天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「共同幻想論」先崎彰容(NHK「100分で名著」)を観たことについて(敵はどこなのか?)

2020-11-15 19:05:55 | 時事・風俗・情況
 大学のサークルの文集です。
 よくも悪くも政治的な時代でありました。
 学生時代、政治党派を脱退して以来、政治的な発言を辞めたという糸井重里が、「下駄ばきの学生が機動隊に石を投げる姿にあこがれ、東京の大学に行った」、と、昔日、月間プレイボーイ誌のインタビューに答えていたことを、思い出しました。
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  若者(何を以て若者かというのは難しい。当面、生理的に私より若いものとして考える。)と会話する機会は極めて少ない。
 また、私にとっても、彼にとっても「意味のある」(互酬がある)話をするのはもっと難しい。

 そうでなくとも、コロナ戒厳令下で、そんなチャンスはますます限られてしまう。
 まさしく、現在の私たちは、社会的な関係(対他人間的な交流)の貧困なのだ。
 たとえていえば、現在の私たちは、監獄(独房)の中に収監されているように思える。
人に会ったり、自由に移動したり、好きなものを食べたり、そして自分に興味があることを追求したり、すなわち精神活動の絶対的恣意性の疎外であり、そんなものがないと、それこそ、娑婆(しゃば)で生きている甲斐がない。
 これは、私たちが社会生活において、「自由の相互承認」(自己の自由を確保するにつき他者の自由を容認する。ヘーゲルに由来する。)からも疎外されている、といっても間違いではないと思う。

 どうもこれは、強い「生への衝動」を持つ若者たちにとっては耐えがたい状況ではないのか?

 「大学に行っても授業はない、友人も作れない」という、ネットでひろった大学の新入生の独白もあった。
 人性で最も多感な時期に周囲から刺激も、あたらしいものの息吹も、刺激も感じ取れない環境とは、自分の同時期を思い出し、比較しても、本当にお気の毒だと思う。
 「勉強は自分でするものだ」などと、おざなりなことを言っても仕方がない。
 そんな「偉そうなことを言うなよ、自分のインチキ学生時代を考えてみろよ」、と思うばかりである。

 竹田青嗣氏が述懐していたが、彼が、兄弟の中で初めて大学に進学したとき(私も兄弟のうちひとりだけ大学に行った。)に、在日朝鮮人の地位向上運動のオルグを受けたが、当時、文学・思想とかに興味があり、結局、在日の運動にはいかなかった、思い返せばそれ(人性に重要な選択の機会・契機)は非常に恣意的・偶然なものであった、と。
 あと付けになってから、自己にとって不可避・必然の出会いであったと思ったとしても、個々の人として、「人性」の大きな出会いとはそんなものである。
 この本に由来する、吉本隆明の著書に、「自己にとっての必然とは、自己によって強いられた恣意の別名ではないか」というエピグラフのようなものがあり、私にとって「不可避」であったと考えたとしても、なるほど、実際はそういうものであるかもしれない。
 亡橋本治が述べていたが、彼の学生時代、東大紛争の際に、「吉本隆明はチャンピオンだった」ということであったが、私の学生時代も、まだまだ、その存在感と、権威(彼は嫌ったが)は、健在だった。
 しかしながら、当該紛争の当事者(学生側に限定する。)は、実年齢は70歳を超えたことだろう。いつの間にか、反発される側の世代になってしまった。

私は、1970年代、退潮した政治運動の最後(?) に居合わせたものである。
 当時、学生たちの大勢は「反帝・反スタ(反毛沢東はまだ明確でなかった。バカな左翼神話が生きていた。)」の新左翼という党派が主流だったが、当該参加者たちに反発を覚え、そちらにはいかなかった。
 結局のところ、彼らの身の代わりの速さ(村上春樹の「ノルウエイの森」に出てくる。)と、前言を翻すその臆面のなさ(なんと恥知らずなことか)、そして、彼らのその後の身の処し方、現実政治との野合の様、さんざん見せた醜いすがたに失望した。

 そして、その後の世界状況が、高度資本主義を実現した国家においても、相対安定を手に入れた一定層も、階級矛盾に絶望したはずの窮民(?) たちが、誰も政治革命など望まないことを看て、パヨクを転向した。
 それも、そんなものである(ずいぶんないい草だが、他に言いようがない。いまだにパヨクであれば、彼らを憫笑するばかりである。)。

 若気の至りに触れるが、「暗いやつ」と言われた若いかりし頃(?) (そんな人間は一定数いる。)、 私たちの自身の問題意識や、生きにくいという実感は、それこそ「明るい」と思える多数者の皆が主張する感覚(観念)との埋めがたいと思われるかい離は、やっぱり存在した。
 当時、それは、抱え込む、個々の責任だけに帰さないはずと思ったはずである。
 ああ、青春(あおい、かたい、しぶい、という時代である。)

 その辺の個我意識、他者との疎隔意識や、孤立意識を、国家や社会に向けていく契機は、吉本隆明に形を与えてもらったと思う(「マチュー書試論」など、先日、再読して今も気持ちが震えた。)。

 「共同幻想」の現象面(?) が悪い、すなわち、社会の構造の悪い部分を、あらゆる矛盾点を、外部に、私たち個々の責任に押し付け恥じない、国家・政府が究極的に悪いはずであると思った。
 「敵は制度である」ではないが、制度の改変は、政治的な改革(革命)によって、悪しき共同幻想は消滅し、ほぼ多くの問題は、解決するはずと思ったのである。

 その後、1970年代から80年代の好景気の時代に、「食うだけの問題」は、景気の隆盛と、大多数の経済的な地位の向上で可能かと思った。

 その「食うだけの問題が解決される」中で、「大衆がいやおうなしに知的に上昇し」、自己中心主義、個人主義、に陥ったことも確かであるかもしれない。世の中は、いいことばかりではないのである。

 しかし、その後の世界史の激動に対し、パヨク評論家・文化人たちの、怠惰と不見識、サヨク偏向性は、老いも若きも、80年代の「反核運動」、90年代の「湾岸戦争反対」など、節目ごとに、パヨク文化人の甘さと、考えのなさも、示してくれた(心情パヨクのなれの果てである。)。
 それに対して、サヨクのダメさかげんという、補助線を引いてくれたのは、やはり、吉本隆明だったが。
 いずれにせよ、「バカは死んでも治らない」のである。

 その中で、私たちは、確かに、吉本に教わった、スターリニズムとの戦い方を手本にした戦いに参加していた、まだ、吉本隆明も泰然としていた。
 このたびの、このテキストも、その大きな達成を、背後に隠している。

 とても粗雑な話で恐縮だが、「共同幻想論」で吉本が試みたのは、戦中派としての自己の過酷な直接体験から始まったものであり、同胞のためにも、これだけは主張し、追及すべき、強い一念であったろう。
 それこそ、それを明らかにしないと、大正二桁世代の、三人に一人は死んだという、同胞の声に応えることができない。厳しい、彼の直接体験は、私たちその子の世代として、当然、心得おくことではある。

 それでは、世代を超え、今の私たちが果たすべき「仕事」とは何なのか?

 その後、世界レベルの資本主義が出現しても内部矛盾にこらえかねた窮民革命など起こらず、2000年代になると、あにはからんや、グローバリズムが世界を席巻した。
 高度な経済権力が、TPP条約など、個々の国民国家を超え他国民を支配の枠で縛り、個々の国家まで支配下に置こうとすると話が違ってくる。
 それが、相性のよい、パヨク覇権・全体主義国家と共存共栄を図ろうとしている。

 現在、私たちが味わっている、無力感からくる「絶望」のようなものは、当時より、もっと根深く底が見えない。
 要は、敵は誰なんか、いかに戦おうか、見えにくいし、戦いにくいのである。「視えない関係」も、ことさら視えにくくなっている。
 パヨクも、環境ファシズムや、人権ファシズムや、形を変え、巧妙化する。
 愚痴になるかもしれないが、視えるようでなければ、抵抗するあてが難しい。

 このたびのこのテキストの著者、先崎氏は、1999年大学を卒業したということであり、すでに「政治の時代」は終了して久しい時期である。
 そのころとは、小泉構造・規制緩和改革が功を奏し、景気が低迷し、国内産業が疲弊しつつ、人材派遣業が隆盛となり、学生たちのフルタイム職への就職が困難になった時期であったろうか。
 やはり、先崎氏も、日本経済の低迷・退潮期で、割を食った世代かもしれない。

 このテキストで、まず著者は、年表を用意しており、戦中派の典型ともいうべき、吉本隆明と、自分や読者(視聴者)との時間的な距離を埋めようとする。適切な配慮であると思う。
 おそらく、彼にとって戦中派の体験とは、どうも祖父母の体験ではないかと思えるわけであり、それを思えば、現在の読者(視聴者)に、切実な問題として理解するということは難しいことであろう。

 私も、自分のブログを作る際に、年表を作成してみた。それは、自分ながら、興味深いものであった。友人達にも頼んですり合わせをしてみたが、それも個々に差異があって興味深かった。
 それこそ「「記憶」とは自己の関係のパターンではないのか」(吉本隆明)というのは、あながち嘘ではない。

 彼の、読書体験として、3.11の自分自身の被災時に、吉本のコメントを追い求め、切実な体験として読み解いた、とのコメントがあったが、ここらは、私もご同輩である。
 当時、自分に能う限り、現状はどうなっているのか、何か優れた考察はないのか、敬すべき思想家や評論家のコメントを、必死で追い求めたような気がする。
 そのうちでも、天災と原発事故に対する吉本隆明のコメント(まず、科学の不可逆性(ひとたび人類が開放した素粒子をもとに戻すことはできない)を説き、「これから私たちは暗い夜道をとぼとぼと歩かなくてはならない(先人に学ぶこともかなわず自分たち以外に頼るものも何もない、しかし進んでいかなくてはならないという比喩)」という優れた見識は、今も色あせた、コメントではない。
 その後も、脱原発とか、原発の操業停止とか、天災を原発事故にすり替えた、偏向新聞、恥知らずパヨクの朝日、毎日、東京新聞などの詐術と、偏向を私たちは決して許さない。

 テキストの最初に、著者の現在の「状況」の認識について総括があったが、現代の私たちは、かってなかったような、社会的紐帯や、帰属する場所を失い、万人が万人の自己利害のために闘争し、個々が、砂粒のような存在になり下がったという認識は優れたものである。
 それこそ、私たちは、皆、日々、行き場のない無力感と疎外感とともに生きている。現在では、それは思春期の若者たちだけでない。押しなべて、どの世代でも、同様に受感しているものだ。

 現在、私たちが、一様に感じる、出自が明らかでない、疎外感、いや社会からや、対人的な疎隔感(さえぎられているという実感)、どうしようもない孤独感や、ついにはどうも家族の内でさえ居場所がないような深い孤立感がまん延しているからである。

 しかし、今、本当に「共同幻想」は、押しなべて無化する必要があり、観念(共同幻想)としてではなく、現実的にも、「国家」を解体していくことが必要なのであろうか?

 個々の国民国家は、世界規模で展開する、高度金融資本主義、社会主義ファシズムにより、グローバリズムの名のもとに、多大な被害を受けつつあるからである。
 これはグローバリズムという寡占資本主義により行われる、自国民のみならず、他国及び他国民の収奪と、非常に相性がいい、すなわち、一握りの国家や支配層によって、どうも、全世界が分割・統治されるような現状になっている。

 そこまでは、理解できる道行きであるが、それに対して、どう抗していくのかという問題になる。
 あたかも、砂粒のような存在の私たちは、グローバリズムの嵐の中で、翻弄される常態にある。
 その罪悪に無自覚で、自国民の経済的利害も、その安心安全すら守れるかどうかわからないふがいない日本国政府に対して、国民の権利として、自国民の利害と、安心・安全の実現に奮闘せよと、活を入れるしかない。

 要は、国民国家の政治家たちや、官僚たちが、国民及び国民の利益を守らないと、いつでも、安心安全どころか、経済的にも、殊に中共のような覇権全体主義国家に、踏みにじられるということである。それが中共のみならず、アメリカ、ロシアと立場を超えても同様なところである。
 今も昔も、餓狼のような大国に、弱い国家は食い物にされる。
 もし、グローバリズムに功績があるとすれば、その実態を明確にしたのが、唯一であるかも知れない。

 その辺りは、著者にも同様の宿題であって、私たちは、共同幻想であっても、必要なものは、必要であるという、立ち位置にある。
 世界中で、近代国家の体制も整わない国はいくつもあることである。南鮮も中共もその類である。
 そうなれば、自国防衛も、経済防衛も、自国で行えない国家は、悲惨な運命となる。

 私たちの仕事とは、「現在」において、当時より更新された「共同幻想論」、私流に言わせてもらえば、サヨク幻想の消滅と、私たちに対立し、桎梏(しっこく)の形で現れるしかない国家及びそれを支える旧来のイデオロギーを無効化することである。
 具体的には、私たち及び私たちの利害に直接対立することが少ない、よりよい良質な国民国家を実現することである。
 そのためには、個々の営為は重要である。私たちは私たちの職責を果たさなければならないし、国民国家の敵になるものには、敵は敵として戦わなくてはならない。それは、まさしく、現在の私たちの仕事(責任)ではないのではないのか。

 私たちは、グローバリゼーションによって日々痛めつけられ、現在の日本国ですら、個人の力がいかに無力か、日々思い知らされている状況にある。

 3.11後から、現在の状況はさらに深刻である、当時の、「がんばろう日本」のキャンペーンを経ながらも、このたびのコロナ騒ぎで、震災という大きな痛みを持った「共通体験」を経た以降でも、予測不可能なことが起きれば、人はいかようにも分断される、ということが、実感された。
 案の定、「(コロナに対して)がんばろう日本」キャンペーンはなかなか盛り上がらない。

 折に触れ、煙たがられるかもしれないが、地道に味方を増やしていくしかない。
 反日パヨク、売国奴たちが立ちふさがるかもしれないが、機会あるごとに戦っていくしかない。
 消耗戦であり、こちらも研鑽を続けなければ敗北するしかないが、そうしていくしか道はない。

 「アメリカン、ファースト」ならず、「ジャパニーズ、ファースト」を、護持してもらうしかない。
 「男女共同参画」も、LGBT運動も、グローバリズムが仕掛けた、危険な戦略である。

 少なくとも、私たちは、歴史的な誤びゅうと、サヨクの破綻を見てきた。
 私たちの世代とすれば、60年代、70年代で鍛えられた、サヨクの洗礼で鍛えられた、適切なナショナリズムで、戦っていくしかない。

 その経路がないと、なおさら、現在の若者たちに共感が得られるとも思えない。

 このたび、たまたま、先に、相互に「意味のある」話ができる友人に出会った。
 社会科学系の素養や、興味がある友人に出会えるのは僥倖(ぎょうこう)である。
 彼が聞くので、いろいろ昔語りができる。
 老人にとってはとてもうれしい状況だが、今後、自分の子・孫や、彼らの子弟に対して、現在の、覇権国家、反日国家、グローバリズム資本などによって、極めて、厳しい状況に追い込まれていることは間違いない。
 もう少し、「敵」と、それこそ、不可避的に戦っていかなくてはならない。

 思えば、昔は楽だった。反帝、反スタ、反中共と、自国政府の反動政策と戦うと、表明すればよかったから。
 その後といえば、「自己」に愧じない「まともな」人であれば、自らの生活で苦闘し思考し、日々、戦ってきたはずである。

 しかしながら、そんな情況はさらに厳しい時代になった。
 理念も大義も成り立ちにくい、まさに生きにくい状況で、私たちは生きていかなくてはならない。

「政治の幅は常に生活の幅ほど広くない」、「大衆の原像を繰り込め」、世代の差を超えて、このような言葉を、自己で追及していく必要がありはしないか。
 この辺りは、著者の先崎彰容氏と共通する部分があるかもしれない。

 もと、文学少年とすれば、そう思うのである。
  (昔日のサークルのレジュメのようであるのは自覚している。まあ、そんなものである。)


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