夏になると日本の場合、怪談ものが急に増える。暑い夏を少しでも涼しく、という意味があるというが、それも怪しい。夏場は盆もあるし、夜に出歩く機会も増えるとも考えられるし、そういう事とも関係あるのではないか。特に子供が集まる行事なんかもあるし、肝試しのような遊びも多い。まあ、面白かった思い出も無いでは無いが、習慣というか、風物詩としての恐ろしさの季節なのかもしれない。
僕は特段のホラー好きでは無いが、そういう分野がある以上、結構読んでしまっているかもしれない。そんなに目新しい思いをすることも少なくなったが、基本不思議な体験と共に語られる都市伝説系のものが、なんとなく近年は増えているような感覚がある。確かにお岩さんのようなものは、ひどくかわいそうすぎるいじめ問題のような気もしないでは無いし、不思議な経験という一回性の物語の方が、身近なものとして受け入れやすいのではあるまいか。
それでまあ、そういう面白さに特化した作り話については、それはいいのである。何しろ楽しみなんだから、よく作られたものの方が良い。ちょっと気になるというか、そうであってもいまだにまだ、「科学では説明できないこれらの現象」という事実の記録として、これらの怪談などを扱う人が多いことかもしれない。いやいや、科学で証明できない事実が、怪奇現象というものですらないのではないか。
実際のところ、それらの怪奇現象が作り話でない限りは、ほとんどの場合、科学的に説明が済んでいるものばかりである。どうして怪奇現象のようなことが起こるのかというのは、たいてい検証されつくされていると思われる。ちょっと調べたら、そんなことはほとんど自明で、すぐにわかるものばかりだろう。人間が体験する不思議な現象というのは、人間だから体験しているとも言えて、そういう方面からも解説しているものは多い。人間という生き物は、抽象も扱う力があって、そういうものから類推して、さまざまなものを見ることができる。見えるだけでは無くて、そういうものを感じ取ることもできるわけだ。それは特殊能力として備わっているという事では無くて、個人的に感じられるような事であっても、その個人だからこそ感知できることであることからも、かなり説明のつくものである可能性の方が強い。分かり切っているわけではないのかもしれないが、慎重にそれらを検証することによって、かなり科学的に説明することは可能になっている。要はそれを理解できるかどうか、という問題に過ぎないのではないか。
しかしながら恐怖というのは厄介で、僕はニ十センチを超すゴキブリを見たという人も知っているし、悪魔の話声を聞いた人も知っている。皆その様な生の体験をしたからこそ、その恐怖に打ち震えている。それは、確かに事実とは違うはずのものではあるが、本人の体験には違いないものだろう。見間違いや聞き違いを除外して、それで説明を求められても、絶対に答えには行きつかないだけのことなのであるけれど。そうして、そうであると頭でわかっている人であっても、恐怖感を抱く感じというのは、確かにあるものなのだ。怖い話を聞いた後に一人でトイレに入るだけでも、ちょっとした不安に襲われるのが普通のことなのである。それが涼しい出来事なのかは、僕にはよく分からないが、それが文化と言えば、そういうものなのかもしれない。