも、全国でやっていることだから、うちも、やればいい、とでも思うのだろうか。
私の倫理コードに照らしてみれば、私が社会生活を務めている間は、当局から強いられれば、ワクチン接種はやむを得ない、と思っていた。
所詮、私の個人の命である。
直接介護にあたる医療従事者、国土・国民の安心安全を守る自衛隊員ですら、ワクチン接種が義務化されている現実である。
まだ、パンデミックの実態がわからない段階で、窓口公務員の私が、市民のリスクを排し、職責を貫徹するためなら、信念を曲げ、ワクチン接種をすることも止むを得ない、と思った。
後日、パンデミックは大嘘が判明し、在職中に、やらずに済んだのは、僥倖であった。
ワクチン薬禍の中で、最初に犠牲になった、医療従事者、自衛隊員などに、哀悼と、お礼の言葉を申し上げる。
現在、強行される、安全性が極めて疑わしい、第三次接種など、現在、基礎疾患のある私は、接種する気持ちなど全くない。
ウイルスの世界的な、伝播状況、日本国のり患状況、あるいはワクチン接種の副作用状況、勘案して、まったく、メリットがないという判断をしている。
しかし、学齢期以降のこどもは違う。
彼等には、自己決定権がない。
しっかりしない、親が、望めば、今後、どんな健康被害が出るかもわからない。
大多数の親たちは、忙しいので、情報収集もできない。
今は、そう、中小企業に勤めるどころか、フルタイムの職員もおぼつかない様な、不安定な状況で、我が家の家族の命をつないでいる。
そんな方々に、自己決定を強いるのは、間違っている。
公言しているように、「こどもたちの未来のために死んでいくのは、われわれ老人の役目ではないのか」、と、私は、マジで、思っている。
要は、あなたとか、私が、未来ある子供たちのために、先に死ぬ方が、人間の倫理として、間違っていない、そちらの方が、価値がある、ということです。
そうなれば、こども支援部を作る前に、こどもの生命、安心・安全、健やかな発達を支援するように、全力を尽くさなくてはならない。
そのためには、政府の政治的な思惑を排し、まともな、文部科学省の官僚の意見を、誠実に、取り入れなくてはならない。
圧力はかかるだろうな、しかし、それが、政治的な責任であるということだ。」
(「 」内は、前述した内容になります。)
私が申し上げたのは、こういう、提言だった。
私は、周南市に行くことはなくなったので、周南市の年齢別罹患率も、被害の実態も知らない。
しかし、ワクチン接種が始まって以来、下松の小学生から、多くの発症者が生じたことは聞いた。
同様な話が周南市にないとは、言わせない。
藤井市長は、国井下松市長に比べ、疱瘡神(平易にいえば、おにがわらみたいなもんです。)ででもあるのか。そうであろう、新年会では、すてきな、装束を召されていた。あれは、悪魔払いの、縁起物だったのだな。
私は、友人に、周南市の気骨ある小児科医の話を、聞いた。
こどもに発生のない、ワクチンを打つのは愚かな選択ですよ、という助言をする医師の話である。ワクチンはわからない、突然変異も早いし、陰謀説すらもある。それをさておいても、時間を経てどんな症状が出るかまだ、まったくわかっていない。
そのうえで、この酷暑である。学校の帰りまで、マスクを外せないこどもを見ていると、涙が出そうになる。
すでに、外部では、マスクを外すべきという、国に連動した、医師会通達まで出ている筈だが。
周南市では、皆マスクを外しているのだろうか。
公用車で送迎される、あなたは、知ったことじゃ、ないだろうが。
岸田文雄は、実に愚かな選択をしている、それに追随するのはバカ者である。
それも、あなたは、市民の健康を第一に考えていますよとという、偽善の言葉で。
政府から、圧力はかかるだろうな、しかし、それが、政治的な責任であるということだ。
しかし、それは、名もなく、貧しく、負けずに正しいことを行いたいたいという、はるか昔の「青年団」の理念だ。
この際、やめてしまいましょうよ。
ワクチンの結果が、支障をきたした、彼らが、成長し、思春期にでも至ったら、私は、彼らの、目が、恥ずかしくて見れない。
それでは質疑を始めます。
1 あなたの孫は、小学生と聞いた。
彼はワクチン接種をしたのか?
A それは決してさせたくない。
B それは、彼(彼女)の父母の判断である。私は政治家として関与しない。
C 私は、全世帯の父母に自己判断を求めている。結果は、個々の家庭で負って欲しい。
この世はすべて自己判断と、自己責任である。私は、良い結果があることを信じている。
D その他(自由異見)
2 そもそもあなたは、ワクチン接種を何回目までしたのか? それに対して、市民に望むことは?
A 皆さんの前でパフォーマンスはしていないが、ちゃんと( やった・やってない )(二択)
B 私はやっていないが、市民の皆さんは、パンデミックが怖いので(実は大ウソだったな。)、国にしたがい、やるべきだ、と信じている。
C 基礎疾患があるので、やらない。某国家政治家のように、人前で、パフォーマンスまでやらない。 私は私の判断と、自己利害と・信念で生き
ている。
D 市民の間では、ワクチン接種をこどもにしないと登校できないという声もあるが、そんなことは、私は知らない、前述したように、個々の家
族で決めて欲しい。
自業自得という言葉がすきなのは、日本人の美徳だと思う。
E その他(自由異見)
3 他市の自治体議員のマスク外したうえでの公用が政治問題にまでなったが、周南市市議会議員及び市幹部(当面課長以上と想定する。)のワクチン接種率は、どのようになったのか。
A 先生方は、先生方の判断があるので、私の知ったことじゃない。実施者がゼロだと、見栄え、聞き映えが悪いな、という認識ではある。被害
がふえれれば、いずれ、発表しなければという認識はある(報告義務があるかな?)
いずれにせよ。国の、仕事であり、義務である。私に、責任も、権限(勇気)もない。
B 市職員については、個々の判断を求めている。大人の対応ということだ。しかし、長期にわたり、休まれるのは、実務が困る。これも、議員
さんと同様で、同じく、見栄え、聞き映えが悪い。
自己責任、これも、多くの日本人と同様に、私の好きな言葉だ。
C (自由異見)
4 学童期児童に、下松市並みに、副作用(副反応でもいい。)は出ていないのか。
(この辺りはいくら何でも、周南市議会の管事項でしょう。まともな議員さんの対応を望みます。)
以上のことについて、あなたは、政策実行者として、市民に答える義務がある。
なぜなら、市民にも、全体職員にも、まともに応えていないから。
政府の、バカな節電策で、市民はダブルパンチではないのか。それは、あなたの責任じゃ、ないのか。政治家の前に一人の人間として、道義的な責任はないのか?
広報か、周南市ネット通信で、早急に、応えて欲しい。
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