右側
日門上人墓所 本妙寺 右 念仏寺 二丁
左 園口 半丁
左側
正平役城之内古跡 左 山ノ井 一丁
右 本妙寺前
2本とも
昭和2年10月 京都 三宅安兵衛依遺建之
正徳4年 1714年
本妙寺
当山開基普伝院日門は、当初真言宗の僧として南光坊と称した。その学徳を慕って帰依し、竹内供 守経孝が願主となって一寺が造立された。永禄年間、法華宗総本山本隆寺第6世 院日雄、八 に於いて説法教化され、南光坊説法を聴聞し、解悟して法華宗に改宗し、名を日門と改め、寺号を本妙寺、山号を久遠山と定めた。してさらに、日門は日雄を久遠山本妙寺開山。第一世に推し、自分は第二世となった。時に永禄7年3月28日(1564)である。檀那竹内伊予守大いに喜び、寺観を拡張し、塔頭2ケ院(円珠坊、乗蓮坊)を設立し大いに繁栄した。・・・・・
京都・堺・安土に於いて大いに法鼓を鳴らし大法弘道に精進する。
天正7年(1579)5月27日、隆盛を極めてした法華宗を弾圧する意図をもって、織田信長によって仕組まれた安土問答の浄 院で行われた法華宗と浄土宗との間の論争において法華宗の敗北が制定され、法難に遭遇し斬首の刑を受け殉教死する。その後当山は慶応4年に山崩れによって・・・・大方の支持を得て繁栄を重ねてきた。平成8年11月22日不審火により本堂等が焼失したが、平成12年11月に落慶法要を終えた。
京都府指定文化財 雲版 永徳2年
八幡市指定文化財 本妙寺文書40通
天正7年5月27日 日門上人
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