西願寺(さいがんじ)
浄土宗鎮西派の寺。天正年代創建と伝わり、開山は超蓮社願與宗福和尚。本尊は阿弥陀如来立像(木像)、脇侍は観音菩薩、勢至菩薩。北野天満宮朝日寺から、聖観音菩薩が明治の初めにうつる。毎年8月1日に御開帳があり、だれでもお参りできる。なお西願寺は昭和49年に大和大路三条下ルから当地に移転した。
寺院前回の記事 ⇒ 寺院左0671 西蓮寺 浄土宗 西山派
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西願寺(さいがんじ)
浄土宗鎮西派の寺。天正年代創建と伝わり、開山は超蓮社願與宗福和尚。本尊は阿弥陀如来立像(木像)、脇侍は観音菩薩、勢至菩薩。北野天満宮朝日寺から、聖観音菩薩が明治の初めにうつる。毎年8月1日に御開帳があり、だれでもお参りできる。なお西願寺は昭和49年に大和大路三条下ルから当地に移転した。
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長谷八幡社
当神社は惟喬親王の御請願に依り、八幡大神並びに惟仁親王を御歓請し天安元年(857)この洛北の地に御鎮座された古社である。
皇位から艮(うしとら)位の方向に当たることから、国家鎮護の神と申し伝えられてきた。
山城名跡巡行志には「鳥居は西向、一ノ鳥居は人家の傍に在りの二ノ鳥居は社の前、又花園方に在り、拝殿社南向き、惟仁親王の観請と伝える」とある。
元和年中(1615年~1624)社殿大破を憂いられた後水尾天皇の皇女東福門院が御修理再興せられたものが現在の社殿と伝えられている。
長谷村、花園村、中村、三宅村の岩倉四ケ村一円に亘る広大な地域の氏神として崇敬されてきた。毎年秋の大祭日に神輿を奉じ氏子区域を巡行し、三宅町の御旅所まで渡御が盛大に行われる。
移り変わり激しき世と共に近来人口も増加する中にあって、格式ある社殿及び伝統行事を守るべく努力が重ねられている。
まっすぐに西に延びる300mもある参道は馬場として、昭和20年代まで競馬が行われていた。
区民の誇りの木 モミの木
元禄の文字が見える
絵馬の数々
明治27年
土の荒れたところは イノシシのためかな
苔むした 狛犬
神社 前回の記事 ⇒ 神社左0199 岩倉 元八幡宮
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