カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

健全なる精神を取り戻す道筋のために   ほんとうの憲法

2020-04-20 | 読書

ほんとうの憲法/篠田英朗著(ちくま新書)

 副題「戦後日本憲法学批判」とある。戦後日本の憲法解釈の基本をなした東京大学法学部の学派の影響で、日本国憲法は大きく湾曲して理解されることになったという歴史をひも解いていく。日本国憲法前に国際法を前提に解釈すべきことは明白であったにもかかわらず、またそれらは連動しているからこそ解釈は意味を成しているのであるが、東大の権威的学派はそのことを無視し、または知らずに、その前にあるドイツの古典的な法解釈を持ち出して、独自に日本の憲法を解釈しようとしたことに基本的な間違いがあったようだ。さらにそういう不毛な議論が長年にわたって繰り返され、あたかもそのような解釈こそ王道的なものであるかのような誤解が国民にも浸透してしまった。国会答弁でも主要な議員が譲歩するようなことを繰り返し説明してしまった。戦争放棄と武力の問題は、超法規的なアクロバティックな解釈が、あたかも成り立つような、日本のガラパゴス解釈が生まれてしまったのである。
 日本国憲法は米軍からの押し付け憲法である、ということで、憲法を改正すべきだという議論がある。そうした背景は事実ではあるものの、国際法を守っていないとみなされ敗戦までした日本に対して、戦争放棄をうたった憲法9条というのは、少なからぬ懲罰的な意味合いは無いではないものの、国際法規を改めて順守するということを明確にうたったという点では、押し付けであろうと何だろうと有効ではないとは言えない。ましてやそのような背景があるからこそ、憲法九条が自衛隊などの戦力の保持を放棄するという意味合いでないことは明白で、もともと自国防衛のための軍を持っている他国と同じように、平和のための前提をもって防衛ができることも当然であると考える方が自然である。ものすごく変な国でない限り、他国の侵略のために軍隊を持っている国などそもそも地球上に存在していないのだから、日本だけが、わざわざロマン主義的な理想や空想をもってして、軍備を持たないと解釈してきた歴史の方が、クレイジーなのであろう。というか、そのように主張している一部の頭の中の問題かもしれないが。
 ということが素直に書いてあるわけだが、もちろん繰り返される誤解を解くためという観点からは、憲法の条文改正も可能であろうという立場である。神様が作ったバイブルならともかく、人間が作った決め事である限り、憲法であろうとも時代に即して議論して改正しようとする立場や考え方は、健全である。そのような自然で純粋かつ論理的な立場を取ろうと考えている人にとって、筋道の通った憲法解釈の手助けになる本であることは間違いなさそうである。
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