散歩中つれあいに電話していたら、散歩道沿いのお宅の鶏が鳴いたらしい。「コケコッコー」とつれあいは言って笑った。不思議なことにそう言われて僕は、はじめて鶏が鳴いていることに気付いた。いや、気づいてないことは無いはずなのだが、気にしたことがなかったというか。かなりの音量なので相手先の電話でもしっかり聞こえるというのに。
職場のご近所は日本を代表するような過疎の山間部である。おそらくこの地区の人口の半分以上は僕の職場関係者である。つまり人が住んでいない。ちょっと前にご近所で火事(ボヤ)があって、その時はじめてそれなりに人が住んでいることに気付いたくらいである。職場の前の道路は一時間に5台くらいしか交通量が無い。いや、それでも見栄を張っていると言われるかもしれない。
そんなようなわけで、耳を澄ますと鳥たちのさえずりがやかましいくらい聞こえる。鳥に詳しくないから名前まではよく分からないけど、ピーピー、ピーチクやら、キーキーやらクエーっというようなものも今聞こえる。キジとか目白とかモズなんかなんじゃなかろうか。スズメもいるがむしろ少数派で、里の鳥より比較的野性的なんでなかろうかと思うのだが、まあ、よく分からない。木の幹をつつく音も聞こえるし、落ち葉をカサカサ歩く様な音もたくさん聞こえる。恐竜は絶滅してしまったらしいが、その子孫である鳥たちは大変に元気がいいのである。
世は選挙中だが、この地区は無投票で県議候補が決まってしまった。その後町議選があるのだが、ここまで選挙カーが登ってくることはまれだ。また全候補者が回ってくることも無いようである。地方とはあんまり関係が無い話かもしれないが、今のような非常時になってみると、本当に政治家って何やってるんだろうなあと呆れることが多すぎるのだが、しかしそれは確かに国民のレベルなのであって、どの道そのような人たちしか選ばれないのであるから今があるんだな、と思うだけである。おそらくこの国はしばらくの間かなりの苦難の中で地道にやるより無くなったようなのだけど、それでも選挙は変わりがない。今だからこそ無責任で無い希望を語れるとか、もっと言うべきことを言いたいという状態の方が自然のように感じるが、世論の出方にアンテナを張ることはあっても主張の無い政治家に、何かを託す方が無理である。
気が付けば山桜も赤茶けた葉の方が多くなっておおかた散っている。少し前まで黄緑色の可憐な小さい花をつけていたアオモジも見当たらなくなってしまった。銀杏も青い葉っぱがつき始めている。間もなく新緑の季節なのだ。
職場のご近所は日本を代表するような過疎の山間部である。おそらくこの地区の人口の半分以上は僕の職場関係者である。つまり人が住んでいない。ちょっと前にご近所で火事(ボヤ)があって、その時はじめてそれなりに人が住んでいることに気付いたくらいである。職場の前の道路は一時間に5台くらいしか交通量が無い。いや、それでも見栄を張っていると言われるかもしれない。
そんなようなわけで、耳を澄ますと鳥たちのさえずりがやかましいくらい聞こえる。鳥に詳しくないから名前まではよく分からないけど、ピーピー、ピーチクやら、キーキーやらクエーっというようなものも今聞こえる。キジとか目白とかモズなんかなんじゃなかろうか。スズメもいるがむしろ少数派で、里の鳥より比較的野性的なんでなかろうかと思うのだが、まあ、よく分からない。木の幹をつつく音も聞こえるし、落ち葉をカサカサ歩く様な音もたくさん聞こえる。恐竜は絶滅してしまったらしいが、その子孫である鳥たちは大変に元気がいいのである。
世は選挙中だが、この地区は無投票で県議候補が決まってしまった。その後町議選があるのだが、ここまで選挙カーが登ってくることはまれだ。また全候補者が回ってくることも無いようである。地方とはあんまり関係が無い話かもしれないが、今のような非常時になってみると、本当に政治家って何やってるんだろうなあと呆れることが多すぎるのだが、しかしそれは確かに国民のレベルなのであって、どの道そのような人たちしか選ばれないのであるから今があるんだな、と思うだけである。おそらくこの国はしばらくの間かなりの苦難の中で地道にやるより無くなったようなのだけど、それでも選挙は変わりがない。今だからこそ無責任で無い希望を語れるとか、もっと言うべきことを言いたいという状態の方が自然のように感じるが、世論の出方にアンテナを張ることはあっても主張の無い政治家に、何かを託す方が無理である。
気が付けば山桜も赤茶けた葉の方が多くなっておおかた散っている。少し前まで黄緑色の可憐な小さい花をつけていたアオモジも見当たらなくなってしまった。銀杏も青い葉っぱがつき始めている。間もなく新緑の季節なのだ。