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寺院右0463 寝堂 妙心寺内

2018年05月02日 16時22分00秒 | 寺院

重文

寝は居室の意味で、住持ここに居て来者と応対した所といわれるが、

今は視篆(してん)の時と法堂で法要が営まれるとき、

準備のできるまで住持が待ち合わす場所として使われる。

視篆とは新たに妙心寺住持となるものが、

前任者住世の押印を視て、自己がまた押印する式をいう。

 

関連記事 ➡ まとめ024 妙心寺

寺院前回の記事 ➡ 寺院右0462 大方丈の唐門 妙心寺内

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寺院右0462 大方丈の唐門 妙心寺内

2018年05月02日 16時03分45秒 | 寺院

正面は大方丈の唐門で、勅使参向、住持入山の時のみ開かれる。

平常は向かって左の門を玄関通用門とする。承応3年(1654)の改造である。

大方丈(重文・江戸時代)桁行29.5m、梁間21.7m、単層、入母屋造り、檜皮葺の大建築で、寝堂と同じく承応2年(1653)の建立。

内部は6室に分かれ、中央前面を室中、奥を仏間とし、中央檀上には本尊阿弥陀三尊像(鎌倉時代)を安置する。表側3室の襖絵(76面)は狩野探幽筆、裏側3室の襖絵(52面)は狩野洞雲(益信)の筆になる。「四季山水」や「花鳥山水」、「獅子」「竹虎」を主とした水墨山水画が描かれている。

大方丈南面 縁はしわゆる鶯張りといわれるもの、入口にかかる「方丈」の額は明の張即之の筆に、縁に面する壁上には3500ケ寺の末寺を、各等級に分類して掲げてある。

方丈前庭 数株の松の外は、ただ白砂と緑苔のみで、禅院特有の簡素美の庭である。ただしこのことがかえって塀越しに諸堂や樹木の景観をひきたてている。

 

 

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寺院 前回の記事 ➡ 寺院右0461 鐘楼(浴鐘)   妙心寺内 東

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人物017 惟喬親王

2018年05月02日 07時28分33秒 | 人物数々

 

大原上野の東南の山中に、平安期の初期藤原氏専制の犠牲になった

惟喬親王の墓がある。高さ1.5mの五輪の石塔

惟喬親王(844~897)は文徳天皇の長男。当然皇太子を約束されながら、母が当時の貴族社会を牛耳っていた藤原一門の出身で無く、嘉祥3年(850)に天皇と右大臣藤原良房の女、明子の間に惟仁親王(清和天皇)が皇太子に立てられた。文徳天皇は惟喬親王を天安2年(858)大宰師に任じ、貞観14年(872)上野太守にされた。その秋、病気のために出家し、いまあるお墓から北250mあたりに隠棲された。また母弟惟仁親王の立太子のとき出家されたともいわれている。出家後、政治のことは縁を切り、自然を友に詩歌に励み、紀有長在原業平らと文墨を通じて親交を重ね、特に業平とは親交厚くしている。不幸な生い立ちだが、出家を境に平和な余生を送り、寛平9年2月、54歳のとき、この地で亡くなっている。洛北一帯に親王ゆかりの旧跡とつたえるものが多く残っている。

左京区広河原杓子屋町、杜若(かきつばた)豊次郎氏宅に縦10m、横16mの長方形の池があり、珍しい四季咲きのカキツバタが植わっている。惟喬親王が出家後この地に植えられたものだといわれている。墓の近くには親王をまつり、上野町氏神になっている小野御霊神社があり、山を隔てた北区大森東町、長福寺境内には惟喬親王塔というのがある。室町時代のものらしい。北区雲ヶ畑に惟喬神社がある。

 

親王没後1120年を迎え、親王をしのぶ祭りを毎年続ける滋賀県東近江市の永源寺と連携して企画した。大原では親王亡きあと、しのぶ法要が続いていたが、明治期に千回忌法要を行って以降途絶えた。惟喬親王1120年法要が大原の勝林院で営まれる。惟喬親王は永源寺地区の人々に木地師の技術を伝えたとされています。

 

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          清和天皇陵 水尾山陵 

          文徳天皇陵

          道標左0169  惟喬親王御墓参道

          道標左0170  惟喬親王御墓 参道

                           まち歩き左1098

  


陵墓左026 惟喬親王 陵墓

2018年05月02日 06時13分04秒 | 陵墓

 

惟喬親王は文徳天皇の第1皇子であったが

母方が藤原氏の出身でないばかりに皇位に就けず

世を避けて隠棲されたのがこの地と伝えられています。

又、となりの小社に親王の御霊を祀る小野御霊神社です。

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陵墓 前回の記事 ➡ 陵墓北025  媞子内親王 火葬塚

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