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朝食に目玉焼きが出るというのは定番だが、目玉焼きに何をかけるかというのは意外と千差万別のようだ。
少ない調査データで申し訳ないが、職場の雑談でのことから推察すると、一番は醤油というものだった。食卓に醤油の常備は一般的であろうし、これは納得がいくものだ。素直に味もおいしい。出張先で近くのテーブルの食事を見るともなしに見ると、圧倒的に醤油という印象は確かに持つものだ。中には醤油はフライパンの調理の時に少量垂らすということも聞いたことがある。香りという点でやることらしい。
目玉焼きとベーコンを一緒に焼くというのも定番のようで、その時は塩コショウという意見もあった。そういう味付けがなされていても、家族の中には皿に盛りつけてある状態にさらに醤油をかけたりしている人もあるそうだ。調味料の王道の醤油としては、なんとしても登場したいらしい。
いきなり脱線するが、歌舞伎町の案内人の李小牧のエッセイで読んだが、日本人は刺身に崇高な味があると勘違いしているが、あれは単に醤油を食っているだけだ、と書いていた。中華料理と比べて、如何に日本人の味覚が貧相かという皮肉らしい。もちろん冗談も入っているのだけれど、日本人は醤油を味わうために飯を食っているというのは、時々僕も感じることだ。醤油が偉大すぎるために普及してしまった現象なのだろう。
焼きそばにも醤油、皿うどんにも醤油、お好み焼きにも醤油という人もいた。単に塩コショウやソースやケチャップやマヨネーズやオイスターソースやおたふくソースは使い分けた方がいいと思うが、そうではないらしい。タルタルソースに醤油をたらすとおいしさが増すという意見もあった。やはり醤油か。ちなみに僕の妹の話だと、マヨネーズにたくあんを刻んで入れるとタルタルソースの代用になるのだと言っていた。
最近はなんにでも一味とか七味とかをかけるのだという意見もあって、それは味もそうだが代謝促進のためだとか言うことも聞いた。しかし目玉焼きにも一味なのかと聞くと、自分らはしないがする人もいるだろうとのこと。常時七味を携帯している人もいるのだとか。外食などの時に店の人の目が気になることはないのだろうか。
目玉焼きに戻ると、僕が不思議だったのは目玉焼きにソースが意外に少ないことだった。僕は普段目玉焼きは塩コショウが多いようなのだが、子供のころは圧倒的にソースだった。目玉焼きが何料理なのかというのは議論のあるところだろうけど、平べったい皿に出されてくる場合には、またはフライパンで調理されているような場合には、やはり洋食という雰囲気が漂っているような気がする。そうであるならば醤油よりもソースという方が王道ではないかという気がしないではないが、僕以外には年配の人一人だけだった。若い人たちには目玉焼きにソースは気持ち悪いという意見もあった。一定の年代以下には洋食ではないということなのだろうか。ちなみに飲んだ帰りに立ち寄る「餃子のたっちゃん」では、ニラ卵にはソースという感じがする。これも醤油をかける人がいて、まあそれもいいが、本来はソースだろうと心の中で呟いてしまうのだった。
ひょっとすると日本の調味料の中でソースというのは、戦後ある程度普及したのち、ものすごく消費が落ち込んでいるのではないか。テレビCMでも以前はイカリソースだとかブルドックだとかカゴメだとか盛りだくさんだったのに、あんまりテレビを見なくなったせいもあるかもしれないが、まったくそのようなものを見なくなってしまったように思える。ソースが食卓にすらないというお宅もあると聞いた。僕が嘆いてもしょうがないが、ソース味というものが若い人には伝承されない危機にあるという可能性がないではない。雑談の中では、そもそもウスターソースとオイスターソースの違いが分からない人までいた。食生活の多様化というけれど、実は単純化しているのかもしれないとも考えてしまったのでありました。