しょくしちょう 職司町 平安時代の名残り
大内裏の外にあったが 平安京の司法・行政・警察を司った京職のあったところ。
職司の名前はこの京職からのもの。
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しょくしちょう 職司町 平安時代の名残り
大内裏の外にあったが 平安京の司法・行政・警察を司った京職のあったところ。
職司の名前はこの京職からのもの。
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中京区 西ノ京 右馬寮町(うまりょうちょう)
この近くは 平安時代 大内裏があった場所
平安時代の大内裏図のなかに 左馬寮の屋敷・敷地の名前がある。
大内裏の南西方面
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町名検索 ➡ 町名まとめ002 平安京・大内裏 に関するもの
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寛永5年(1628)松平忠明が母(徳川亀姫)の菩提を弔うために、梁南和尚を開山として創建したと伝わる。方丈の襖絵「山水画」四面は、渡部了慶の筆といわれ、他に片山尚慶といわれ、他に片山樵尚景と思われる。「山水画」8面を有する。墓地には真田一統の墓や勤王志士佐久間象山の墓がある。
松代藩初代藩主・真田信之(1566~1658)の菩提寺、真田信繁(幸村)の兄信之の遺命を受けた孫娘の長姫が1662年に建立した。寺の院号は信之の法名にちなんでいる。
信之の肖像画は、保存状態がよく、色彩豊かに真田の家紋「六文銭」が入った台座に座った状態で描かれている。長姫や信之の長男・信吉、信吉の次男・信利の肖像画もある。境内にある信之の墓もある。
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