成人は20歳か18歳か問題議論というのが、また活発化している。また、というのは、まだやってんの? 気分もある。相変わらず物事を決められない日本というのが根本にあって、議論があっても素直には決まらなかったりする。率直に言って諸外国ではこの議論が持ち上がった後、一気に成人年齢は18歳に様変わりした。いろいろ事情はあるけど、ほぼ9割は既にそうなった。だから日本は変えるべきとは(理由としては)まったく思わないが、できれば決着を見たいものだ。
しかし先に言うと、今回はちょっと最初から筋が悪い。憲法改正に伴う国民投票の年齢を引き下げる思惑が先にある所為だ。憲法は決まりだから変えられるほうが断然いいけど(なぜなら僕らが作るものだという基本がないがしろにされているから)、手続きを変えるために望んでいない方面を変えていくという手段が姑息に見えるからだろう。もともと18歳引き下げ議論は過去に学生からも盛んに議論されたが、大人が拒否して現在に至ったわけだが、今になって大人が子供に媚びているわけだ。まったく大人って勝手だよ、という図式がみっともない。
だが、まあ現在の与党勢力からすると、もう決着は見えているということなんだろうけど。だから、さらに情けなかったりするのかもしれない。議論に意味なし。
しかしながら僕は、年齢引き下げにはこれらの理由以外に賛成だ。何故かと言うと、根本的にダブルスタンダードとか、嘘が嫌いな性格だからだと思う。
年齢引き下げにはいろいろ法律が絡むので、役場としてはめんどくさくてやりたくないという理由が、まず気に食わない。そんな理由じゃないと思っている人は甘い! 実は本当はそういうところがありそうなのが真相っぽいのが日本じゃないか。
そうして現実を見ると、事実上18で成人であることのほうが自然だと感じることだ。大学生になったり就職したりという年齢であるのが何より大きい。酒タバコは早すぎるという感覚は少し分からないではないが、事実としては黙認しているはずだ。結局は社会的に嘘をついてその二年余り目をつぶっている。そういう本音と建前の区別期間ということだとまさに日本社会の縮図だが、厳密に言うと嘘だということに違いは無い。嘘が無いと成り立たないのが嫌なのかもしれない。
さらに、特にこれは大人である自分らを鑑みて思うのだが、大学生は子供だとみなしている大人がなんとなく嫌なのかもしれない。大学生の入学式には親同伴が当たり前になっているし、さらに卒業式までそのようなことになっている現状が、なんとなく嫌なのかもしれない。行きたい人は行ってもいいと思うけど、その数が多いのが気になるところなのかもしれない。そのことに、あまり大きな声で文句も言えない子供としての大学生というのも変な感じだし、それで社会人になって大人になるというは、やはりちょっと違うのではあるまいか。
時代によって成人年齢が違うのは、文化的にはありうる話だ。しかし現在はまったくの政治問題。しかしその先は法が支配している社会であるといえる。僕は法律を守らない日本の情の社会を改めるべきだと思っている。その上で18でなければならない大人の責任をお互いに考えるべきなのだ。