カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

笑いながら笑われているのだろう   笑う子規

2012-08-20 | 読書

笑う子規/正岡子規著・天野祐吉編(筑摩書房)

 正岡子規の博物館があるらしくて、そこでは毎月替わりで子規の句を垂れ幕にして掲げているらしい。そうやって選んだものは、いわゆる子規の有名な句というだけのことでは無くて、むしろ意外な面白味のあるものという選考していたものらしい。子規は二万四千ほど俳句を残したそうだが、その中には、本当にこの本で紹介されているような、面白くもなんだか変なものもたくさんあるのだろう。有名な「柿食えば」にしても、なんだか分かるようでいてよく分からない、不思議なおかしみのある句である。そういう可笑しなことを時々考えながら、子規という人は俳句をひねり出す毎日を送っていたのではあるまいか。
 なんでも重い病と闘いながらも34歳という若さで亡くなったという背景もあって、また、子規の写真というのも、なんだか生真面目な感じのあの有名なものがある訳で、人々のイメージとして、子規の句というのは、ちょっとばかり気難しいものがあるように思われるかもしれない。漱石との友情物語だとか、野球が好きだったとか、いろいろと知られている事が多い中で、しかしやはりおかしな子規という感じでは、人々は彼を認識していないのではなかろうか。
 ところが、という意外性もあってか、この本におさめられている句の力の抜け具合というか、むしろのびのびと馬鹿をやっているというような、まるで落語の長屋で出てくるような変な庶民の姿を地で行くような、そのような子規の姿が浮かび上がってくる。
 子規の句の後に、解説ともつかない編者のコメントが添えられており、これがまた絶妙な子規への愛情も溢れており、同時に思わず笑わせられる。俳句のような短い文学というか芸能というか文字文化というものの、神妙なところを取っ払った上での奥深さがまたにじみ出ており。肩ひじ張らずとも、面白く胸を打つ言葉の不思議に感じ入ることになるのではなかろうか。
 それにしても普通に生活しておりながら、その時々に思ったことを、短い決まった調子で文字に残すだけで、どうしてこのような面白味が出てしまうのだろうか。それが俳句なんだといえばそれまでだろうけれど、本当に言葉というのは不思議なものだと思わずにいられない。そうしてそれは簡単なことでは無いのだろうけれど、やはり多くの人が、その世界に遊ばずにおられないということのようだ。現代人であっても、その世界に容易に入って遊ぶことができる。そのような時空を超えた共感というものが、この世界で遊ぶことのだいご味なのかもしれない。遊びながらその世界を垣間見ることのできる、なかなか鋭い本だということもできるのではなかろうか。
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