牯嶺街(クーリンジエ)少年殺人事件/エドワード・ヤン監督
91年の台湾映画。3時間56分という長い尺で、それだけまとまりに欠ける映画とは言える。やたらに名作の声名高く、とてもまとめて観るような体力も無いから、コツコツ時間をかけて分割して観たという感じ。観てよかったのかどうかはよく分からないのだが、そういうことも含めて後で考えないといけない気もする映画だった。
夜間中学に通う少年たちには、不良グループの派閥抗争があるらしい。学校の隣に映画の撮影所が建っており、少年たちはちょくちょくそこを遊び場のようにしている。知り合う同志で恋仲になったりするが、それが同時に抗争中のグループの力関係とも絡んでいて、暴力を内包する不穏なものが、行ったり来たりする。大人たちは、世相の中で不遇なものがあるようで、それは当時の台湾社会を表しているものかもしれない。片方のグループの以前のリーダーが突然戻ってきて、いざこざがエスカレートすると、そのまま殺されて、その報復で血なまぐさい戦いが壮絶に繰り広げられる。その後お話は恋愛ものになっていくが、好き合ったものがそのままストレートにうまくいくのかというと、そういうことは無く、自由と束縛の中で若者たちの心は大いに揺れていくのだった。
とにかく長くて退屈な上に、何をやっているかの説明は特にない。雰囲気としての名作感はあるのかもしれないが、ホームドラマでは商業的に厳しいので身内的な映画にしてしまったという感じではないか。その分自由に撮られていることもあって、映画人などは、そういうものがうらやましくも感じられるのかもしれない。好きに撮らせてもらえれば、自分たちだってこんな映画的な映画を撮れるのに、というあきらめのような感情が湧くのではないか。
筋はそのように、あるんではあるがあいまいに流れ、何かエピソードとして不思議さと面白さが同時にあるものが、パッチワークのように語られて、それがちゃんとつながっているのかどうかまでは、結局よくは分からないのだった。肝心な人たちは死んじゃう訳だし。
それとどうしても、なんだか学芸会のようなノリが最後まで付きまとう。これってちゃんと映画として撮影したんだろうか。そんな疑問さえわく。子役が多いから、演技が自然といえばそうだし、未熟といえばそうだ。それは狙って撮られているということなんだろうけど、いわゆる深みというか、遠くで舞台を見ているというか、とにかく何か物足りない。リアルということにしたかったようだけど、ふつうにみて失敗作であろう。少なくとも、僕のような素人にそう思われたらおしまいである。
まあしかし、あれだけの告白をして、そうしてやっといい感じになり、裏切りがあってそうなってしまうというのは、もう少し簡潔にすると、名画になったかもしれない。悲しい物語だが、若いというのはいつだってそうなんじゃないか。それで人生を棒に振ってしまう人がいるのは分かるが、死んでしまった人よりはましなのではないだろうか。