原作小説は長く読まれたベストセラーであるらしく、未読だが、おそらく力のある作品なのだろう。著者の髙田郁(かおる)は、この作品で作られた料理を実際に自分で作ってみて、各エピソードの終わりにレシピも載せたという。ドラマの方でも、毎回料理の作り方を主演の黒木華が手ほどきしてくれる。一緒に二枚目の料理人(柳原直之という人らしい)も最後に出てきて、一言でもう一品の指南をしてくれる。そういう仕組みもたいへんに楽しいのだった。
ドラマとしては民放で先に作品化されていたらしく、そこでは北川景子が主演だったそうだ。それは未見であるから比較しようが無いが、NHKのこの連続ドラマは、黒木華の演技が、なんと言っても冴えている。けな気さと力強さの強弱を見事に演じ切っているのではあるまいか。
僕は先に紹介したように、映画の方から観てしまったので、それでも面白いとは思ったものの、このドラマを観た後では、その出来栄えの差にこちらに夢中になったという感じである。きっかけとしてはありがたいのかもしれないが、ふつうはこのドラマの方を観るべきなのである。その出来栄えの差は歴然としている。
何しろ原作小説がそれなりの長編であるようで、流れやエピソードも豊富なのだろうと考えられる。大きな筋としての掴み方はともに同じものが使われていたにせよ、その細部にわたるちょっとした布石のようなものが、どうしても映画の尺では描き切れなかったのだろう。もちろんドラマでもそのあたりは端折っているはずなのだが、いくぶん余裕をもって、男女の機微などを描くことができたのではないか。料理とともに重要なのは、やはり澪自身の恋愛感情の物語であることは間違いない。
好きになってしまったのは侍の小松原だったが、この侍も澪のことを気にかけている以上に思っているらしいことは見て取れる。これに若い町医者の源斉が静かに横恋慕しているという構図がある。源斉としては、澪の気持ちを知っている以上、踏みとどまざるを得ないという感じだろうか。小説ではもっとふくらみのある展開になるらしいが、ドラマではそのあたりの差配が微妙なりに上手くいっているのではないか。
さらにもっと重要なのは、幼馴染であるが花魁になってしまったあさひ太夫との関係なのである。女同士の友情の美しさに、素直に心打たれることになる。恋愛以上に相手を思う心の強さと、間に立ちはだかる社会的な障壁の大きさに耐えるつらさが際立っている。時代小説だからこそ描ける人情噺なのである。
ついでのようだが、音楽もいいし、その時代はそういう感じなのかな、という小道具などの使われ方もいいと思う。実際には知らないことだが、これまでの時代ドラマでは、あまり気にしない細部に気が使われている気配があって、物語を引き締めている。悪人もたくさん出てくるが、さらにそれらのすべてに明確な復讐などもされない割には、カタルシスとしての心残りも少ない。全部が良くならなくても、おそらく続きがあり、そうして澪は前向きなのである。料理を作るというのは、毎日完成品を作り上げることでもある。そういうあたりが、一種の潔さの表れなのかもしれない。