杏月ちゃんと散歩していると、よく齢を聞かれる。私でなくもちろん杏月ちゃんである。僕はだいたい考え込んでしまう。正直毎回よく分からなくなるからだ。それで、11、とかもうすぐ12とか答えることが多いように思う。そういえば知らない人がいるかもしれないので今更だが、杏月(あづき)ちゃんというのは、ウチで飼っている愛犬(雌)の名前である。
それでうちに帰ってきて、杏月ちゃんって何歳だっけ? とつれあいに聞く。そうしたら13歳だというではないか。そうか、そうだった。昨年末に13歳のお祝いをしたのだった(僕はあくまで参加者。厳密に言ってつれあいがすべて取り仕切ってくれた)。ご馳走食べて、ケーキも一緒に食べて(犬用がちゃんとある)、記念撮影もした。杏月ちゃんは誕生会用のお洋服を着て、少しかしこまっていた(戸惑っていただけかもしれない)。
13歳というのは、犬だからずいぶん高齢である。犬の年齢を人間と同じように換算する方法があるようで、それは実にいろいろあって面倒なんで、とりあえずネットで確認すると、犬の13歳は人間でいうところのおおよそ68歳であるという(諸説あります)。
犬というのは大小ずいぶん多様だし、犬種もあるし、家の中や外で飼うとか、使役犬であるとか、さらに住んでいる地区の寒暖差や、国境などのコンディションの多様さがあるので、一概に信用はできない。そうではあるが、経験上、だいたい13年以上だと、いつ死んでもそんなにおかしくない。僕の家で飼われていた歴代の犬で、13年以上は一匹しかいないはずである。
要するにそんなことが頭をめぐってきてしまって、いつの間にか涙ぐんでしまう、ということになるというだけの話である。なんでこんなに切ないのだろうか。こんなに子供みたいな杏月ちゃんが、もうあと長くはないなんて…。
とはいえ、病気で臥せっている訳でもないし、動きが緩慢になっている訳でもない。多少白内障で黒目が白濁していることと、歯槽膿漏で何本か歯が抜けた程度のことで、毛並みも悪くないし、飛び跳ねて元気である。寝言も言うし、留守中にはゴミをあさる。
実は杏月ちゃんの11歳とか12歳とか間違えて年を言ってしまっているとはいえ、そういうと大抵の人には驚かれる。これはお世辞とか言うことではなく(彼女にお世辞を言ったところで無意味だし、僕に対していってもやはり無意味である)、そのように見えないだろうことは間違いないからである。わんわんと吠えて、ウロウロ落ち着きがなく、ハッハッハっと息を吐く。そういう犬種と言ってしまえばそうなのだが、もう何年も毛を刈っているかどうかという違い以外には、たいした変化はない。
しかし、年齢の経過は、つれいあいが嘘を言ってない限り本当のはずである(僕には、とても数えられない)。ときどき例外というものが大きくて、寿命というのが無ければいいのにな、とも思う。思うが、まあ、忘れるよりない。そんなことを思っても、僕に変えられるものでも無いし、そうしてやはり散歩には行くのだろうから。犬の年齢なんてものは、本来はどうでもいいことなんじゃないだろうか。