水月菴
当菴は元阿弥陀堂と申し天明初年の頃越前ノ国より霊宗尼が二人の弟子と此の地にこられ其頃円福寺の住職海門禅師に付いて修行され其の後京都の五条坂に金光院の菴主様も当菴にきて霊宗様と共に熱心に修行とれましたので八幡の阿弥陀堂には立派な菴主様が二人も居られると云事が全国に聞伝へられて盛大な時は5・60人もの雲水が集まって暇さえあれば托鉢其の他色々作務を致乍ら熱心に修行して居られたのですが何と云っても円福寺が近いので僧道場にふさわしく無いとの事で只今は京都一乗寺の圓光寺へ道場がうつされたので御座います。そんな厳しい道場ですが其頃京都東園の中姫が皇女和宮の句に上がって居られましたので宮様の生前の悩みをお気のどくに思ひ洛南福禄谷の菴にて黒髪を落とし宗門に入られて宮様の菩提をおとむらいをされたので、その御因縁で明治天皇様の供養も当菴にて致居ります。
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