カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

都会人は詰まるのが嫌い

2022-04-27 | net & 社会

 田舎の暮らしは不便だという話はよく聞くのだが、我々世代にとってはあまり関係はない。何しろ車が一人一台の世代だ。運転ができない人にとってはひどい状況になるけれど、田舎の車のある生活は実に素晴らしいものである。自由だし、便利なのである。都会で暮らしたことはないので、実感としては知らないが、電車で移動しなければならない毎日というのは、考えただけで何か窮屈で、いくら待たなくていいくらい頻繁に電車が来ると言われても、はっきりと不便である。田舎の人が都会を恐れるのは、そういう窮屈な印象が一番大きいのではないか。
 僕が出張などで都心に行って思うのは、やはりいろんな人がいるだけでなく、いろんな暗黙ルールがたくさんあって煩わしいな、という感じかもしれない。人が多いので仕方ないのだけど、並び方も店によって違ったり(だいたいアウトラインはよく見ると分かるようにはなっているが、これが初心者にはあんがいむつかしい)、だから常連のような人以外の人が戸惑ったりしていると、本当に多くの人が舌打ちをする。最初はこれに驚いた。舌打ちをする人なんて、ドラマとか漫画の世界だけのことだと思っていた。田舎で舌打ちをするような人間は、学校の先生くらいのものである。一般の人は、ほとんどそんなことをしない。しかし都会では電車の中でも飛行機の中でもコンビニでも立ち食いソバでも交差点でもあちこちで舌打ちする人がいる。お前らはラッパーか。とにかく、滞留要素が起こることに、人々は敏感にならざるを得なくなっているにかもしれない。
 しかしだから都会人が冷たいのかというと、実はそんなことはないことも知っている。僕は田舎者であることに何の抵抗もないので、分からないことは身近にいる人に頻繁に聞くことにしている(もちろん若い頃より図太くなったということもあるかもしれない)。急いでいる人を無理に呼び止めるようなことをしない限り、都会の人というのは実によくものを教えてくれる。分からないときは交番の場所なんかを教えてくれる。牛丼屋の出入り口を間違えたら、丁寧に入り口はあちらですよ、と促してもらったこともあるし、食券販売機でもたついてしまって、悪いと思ってお先にどうぞと順番を譲ろうとしたら、いえいえ待ちますからと言って、そのうえでやり方を教えてくれた人もいた。居酒屋のカウンターでタッチパネルの使い方がよく分からないでいると、隣の兄ちゃんがやってくれたこともある。基本的に助け合い精神のようなものを持っている人が多く、またそういう環境にあるためか、聞かれたらたいていの人は丁寧に教えてくれるのである。もちろんそうでない人もいるんだろうけれど、田舎の人間よりは助け合いが当たり前の社会なのではないか。
 田舎の人間関係のわずらわしさがあるじゃないかともいわれるが、これは長期に地域で移動しない条件下のものであり、今は長屋ではないとはいえ、都会にも下町のような場所はあるだろう。何十年もそこに住み続けるのであれば、当然知り合いもできるだろうし、それは田舎とか都会の問題ですらなくなる可能性もある。知り合いがいない状態の孤独も、山の中過ぎて寂しいのも、あんがいあんまり変わりがないのじゃないか。日本人がどうだというより、外国でも同じようなことになるのではあるまいか。
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