そして人生はつづく/アッバス・キアロスタミ監督
3000人が死んだと言われる1990年のイラン地震のあと、キアロスタミ監督自身が、自分の映画に出てくれた少年たちの安否を尋ねて回ったことがあるらしい。その体験をセミ・ドキュメンタリーのような感じで、映画として撮り直した作品だそうだ。主役の監督役は普通の役人さんだというし、もともとこの監督の役者さんたちは普通の人々みたいな人が多くて、一応大まかな科白はあるのだろうが、その時のことを自分の言葉で語らせているような雰囲気がある。実際には震災後にしばらくして映画にしているのだろうから、復興風景としての演技はありそうだ。それにしても荒廃した風景が続き、人々はがれきの片付けなどに忙しい。崩れた商店の軒先には、壊れた冷蔵ショーケースの中にぬるいコーラが売られていたりする。
映画は淡々とそんな風景の中の小学生低学年くらいの息子と、運転をする監督の何気ない会話を映している。大渋滞がから抜けると、やっと目的の村の付近らしいところまでやって来る。そこで休憩しながら、被災した人々の生の話に耳を傾けることになるのだった。
はっきり言ってよく分からない内容だが、あんまり明確に意図を語るものではないし、そもそも物語の説明を放棄している作品かもしれない。ひどい震災の後、たくさんの人々は死に、そうして甚大なる被害の前に、人間は何もなすすべはなかった。神様の論議もあるが、大人たちは割合に冷ややかかもしれない。むしろ生き残った人々は、現実は現実として、今生きていることと、これから生きていこうとすることに前向きなように見える。ちょうどワールドカップが開催されていて、家もなくテント暮らしなのに、誰かがアンテナを高台に引いて、みんなでテレビ中継を楽しもうともしている。食べるものもろくにないのに、あっけらかんとした明るさのようなものが、そこには見える気がする。
彼の作った他の映画との関連で、場面場面においては、また別の意味を読み取ることも可能なようだ。ずいぶん前に彼のほかの作品は見ているが、それに比べると、事情もあってのことだろうとは思うが、ストーリー性は乏しい。もともとそんな作風だとしても、まあ、キアロスタミ監督なんだし、仕方ないよな、ということだろうか。
楽しい映画ではないし、キアロスタミ作品を知らない人にはハードルが高いとも思われる。これはいったい何なの? 今時のドキュメンタリーだって、もう少し詳しい説明的な視点を入れるんじゃないの? と思われたのではないか。しかしこれが、この監督さんの作風なんですよ、としか言いようが無い。そうして、なんとなく、そういう感じでいいのである。ご了承ください。