大原上野町の久保家の庭内にある井泉。天長年間(824~34)弘法大師の霊感により、その高弟真済僧正が悪疫をはらい除くために掘りだしたものといい、以来井泉の傍らに一宇を建て、瑠璃光薬師如来を安置するに至ったという。この井泉はふだんは水が湧かず、毎年1回、旧暦の6月16日だけ湧出する。しかも早暁から湧き出し、午後になって止む。俗に「せんき」の水と称し、この水を飲むと疝気・癪気に霊験があるといわれ、当日は井戸よりくみ上げた水を、薬師瑠璃光仏を安置した座敷の前庭へ竹桶にて流し、一般参詣者に授与される。
因みにこの井泉は、むかし久保家の先祖が白狐の危難を救った報恩に、白狐がこの奇瑞をあらわしたのだとつたえる。同家にはまた惟喬親王とつたえる僧形坐像を安置する。
関連記事 ⇒ 陵墓左026 惟喬親王 陵墓
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き左1097 大原 案内板
元三大師道
比叡山元三大師堂への参道。
かつて、誕生会(9月3日)に大原の里人は、この参道を登って、近江の人達と御堂で盆踊りを奉納した。
赤いたすきのあでやかな大原女姿はひときわ目を引いたようです。
道標 前回の記事 ⇒ 道標木津川0264 何が書かれているか 不明
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令和1年11月25日 画像追加
大きな提灯が目に入ってきます 1004年の創建です
西国33ケ所 第19番目の霊場 行円上人・革聖とも呼ばれた
鎮宅霊符神、加茂大明神塔、寿老人神、
幽霊絵馬が知られています
本堂
遠くからでも よく見えます
香炉 沢山の人に触れられたのか 光っています
奉納額
天道大日如来と 延命地蔵菩薩
手水舎
円行上人の石碑 車石
車石 関連記事➡ 京博 野外展示
愛染堂
寿老人堂
書院
庫裏 右・鎮宅霊符神
鐘楼 右・百体地蔵尊
鐘楼の脇に置かれている地蔵
関連記事 ➡ 国立京都博物館 野外展示
加茂大明神 形式が珍しいとのこと
京都七福神の1つです ここは、寿老人神
更新時にアジサイが咲いていました
平成27年6月17日 撮影
車石 ⇒ まとめ005 車石 のあるところ
梅之宮神社
大原八箇町の産土神である江文神社(左京区大原野村町)の境外摂社で、祭神は木花咲耶姫、江文神社の妻女を祀ったと伝わることから、姫宮とも呼ばれている。
毎年5月5日に行われる大長瀬祭は当社の例祭で、大原八箇町の輪番によって、太鼓を伴った神輿一基が、素襖で正装した氏子に担がれ町内に出御する。4日の江文神社例祭(太原祭)に引き続いて催行されるが、昭和30年頃までは15日が大原祭、16日が大長瀬祭であった。延宝4年(1676)の『日次記事』によれば、当時は梅宮祭と称して旧暦3月3日に神輿出御、5日に還幸があった。
山中に鎮座する江文神社に対し、里の中に鎮座する当社は、姫宮という性格とあいまって、小社ながら大原の人々に長く親しまれてきた。大原は江文、梅之宮の両社に守られてきた地域と言えるであろう。
大原小学校創立跡 明治8年5月18日(1875年)
石碑 前回の記事 ⇒ 石碑木津川0209 木津町役場跡
神社 前回の記事 ⇒ 神社木津川0202 木津川 天王神社
関連記事 ⇒ 神社左0132 江文神社
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本立山 本山は 京都 妙満寺
相楽郡誌によると 天和元年(1681) 僧日 開基創建す、とある 本尊 釈迦如来立像
寺院 前回の記事 ⇒ 寺院木津川0675 西蓮寺 西山浄土宗 石碑があるのだが
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本尊 阿弥陀如来坐像
観音菩薩立像 勢至菩薩立像
石碑 内容がよくわからない
寺院 前回の記事 ⇒ 寺院木津川0674 信楽寺(しんぎょうじ) 浄土真宗 本願寺派
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