右 鎮宅妙見道 是ヨリ 三丁
大正13年4月建立 修学院有志者 発起人
石工 名力
修学院 石工 小川卯之助
道標 前回の記事 ⇒ 道標八幡0262 獅子塚跡 碑 三宅石碑
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右 鎮宅妙見道 是ヨリ 三丁
大正13年4月建立 修学院有志者 発起人
石工 名力
修学院 石工 小川卯之助
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朗詠谷石碑
飛騨ノ池の入り口に立つ石碑は、藤原公任がここ(朗詠谷)で、漢詩や和歌を集めた詩歌集『和漢朗詠集』を編集したという故事にちなんで、昭和50年に建立された。公任は晩年、世をはかなみ貴族の暮らしを捨て、朗詠谷の山荘で詩歌を友に暮らした。解脱寺で出家後も17年間この地で過ごし、76歳で亡くなった。
朗詠谷 和漢朗詠集の道 御所谷とも云う
撰者 四条大納言藤原公任隠棲地はこの付近
谷風になれすといかゝおもふらん
心ははやくすみにしものを 公任
石碑 前回の記事 ⇒ 石碑左0207 萬里小路 藤原公遺髪塔
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梅ノ宮神社
中村(現中村)は往古下鴨中村郷にあり村民は下鴨社の神人として仕えてきたが度重なる賀茂川氾濫の被害を受け後水尾天皇の時代(1611~29)禁裏御陵であった現在地に移住してきたと伝えられる。梅ノ宮社は以前東北100mの位置にあったが、明治9年現在地に遷社、大正9年に東向きを南向きに改め昭和53年宗教法人の認可を受け、昭和60年6月社殿を改築現在に至る。梅ノ宮社の由緒等については、不詳であるが中村郷より共に移り来たものと思われる。なお神社は「ながいきの神様」としてあがめられ大祭を5月3日(祝)に執り行われ神前で子供ずもうが奉納される。
大正6年 の建立
神社 前回の記事 ⇒ 神社左0200 岩倉 長谷八幡宮
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