天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

グローバリゼーションの現実から旅館業務(日本人顧客サービス)を健全なナショナリズムの立場で考える

2019-08-26 19:31:19 | 旅行
最近、国内旅行をすることが多くなり(それは外国旅行をすることがとても多くそれに慣れているということではまったくありませんが)、先ごろから、わが家により近い、九州地方を旅行することが多くなったところです。
当該旅行は、妻が、ネットサーフィンに拠って、安い時期の出物(?) を探します。「質と値段の均衡」をいかに追求するかを、その努力と工夫を、「いかに賢く優れた選択であるのか」を、あらかじめしっかり立案していただき、私に説明してくれます。
先に、私が選んだ、湯布院の「中共国経営・日本旅館」(「おもてなし」から「えせおもてなし」に及ぶ(罵倒シリーズその11))で痛い目に遭ったので、私に是非はなく、妻の目を信用することにしています。

いつぞやは、「私にあなたにはもったいない(世が世であればあんたの妻になるようなことはなかった。)」と言明していましたので、まあ、そんなものでしょう。

 しかしながら、今年の7月は、妻の嗅(才) 覚で、費用効果性の高い旅行を目指していましたが、西日本一帯は週末台風にたたられ、7月当初から計三度、日程変更を強いられました。
 当該日程変更に、快く応じていただいた、計三泊、二つの日本旅館さんには、謹んでお礼を申し上げます。

 結果的に、7月下旬の夏休み前に、天草方面、熊本県・人吉市を旅行しましたが、その結果は、おおむね、満足するものでした。
 天草地方は、何十年も前に、牛深市を目指して、家族旅行をしましたが、それ以来のことです。
もう十分海で泳げる時期でしたので、このたびは、シュノーケルをすることとし、宿泊旅館に尋ねて、近場で、岩場のある海水浴場の穴場を教えてもらい、人っ子一人いない海岸で、自由に様々な熱帯性の魚の群舞を愉しんだところです。
 どうも、私の住む瀬戸内海とは、動植物や生態が違うようで、巻貝とかうにとか、珍しいもので、私たちの好奇心にしっかりと、応えてくれました。
 旅館は、メゾネットタイプで、各棟ごとに宿泊することとなり、露天風呂と内風呂などの水廻りが一階に設置され、二階が、居間と、寝所となっており、それこそ、亜熱帯のような照葉樹林の植え込みを越え、遠く海が望めます。沿接した棟とは視野がきちんと切り離されており、独立したリゾートのコテージのようなつくりになっています。きちんと、冷凍庫対応の冷蔵庫と、BS対応のテレビもあります。
 スタッフはいずれも親切で、こちらのやって欲しいことには的確に応え、後はほっておいてくれます。とても良いあしらいです。二泊しましたが、旅館の料理も上質であり、美しい海岸と、泉質のよい露天風呂ともども、ゆっくりした時間を過ごせました(「本来はずいぶん高いのよ」という妻の話です。)。

 三泊目は、天草大橋を本土にもどり、熊本県の人吉市に泊まることとなりました。
 ここは、本来の温泉旅館であり、三度の日程変更にもかかわらず、やりくりして、有形重要文化財の客室に泊めてもらうことが出来ました。
 それまで、まったく知らなかったことですが、この「人吉旅館」は、女将が韓国人でした。なぜなのかと、興味深い話だったので、館内にある、地元新聞の切抜きなどを読んでみると、現在の社長が、地区の旅館業者と共に観光セールスで、韓国に行った際、韓国の大学で観光業の専攻と日本語の勉強をしていた、学生であった女将を見初め、強く望んで、嫁に来てもらった、とのことです。
 先代の女将も、これを認め、子供も生まれ、日本人の嫁としての仕事と、女将としての仕事をこなし、ついには、日本人に帰化したいと望んだが、「それには及ばない」と、夫(社長)と先代女将に止められ、現在は、女将として、人吉市旅館組合で、韓国人客受け入れの責任者として、地区活動をしている、との話です(女将の年齢を考えれば、その時期は、現在の南鮮の下劣で卑怯な官製反日運動が起きる以前であろうかと思われます。)。

 わが宿泊の部屋は旧館となり、それは国指定の重要有形文化財になっており、磨きぬかれた廊下と、細かい格子の入ったガラス戸(古いガラスなので波打っています。)などの建具で囲まれた回廊になっており、内庭を見ながら、24時間入浴出入り自由の湯殿に降りていく廊下は、広く深い光沢で、惚れ惚れするようなものです。
 「ひとりで歩いていくのは嫌だ」と、うちの妻は、夜遅く湯殿に降りていくのを拒否しましたが、再度、私は深夜、階段を降り、中庭の池や植え込みを見ながら進むと、なるほど、独特な雰囲気があり、「夏目人別帳」という妖怪アニメの世界に入るようです。
 湯殿は古く、深く、また熱く、泉質も良いので大変くつろげる場所です。

 夕食も、趣向を凝らしたもので、青竹のめごに包まれた地元の名物を配した会席料理と、初夏の鮎の塩焼きなど、美しく、目を奪います。私は、つい、わたまで食べてしまいましたが、砂が入っていたので、天然ものなのでしょう。
 サムゲタン(どうも鳥の煮込み料理)というのか、韓国料理も、別卓では用意されており、また、中にはすき焼きを食べている人もいましたので、料理の別注文は可能だと思われます。

 部屋が古い、と妻はいいますが、私とすれば、温泉にも、料理にも大満足です。
 食後、ロビーに降りて、展示物や、みやげ物などを見ていました。
 その中で、韓国の偉い陶工の作品が展示販売されており、何十万円という価格で、群青の呉須の様な茶道具で、そこは好みですが、「私は嫌い」と妻は言います。大陸仕様の茶道具なのでしょう。私は、日常雑器とすれば、これはいくらなんでも、高すぎると思いました。

 社長の趣味なのか、ブリキのおもちゃや、昔の玩具、キャラメルなどの箱の展示があります。また、イラストや、雑誌の展示から、この旅館か、この地方の出身者が、テレビアニメ「夏目人別帳」の原作者であろうかと、思われます。

 その夜は大満足ということで、部屋に引き上げました。

 翌朝、朝食を楽しみにしていましたが、かゆと、白米が用意された、和食のバイキングというメニューとなり、いずれも美味しく堪能しました。その際に、女将手作りのキムチというのがありましたが、どうも、手をつける人はいないようです。
 それから、にわかに、女将のあいさつということになり、韓国人の女将が、各卓をめぐり、私たちも、あいさつすることとなりました。
 現在、夫が入院しており、昨晩介護に行っていたので、あいさつが遅れたという口上です。
 なかなかきれいな人で、妻が、部屋に飾ってあった、自分が好きな、薩摩焼の草木焼きの花器をほめると、とても喜び、李氏朝鮮の血を引くという、沈壽官窯(ちんじゅかんかま)(朝鮮陶工から始まった薩摩焼の窯元)に行って購入したと、その来歴を話してくれます。
 どうもそれは、同郷出身者として、有為転変のうち、他国に根拠を得たという、いわば彼女にとって、ロールモデルなのかも知れません。
われわれも、女将におもてなしの質を謝し、女将は引き続き、それぞれの宿泊者の卓をめぐっていきます。
 同郷の朝鮮人宿泊者のテーブルではさすがに長くなり、やり取りも長くなります。
 彼らには、一度、湯殿で出会いましたが、二名の宿泊者であり、片方はやせぎすで、白髪を総髪に結い、わが畏友、八木独仙君(詳しくは「我輩はねこである」(夏目漱石著)を参照してください。)のような、見事なあごひげを生やしています。芸術家(陶芸家(?) )であるのかも知れません。

 そういえば、旅館の入り口の、歓迎用の看板には、韓国人の名前が書かれていました。わが家も、ご同様に白文字で書いていただいておりました。とても、日本的なサービスですね。

 この旅館(他にどれだけ実施機関があるかは知らない。)には、外国人観光客を減額宿泊する、という制度について触れられていました。高い宿泊費を下げ、今後につなげるという制度なのでしょう。当該、差額が何に拠って補てんされるかは書いてありませんが、もし、公金・補助金などで補てんされるのであれば、それは理不尽な話です。
 われわれも、このたび妻の才覚(?) によって、客層を広げるという方針であるのか、より安く、宿泊することが出来たわけではあります。それも、民間企業の折にふれた経営努力の範囲かも知れません。

 旅館のサービスは、とても質が高く、仲居さんは親切で、宿泊費用に比べ、食事は良質で、おもてなし、という点では、日本旅館としての質は高いものです。現在のところ、それは、女将が、何国人であろうと、揺るがないサービスと思われます。日本人とすれば、心強いところです。
 要は、私たちは、日本人として、日本人向けのサービスを期待しており、特に韓国風サービスは期待していないということです。おもてなしの精神を発露して、特別仕様のサムゲタンもキムチも人によっては喜ぶかも知れないが、日本旅館でわざわざ食べるものかね、と思ってしまう。私は、外国に行って、質の悪い日本料理などのぞまない。
 それは、旅館の方針で、韓国風サービスが導入されるなら、折り合える部分は我慢しますが、それ以上のことは客としては我慢できないということです。

 知り合いに聞けば、現在九州の日本旅館は、外国人客(中共・南鮮人)向けのサービスをしているところがとても多く、何国人のスタッフが勤務しているか、実際のところわからない、といいます。
 ここまで、外国人宿泊客に対し、宿泊費を減額してまで、観光客を誘致し、有形無形のその営業を展開していかなくてはならないというのは、その原因ははっきりしていて、日本人観光客が宿泊しなくなったわけでしょう。
日本人が国内旅行をしなくなった、デフレによる景気が低迷しているのも、大きな原因でしょう。それは、先の別府でも同様でした。

 しかしながら、旅館業というのは、同時に、当該地の歴史や文化を売り物にする業種であり、また、当然それは経営者の営業方針、思考、また嗜好を反映します。しかし、良き伝統・文化や他国・地方の文化との差異を示すような工夫がないようなら、浅薄な目先の人気取りはいずれ、淘汰されるしかないと思われます。
 
 もし、私が、外国で旅館(ホテル)業を営むとすれば、当該国民国家の歴史や習慣を、まず尊重し、おもてなしの配慮をしたうえで、私自身の生活史をベースに思考し、その良かれと思う部分を、独自なサービスに反映したいな、と思います。

 聞き及ぶところによれば、こちらの女将は、来日後、まず、熊本大学に入学し、日本文化や、日本の旅館ビジネスを学び、日本国の伝統・文化、着付けからお茶・お花をはじめ、子供の養育もこなしたということで、文字どおり、カリスマ女将のような人です。

 もし、女将の考えとその現実(?) を、私が想像すれば、人間はその養育環境、その生活史を否定することは出来ないはずであり、その後異郷に移り住み、その教育や文化を深く学んだとしても、その内面で、価値観や嗜好の相克が起こるのは当然のことでしょう。すぐれた人ほど、その点は意識的であろうと思われます。

 今でも敬すべき哲学者、竹田青嗣氏は、その出発を、「<在日>という根拠」という文芸評論から始め、持って生まれた自己の出自の基点から出発し、その後、自己に強いられるように、「世界普遍性」に通じるためなのか、西欧哲学に至るまでにその思想的営為を展開し、大きな達成をされてきたところです。
 身のほど知らずなことを申し上げますが、それは、私にとっても、達成はないにせよ、ひとりの学徒(相変わらず中二病ですが)として、同様な道行きであったろうと思われます。
 しかし、彼の幼胎児期や、その後の生活史、大学卒業後就職できなかったことなど(このあたりは日本人生活者も同様ですが)その直接体験は、他者には容易にわからないところです。彼のその成育史の中で、家族や社会とのかかわりあいには、あまり触れられていません。
 学生時代、当時の民族自立運動へと、誘われる契機があり、左翼運動とどっちに行くべきかの選択は、そのときのいわば触れ幅でしかなかったというような、述懐はあったところですが。このあたりは私にもよく理解できるところです。

 すなわちその生活史(思想まで言っていいのだろうか。)などは、それぞれにとっては不可避でも、他者とすれば恣意とか偶然であるしかないようなところなのでしょう。
 しかし、同様に私たちの折々の危機の際に、どう考え行動するのか、また、本当のところは、個人として、彼が何を考えるのかよくわからないところがあります(そのために私たちはその著書を読むということでもあります。)。

 私自身の問題とすれば、現在は、明治期の知識人たちが逢着したと同様に、私たち大衆も、その大問題に、個人的に対決せざるを得ない、好ましくない他国の外部・異質なものが、わが国社会の独自な文化、歴史・伝統に対し、侵略・侵奪される危機が、目の前で生じているところです。
 ならば、それにどう対応するかについては、大変苦痛でありますが、この際、覚悟を決め、直接的には、自己のナショナリティ(自己の存立根拠というよりはいわば自己の生活史・出自の根拠)を根拠に、あらゆる局面で、頼りない指導者たちを疑いつつ、自己の考えを構築し、私たちの国家・社会の安心・安全のために戦うしかないように考えられます。

 どうも、竹田氏のように、世界に通用する哲学者として、敬すべき先達においても、それは同様の道行きではないのかと、思われるわけです。

 確かに、不幸(私はそう考える。)にも人間や事物の度を過ぎた行き来が頻繁に生じれば、グローバリゼーション(国境を越えた人や物や制度、イデオロギーなどの無秩序な交通)が生じるのは止むを得ないところです。
 しかしながら、その過程で、加齢のためなのか、もとより無思考なのか、はたまた国民病のような(?) 宿あの左翼コンプレックス病なのか、自前の思想のバランス感覚(国民国家の基盤としての健全なナショナリズム)を失い、いつしか悪しきグローバリズムに魂を乗っ取られるわけです。
 病気になれば、他国の歴史・文化を侮蔑したり、自国の歴史・文化を不合理に卑下したり、根拠もなしに、野郎事大に振る舞いだしたりで、愚かしい腐ったイデオロギーの走狗にならないようにしたいものですね。まさしく、それは大衆の弱点と負性なのですが。

 在日系の学者を見ていても、日本国パヨクを見ていても、日本国での庇護を受けながら、近代国家とも思えない愚かな南鮮、北鮮に肩入れする、つまらない知識人はいくらもいるわけです(愚者の指導者など、はやく死ねばいいのに)。

 それこそ、日本の知識人たちを見ていても、人間は、いつでも、いかようにでも、思考停止、思想的に退行・転向することもある、ということも、ため息が出るような情況も、また、事実であります。

 私は、伝統ある旅館が、私たちにとってつまらない、韓国直営・日本旅館にならないように、日本人の宿泊客が気持ちよく出来るように、二国をまたぐ経歴を持つ優れた女将に、今後とも、見識と良識あるサービスに努力していただきたい、と、思っております。

 また同時に、日本人も、その身銭と余暇を割いて、古い、しかし、温泉が豊かで、自然も美しい、伝統ある九州旅館(似非日本旅館は断じて困る。)に滞在し、ひいては、地元観光サービス業に従事する人たちを支援すべきなのです。そうであれば、あなたの郷土にも、いずれ、観光客として、彼らもおとずれるかも知れない訳です。

 また、末尾に特筆しますが、宿泊客に大変好評であると、仲居さんに教えてもらった、朝食限定メニューの、「馬肉カレー」は絶品でした。カレーというのも、立派な日本料理なのですね。
 私は、田舎者なので、カレー(カレーライス)に金を払って食べることは基本的に嫌です。
 しかし、わが家二名で、「カレーはべつ腹」といいわけしながら、しっかり何度もお替りしました。九州人は、馬肉の扱いには長けているのですね。
 もう一度、機会を持って、是非、食したいものです。
 あれは、日本食文化の勝利、と申しあげます。

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