カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

壮絶な人間教育の書   血だるま剣法・おのれらに告ぐ

2012-08-22 | 読書

血だるま剣法・おのれらに告ぐ/平田弘史著(青林工藝舎)

 差別表現というレッテルをはられ、絶版回収の憂き目にあって長らく封印されていたという、いわくつきの貸本時代劇の傑作と言われている作品。
 単にエタとかヒニンという言葉を使っているだけ(復刻版は○○で書かれてあるが、間違いなかろう)のようにも思うが、解説にもある通り、むしろそのような差別を憎み根絶させたいという壮絶な思いがベースになっていて、これを読んで差別を憎むようになる人間は増えるだろうけれど、差別を助長させようと考える人間は根絶されていくのではあるまいか、と思えるような、強烈な印象を残す作品である。それにはっきりいって、名作であるということも含めて、たいそうお話自体が面白い。
 確かに絵が上手い上に壮絶な残酷描写のあるのも確かで、その印象が強すぎるきらいはあるかもしれない。しかしそうであるからこそ、物事の本質まで引き込まれてしまうことも確かそうで、少なくとも僕自身は、たとえ日本の過去の歴史にあったであろう事であっても、人間として差別というのは決して許されるものではないのだ、という思いをさらに強くした次第だ。このような漫画を子供時代に読めた頃の子供たちは、ハードではあっても、その後の人生に実りが多かったことは想像に難くない。むしろ今の軟弱そうに見える子供教育にこそ、これからも活かされるべき作品なのではあるまいか。もちろん、そのことを理解できなさそうな大人社会にあるからこそ、このような作品が封印されてきた訳で、理解もされにくく、今更手遅れでもあろうが。
 それにしても主人公をこれほどまでに病的にさせた原因こそが、やはり差別の根源だと言えるだろう。もしかすると、現代におけるいじめ問題にも通ずるところがあるかもしれない。その強烈な悲しみと怨念が素直に表に出てくると、このような人間をも生み出してしまいかねないのではあるまいか。もちろんこれはエンターティメントであり、フィクションなのだが、人間の受ける怨念の姿を絵画的に表現すれば、このようになってしかるべきだと思わないでは無い。そういった意味においても、人々はこの漫画を読んで考える機会を持つべきなのではなかろうか。力技ではあるけれど、かなり有効に人々はその悲しみに共感し、そして巨悪を憎む心が育まれるに違いない。
 読後感はむしろ最悪ではあるが、そこに人間的な皮肉も隠されている。狂気の終わりにホッとする人間は、差別の心やいじめの心から解放されたい人間ということのようだ。そのような心こそ、結局は根絶やしにするのが大変に難しいのだ。むしろ人間の本質に差別をするような心があるからこそ、人々は戦う必要があるのかもしれない。楽しい話で無いからと言って目をそらす事を繰り返すような事こそ、このような根源的な人間の罪を、忘れさせて隠してしまうことになるような気がする。この復刻によって名作を世に定着させることが、本来的な文化の役割と言えるのだろうと思う。それを人間の叡智というのだろう。
コメント
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