カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

面白いが、面白半分では語れない街   さいごの色街 飛田

2014-04-17 | 読書

さいごの色街 飛田/井上理律子著(筑摩書房)

 飛田を知りたいなら、というか、男性の場合はお金を持って行ってみれば良いだけの事かも知れない。知りたいという目的かどうかは分からないが、ある程度はそれだけで分かるわけだ。しかしながら、これが女性だとどうなのか、ということになる。さらにフリーライターが、飛田とはなんだ?という視点で探るわけだ。最初からかなり無理のある話にならざるを得ない。分かりきっていることを分からない前提でもぐりこまなければならない。実際に苦労しているようで、しかしそのために、かなり全貌を掴むことにも成功しているし、細部においてもなかなかの興味深いリポートになっている。断っておくが、エロとしての興味の人には期待はずれなところがあるんじゃなかろうかとは思う。しかしながら、飛田という街が何で存在しているのかということを理解するなら、この本は大変に有用なものだ。そうして基本的に、人間とはなんだろう、ということも考えるわけだ。
 分かりきっていると書いてしまったが、実際には知らないことだらけだ。厳密に言えば、野暮なので立ち入らない領域に、実際に立ち入ってしまうことで面白さが生まれている。男にとっては目的外のことばかりしているので、そういうものを壊すというか、やはり利用する側の視点や、その街で生業を立てている視点からすると、結構な迷惑な話になってしまうのではなかろうか。
 世の中には建前というものがある。小さな料亭で仲居さんと自由恋愛しているものを、あれこれ法律で禁止されている売春ではないか、と探られてしまうと、すべてが成り立たなくなってしまう。危ういバランスで成り立っているのだが、本当の話になると、皆困る人ばかりなのだ。彼らの多くはこの不条理を、単なる商売というより、むしろ人助けのような感覚で行っている。もちろんお金は一番の動機ではあるが、だからこそ性というのは一番の商売になる。危うい事情によって供給する側を取り込めることが出来れば、需要はいくらでもあるということだ。そのバランスを何とか保つシステムを開発した街が、他ならぬ飛田ということだ。もちろん他にもそういう街はたくさんあるはずなのだが、やはり飛田はその風情を含めて、かなり特異性がある。現代社会に存在することができることは、ほとんど奇跡といってもいいのかもしれない。
 ふれられている歴史で面白いなと思ったのは、他ならぬ戦後にGHQへ性の供給のために政府がその方面を多額の予算を使って整備したのだが、日本最大の色街である飛田が外れてしまうということだ。それはGHQ自身が視察に来て、不衛生な日本家屋が並ぶ街に警戒したということがあるようだ。結果的にその独自性が担保できたということもいえるし、独自の理屈でその後の売春禁止の法の網をくぐることも出来た。企業努力ということもあるし、自由だから生き延びたともいえる。他の街はもろに法律にふれることになってしまい、一気に闇化して危険度を増してしまう(いや、飛田も危なかったのだが…)。現在もそうだけれど、自由さが無ければ抜け道を探すものが増える。要するにそういう部分に手を出すようなものは、法を守らない人間だ。そうして需要の危険度は増してしまうようだ。これは色街以外でも当てはまる法則のようなものかもしれない。
 しかしながら、この街で働かざるを得ない人間のことを思うと、著者の視点での告発はある程度仕方が無いとも思う。誰も最初から望んで売春をするとは考えにくい。女であるために売れるものは、自分自身のために使われているのではないようだ。騙されたり売られたり、そうして普通ならもっと別の道があったはずなのに、その蟻地獄からは抜けられないシステムがしっかりしている。この街で暮らすものは、この街から出られなくなってしまうのだ。どんな慰めを自分にするのかは分からないが、ぜんぜん良いとは思ったことが無い人生を、この街に頼らなければ続けられないのである。
 人の不幸に支えられて、一時の春が欲望を満たすのである。もちろんそのために、ひょっとすると多くの治安が保たれているのかもしれない。事実としての自然な社会のために、どれほどの犠牲が必要なのだろうか。売春の無い社会や国家とは考えにくいのだが、構造的に何も手が出せないで済む問題でいいのか。現実として飛田の内情が日本の残酷物語であることには違いは無い。自浄努力で何とかなるものとは思えないし、しかし本当に関わっていいものかも分からない。
 いきなり飛躍になるが、いっそのことオランダのように売春を合法化すると、飛田のような街は失われてしまうのかもしれない。そのことにある種の悲しみを覚えるというのは、やはりエゴというべきなのだろうか。
コメント
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