王様気どりのハエ/ロバート・S・デソヴィツ著(紀伊国屋書店)
表題のハエは、ツェツェバエといわれる血を吸うハエのこと。日本でのブユみたいなものらしい。刺して血を吸われるだけでも不快だが、何と感染症をまき散らす。トリマノソーマという虫を、家畜やヒトに媒介させるのだ。この寄生虫に感染すると、睡眠病という病状が出る。何も治療しなければ二年くらいで死に至る。この恐ろしい病気を媒介させるハエを撲滅するのは極めて困難で、単に殺虫剤を撒けばそれでいいという問題ではない。それはアフリカの開発とも関連していて、要するに人々の生きる糧となる生活そのものにかかるからだ。さらに感染防止から治療に至っては、政府の資金難もあって上手くいっていない。そういう状況を指して、この病気をもって地域を支配しているのは、ツェツェバエという王様というわけだ。
他にも恐ろしい感染症をまき散らす様々な寄生虫の話が満載である。もちろん日本のものも出てくる。日本にも寄生虫はたくさんいたし、さらに生食を習慣にしている民族であるからアニサキスの脅威から逃れることは、いまだにできていない。これを読んで改めて肝を冷やしてしまったが、それでも今夜の酒のつまみに刺身が出ても躊躇なく食べることだろう。人間というのは、それくらい鈍感で怖ろしい生き物なのである。
寄生虫と聞くと、確かに人間にとって厄介で恐ろしいのだが、しかしそのシステムというか、その生き延びていく習性を見ていくと、実に巧妙で、さらに奇妙な生態であることが見て取れる。例えば、日本の農村などで多くの感染者を出して我々を苦しめてきた住血吸虫の一生は、たいへんに複雑である。雄は長さが約二センチで腹側に溝を持っていて、そこに雌を宿す。そして三十年にわたって交配し続ける。この虫は静脈の壁に吸盤でくっついている。住血吸虫の種類によってどこの静脈につくのかは違うらしいが、例えば日本住血吸虫は小腸上部静脈に住む。交配したのち雌は毎日約三千五百個の虫卵を生む。虫卵の中にミラシジウムという幼虫が含まれている。虫卵は静脈壁を通り抜け、膀胱または腸の壁を何らかの方法で穴をあけて通ると考えられている(まだ正確には分かっていない)。そのようにして約30%の虫卵が便や尿などで排出される。虫卵は水に到達すると羽化し、ミラシジウムが遊出する。これがオールを漕ぐように泳ぎ、二十四時間以内に宿主の貝を見つけないと死んでしまう。貝の出すある種のイオンに導かれて泳いでいるのではないかと考えられている。そうして貝と接触し酵素を分泌し、ドリルのように動いて腹足部や触角に侵入し、内臓へと移動する。この感染可能な貝というのもそうとうな特殊性があるようで、ほんの一部の貝にしか感染できない。非常な幸運をもって感染できたミラシジウムは、貝の中で袋状の母スポロシストに変態する。そしてたくさんの娘スポロシストを生み出す。この娘スポロシストは成長して、今度は寄生虫のセルカリアを生み出す。たった一匹のミラシジウムから二十五万ものセルカリアが生み出される。セルカリアは日周性を持っており、通常午前八時から正午にかけて貝から遊出する。そして二三日のうちに宿主を見つけないと死んでしまう。漁師や洗濯をする主婦や水浴びをする子供や水田で働く農夫が水の中に入ると、接触が起こる。飲み水から入ることもあるだろうが、一般的には粘膜や皮膚から侵入する。皮膚組織の中で一日くらい休息して、幼若虫であるシストソミューラに変態する。それから移動を開始して、小静脈に入り、心臓や肺を通って肝臓に達し、しばらくの間を置き性的に成熟した雌雄の成虫になる。それから決められた静脈まで移動して雄が壁に張り付き、そうして雌と出会う。出会った寄生虫が虫卵を生み続けるわけだ。人間にとって厄介な病気を引き起こすのは、体外に排出されない虫卵の方である。これが肝臓で繊維化したり、血管を詰まらせたり、心臓に負担を掛けさせたりして死に至らしめることもある。人間の側も必死に免疫系を働かせて抵抗するようだが、感染している住血吸虫が多くなると負けてしまうということなんだろう。面白い生体ではあるが、やっぱりとても恐ろしい。
ユーモアのある文体で、それなりに楽しく紹介されている感染する寄生虫たちのお話なんだが、読みながら、なんだか体がかゆくなるというか、ちょっと具合の悪くなる人もいるかもしれない。人間を含む動物たちは、このような寄生虫と共存して生きてきたのである。まったく生きていくというのは、実に不思議で大変なことだな、と改めて思うに違いない。