カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

アラフォーの女の夢の具現化   ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期

2018-02-13 | 映画

ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期/ジャロン・マクガイア監督

 原題は「Bridget Jones's Baby」。内容的には原題通り。子供を巡る話である。10年以上前にヒットした二作がある。主人公も同じレニー・ゼルウィガーが演じており、さすがに(…)とは思ったが、だからいいという事である。相手役のヒュー・グラントだけは演技としては出演してない。お話としては仕方ないけど、なんとなく残念かもしれない。
 酒を飲みすぎて行きずりの男と一夜を共にし、さらに以前好きだった男が妻と別れ話最中とのことで一晩を共にする。その間二日のタイムラグあり。しかし妊娠していることが発覚。父親はどちらか分からない。そういう中で自分が奪い合いに会うというモテ期になるという事。既に40は過ぎて、仕事では重要なポストながら失敗も多く安定した立場では無い。英国らしいどぎついジョークの混ざったドタバタ・コメディになっている。セックスはからむが、基本的には下着姿までの、しかし捨て鉢な体を張った演技がこのシリーズの売りである。まったくよくやるよ、と観ている方は呆れながら笑うという事になる。
 女性が見て共感するストーリーなのだろうと思われるが、もちろん男性が観ても楽しいとは思う。どちらの子供か分からないながらも妊娠させた女性を取り合う(暴力ほぼ無し)というのがある一定の説得力があるのは、他ならぬイケてないという設定ながらレニーがキュートだからであるという事が、男側からの理屈であろう。自分の子供が欲しい一心というのとはちょっと違うのが、女性の側からのキモではあるだろう。まあ、そういうのが複雑に絡むのが楽しい訳だが。
 とにかくドジなのはいいのだが、寒い夜に雨の中身重で家に入れず途方に暮れるシーンにはなんとなく怒りを覚えたので、もっと子供を大切にしてほしいという思いが僕にはあるのだろうとは感じた。そういう母親は嫌である。それ以外は笑って許せたのだが。
 さらによく考えると、相手の男は金持ちで社会的な地位の高い二人である前提が、先ずちょっとという感じもする。これが売れない芸術家や、警備会社のバイトなどの男なら、やっぱり女性はときめかないのだろうか? まあ、いいんだけど、そんなことも考えずにはいられない。描かれていないが、これだと当然他の女のライバルがたくさんいるんじゃないだろうか。そういう欲張りな感じがさりげなくオブラートに包まれており、ダメなんだか勝ち組なんだかよく分からないのであった。
 世の中どうなるかは分からない。今はうだつがあがらなくとも、女性はハッピーになれるという希望のある話なのかもしれない。
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読めない店に通えるか

2018-02-12 | ことば

 熊本でよく見かけるラーメン屋さんに「味千ラーメン」というのがある。外国にも多数出店している有名店なんで今更であるが、最初はこのネーミングはまずいんじゃないかと思っていた。何しろ「味がしない」って自分で言っているような感じだから。しかしまあそれだけ店舗を増やしている訳で、一定の支持があってのことだろう。やっぱり漢字の影響で引きずられない語感があるんだろうか。
 長崎市には「吉宗」という茶碗蒸しで有名な老舗がある。たいていはひらがなのルビがふってあるようだが、知らなければとても「よっそう」とは読めない。いや、長崎市の人でこの店がヨシムネだと思っている人はたぶんいない訳で、また読めない人がこの店に他の人を案内することはまずなさそうで、そういう意味では話題としてまっとうな店なのかもしれない。歴史があるからこそできる芸当だが。
 店名ではないが、以前に蕎麦屋の「生蕎麦」の文字が読めず難儀した。字体をかなり崩して書いてあるところは多い。確かに昔から蕎麦屋には書いてあるから、知っているのが当然という記号なのかもしれない。また、そういう由緒ある店という信号である可能性もある。もちろん生蕎麦を売っている店なんだからそういう情報をいろいろわかる人に伝えているという事になるんだろうか。
 鳥栖にアウトレットモールがあるが、僕はそこにいくとほとんどの店の名前が読めない。外国の店の店名なので、何と発音するのか分からないからだ。英語表記なのかどうかさえ分からない。たぶん違うのが多いんじゃないか。ブランド名というのは宣伝で音を伝えてあるのか知らないが、皆が読めて当たり前という態度なんだろうと思う。僕はブランド名を聞いても知らないので覚えられない。ひらがなでルビを振ってもらいたいと思うが、それではブランドイメージが損なわれるという事なのかもしれない。さらに僕が買わないとしても僕の家族は買うことがあるのだから、客が失われているという事実とはつながらないのかもしれない。まさか読めないからありがたいという日本人が多いとは思えないが、やはりそのロゴのままがカッコいいという事があるのかもしれない。
 美容室なんかは読めない店というのが結構ある。あれは固定客ばかりを相手にしてるんだろうか。初めての客が読めないまま店に入るのに躊躇は無いだろうか。店の名前が読めないまま、何年も客として通っている人もいるのではないか。そういう場合今さらもう聞けないだろうし、何かもやもやしたものを抱えて生きて行くことにはならないのだろうか。まあ、それは僕の人生ではないのだから、構うことは無いのだけれど。
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月に手を伸ばすな   麗しのサブリナ

2018-02-11 | 映画

麗しのサブリナ/ビリー・ワイルダー監督

 大富豪実業家のお抱え運転手の娘が、その富豪の息子に恋をする。身分違いでかなわぬ恋だったが、パリの料理学校に留学して帰ってきたら、美しく(まあ年頃だし)なっていて一転して息子と恋仲になる。しかしこの富豪の息子は既に婚約相手があり(プレイボーイでもあるようだ)、その相手先の企業とも大型プロジェクトが進行していた。息子の兄がこの恋路を破断させる為に画策するが、ここでこの二人は期せず淡い恋心が芽生えてしまう。それでも兄は、そのまま娘を騙してパリに追い返そうとするのだったが…。
 ロマンチック・コメディという事で、要するにおとぎ話だが、オードリー・ヘップバーンのキュートさで押し切った作品と言える。もちろん彼女は人気絶頂だった訳で、いくら相手役のウイリアム・ホールデンや、ボギーが大物だったとしても、見事にやり過ごしているような姿を見せている。さらに現代人の目から見ると、ボギーは二枚目だが、いかんせんオードリーとは年が違いすぎるようにも感じる。ちょっと現役感が無いというか。
 お互いの擦れ違いの感じは、ややまだ恋愛が足りないような気がしないでは無い。もう少し深い仲だからこそ、悲しみが深かったり、騙された重みも強くなるのではないか。少なくとも弟は聞き分けが良すぎる訳で、兄は悪人である。
 まあ、軽い楽しい話で、しかし「月に手を伸ばすな」というのは、格言として現代でも十分に通用する言葉なのではないかと思った。そういうものが無い現代社会だというのは実は間違っているのかもしれない。もちろん理屈の上では恋愛は自由で、身分でその障害があるというのは正しいとは言えない。しかしそれは、限りなく表面的な正義のようなものでしかないのではないか。だからこそ、人間がどう生きるのかという事を考えさせてくれる。難しい関係性がありながらも、恋愛は止められない。だから面白いのである。
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光は目立つためでなく

2018-02-10 | Science & nature

 深海に棲む魚の多くは、自ら発光するものが多い。深い海の暗い中で光るというのは、非常に目立つように思われるが、実際は自分の体を隠すためであると考えられている。それは発光する場所が、体の下の方であることが多い為だ。深海といえども海の深い部分から見上げると、かすかに太陽の光が届いている場合があるらしい。そういうところで光らずに泳いでいると、自分の体が黒くシルエットとして浮かび上がることになる。大きな捕食者からすると、見つけやすくなる訳である。そういう場合に体の下の部分を発光させると、カウンターイルミネーションという現象で、わずかな光と調和して姿が隠れるように見えるという。発光を身につけた生き物が、暗い深海でも生きながらえてきた証でもあるのだろう。
 発光している訳では無いが、水鳥は白い色をしているものが多い。体全体が白くなくとも、体の下の部分が白っぽい傾向があるようだ。森の中で木に止るなどすると非常に目立つわけだが、これも実は体を隠している為だと考えられている。捕食される危険よりも白いために有利であるのは、自分が捕食者の立場にあるときだ。魚たちは水より上の世界は、太陽の光で白っぽく見えているらしい。それで水鳥が近づいていることに気づきにくくなっているようで、その攻撃に対応が遅れるという事だ。狩りの効率を上げるために、水辺で魚を獲る鳥は白くなったという訳である。
 多くの生き物は、その棲んでいる環境においては周りの色と同調しているのかもしれない。あんがい狭い世界で、そのひとところで生きている生物は多いのかもしれない。もちろん人間だって、野生の世界だと生きて行くのが大変に厳しい。それで建物を立てて、閉じこもる。場合によっては環境に敵対する。生物としては、やはりだいぶ変わり者のようである。
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監禁殺人の実態はこうなのか   棺の女

2018-02-09 | 読書

棺の女/リサ・ガードナー著(小学館文庫)

 最初から監禁の重苦しい事情があることは分かる。しかしどうして? というのは謎だ。そして女は男に誘われるようにふるまい、全裸にされて監禁される。しかしそういう危機も乗り越えて監禁男を逆に殺してしまう。行き過ぎた防衛であると考えている一人の女性捜査官がいて、被害者に冷たい。しかし、事件はそこから新たに急展開していく。また、その重苦しい監禁という現場と並行しながら、捜査は進んでいくのだったが…。
 女性の誘拐監禁という事件がどのくらいあるのかはよく分からないが、実際上はそれなりに起こり得ることなのかもしれない。関係を持つのは密室が多いのだから、相手の男がそういう性趣向がある場合、相手が死ぬまで延々とそのような事件が続くのかもしれない。考えただけでも恐ろしいが、そういう恐怖感というのは、女性の側にはそれなりにあるものかもしれない。作者も女性だが、彼女が興味をもった題材としてこのテーマが選ばれたことも、女性ゆえに内にある恐怖心ではなかろうか。死の恐怖に怯えながら、性の奴隷として仕え続けなければならない境遇に陥ってしまった人間心理が、見事に残酷に描かれている。これはちょっと小説でなければ再現の難しいものかもしれない。
 しかしながら基本的にエンタティメント作品である。ぐいぐい読ませて飽きさせない。正直言って面白いからページをめくる訳で、その筆力も凄まじく高い作品だ。ポルノ作品では無いので性描写はほとんどないが、繰り返し繰り返し強要されていることは分かる。こころはズタズタになりながらも、逃げずに生きて、更に支配される嫌悪がありながら離れられなくなる異常心理は、本当に凄まじい。主人公の女性はそれでも逆の面で強くなっていくのだが、そこだけはアメリカ的なのかもしれないとは思うのだけど、物語はだからこそ成立するミステリ作品になっている。これだけネタがはっきり示されながら謎解きの面白さまで満喫できる作品は、そんなには無いのではないか。
 人をいじめ抜いたり殺したりすることで快感を得る人間というのは、よく分からない悪魔のような存在と思われるが、そこのあたりもなんとなくわかるようにも描かれている。悪魔も時には苦しみながら、そのような残酷な世界を構築している。破滅しかないような欲望を抱えて生きている人間という存在が、本当に恐ろしい。人間は孤立する自由があるが、そのような闇の無い人間が本当にいるものだろうか。基本的には、つながりが大切じゃないかと考えさせられもしたのであった。
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朝はやはり散歩。大山は雪

2018-02-08 | 散歩
 かっちゃんとポンタと合流して散歩を続ける。



 ちょうど節分で神社では豆まきするらしい。


 
 市長さんやら偉い人が続々集まってくるが、奥の部屋に消えていく。豆まきは何時かと聞くと一時間後だという。むー、断念ですな。



 なんとなく道が曲がっている感じが、古くからの道って感じですね。まっすぐは現代的な開発の思想が見えます。まあ、ホントは知らんですが。






 店も昔ながらが残っている。いわゆる庶民的なんであります。



 八百屋に魚屋。



 かっちゃんが時間があれば連れてきたいという焼肉屋。



 まあ、朝からは開いてないんで残念ですが、うっすら見える店内は、昭和的な感じのようです。ギトギトしながら食いたいですね。



 駐輪場通り越して、自宅も少しお邪魔しました。



 昼前ではあるんだけど、まあ、早めに食わねばならん時間になりかかっている。空港までどれくらいかかるんだか。

 で、日高屋でささやかながらお別れ会。



 でも結局送ってくれるってことになって、小田急から相鉄で横浜まで出て、乗り換えて京急で空港というルートで帰った。なんとなく覚えがあって、前もこんなふうにやって来たなあと思いました。



 で、帰ってきた。大村も寒い風が強い。



 そのまま選挙事務所へ直行したのだった。みなさん留守をすいませんでした。
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人身事故で待たされる

2018-02-07 | 散歩
 とにかく南側が増殖してる感じである。



 分かれ道もある。呼び込みも増えてきた。



 小田急駅前、待ち合わせの人多数。ガールズバーの呼び込みが激しかった。僕らはまだ1次会だからね、すいません。



 牛田が予約した店って、いったいどこなんだろう?



 まあいづれたどり着くっしょ。



 で、やっと見つけた。



 集まる予定の3人とも無茶無茶探したらしい。牛田が予約しただけあって、料理は盛りだくさんで良かったですけどね。ありがとうございました。


 二次会でバーに行ってウイスキー飲んでて、ポンケが電車動いとらんらしいぞ、と言う。人身事故が発生したらしい。東京では珍しいことでは無かろうが、放物線上に帰る我々の場合誰かが大きく支障をきたすかもしれない。

 駅行くと、がーん。ぜんぜん電車が動いとらんですよ。



 どんどんどんどん人の行列が長くなっていきます。



 ちゅーことで、町田で足止めされて、やっと来た電車は本厚木どまりで、さらに乗りついてやっと帰りました。まあ、吐かない程度に飲むというのは最初のミッションだったので、これで良しとしますか。お休みなさい。




 ホテルの窓からはこんな感じ。



 朝飯はこんな感じ。




 ということで、散歩開始。



 どっちに行くかな。



 天気はいいけど、空気はまだ冷たいかもしれない。



 あっちが駅の方か?



 まあ、適当適当。



 山の頂には雪が残っているようだ。



 怪しいスナックもひっそりしている。



 あっちの方が富士山なんだろうけどなあ。



 やっぱりあの雲のあたりのようだ。



 大山に抱かれた伊勢原市。大村市とチャレンジデーで戦ったこともあるんだそうだ。同じくらいの規模のまちらしいね。


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集まりやすいのは町田

2018-02-06 | 散歩
 羽田着きました。



 やっぱり新橋から歩いていこう。



 この日は小雪まじりの雨。少し前に積もった雪が、まだ融けずに残っていた。



 マジ、寒いッス。



 ということで昼はうどん。買い方は讃岐形式。海老天とかしわ天、オクラ天。温まった。





 有名な蕎麦屋さんかな。



 だいぶ近づいた。



 でも時間早いです。



 そういえばテレビで国会やってたな。


 まあ、いつもたくさん警察官の立っておられるところだけど、国会開催中ということもあってか、さらにいつもよりたくさんの警察官の方でにぎわっている感じでした。寒い中大変ですね。




 さて会議も終え(参加時間3時間半、発言4分)移動します。



 国会議事堂前から乗りましょう。ここは地下が深いです。


 帰りのラッシュが始まる前に移動せねば。





 代々木上原から小田急乗り換えて、町田に来たよ。



 街には結構雪が残っている。今回降ったものじゃなくて数日前が融けてないんだ。



 町田にしたのは神奈川からの友人らと集まりやすい場所だから。
 でもおいら集合の1時間50分前に着いちゃったよ。




 鎌倉街道。



 お寺があった。妙延寺。








 町田の市役所らしい。立派じゃ。



 だんだん町中に戻ってきた。





 駅だから人増えてきた。



 道路の上に陸橋が張り巡らされ、重層的になってます。



 僕はこの町20年くらい前に徘徊した記憶があります。いや、もうちょい前か…。
 その後も一度来てるかもしれないので、3回目くらいだろうか。



 ものすごく変わっているところと、今でもあるんだ! という懐かしいところが混在した街です。









 次はこのあたりで呑みたいな。怪しいけど。



 とにかく早く来すぎて歩くより無い。店に入っても買い物する方法がよく分からない。僕はいったい何か欲しいものがあるんだろうか。
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また今日も一歩

2018-02-05 | 掲示板
 残念無念。現実は天気と同じ、厳しいな。
 それでも這い上がっていくしかない。それが生きていくということか。
 精神的に負けたら、それが最終の終わりだ。

 申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。

 宿命なら、それを受け入れるしかない。
 失ったのではなく、頂いたものこそ大きい。
 もう一度、一歩一歩。
 魔法が使えない人間なのだから、誠実に歩いていくより無いだろう。
 今までと変わらない?
 そんなことは無いよ。やっぱり積み重ね以外、変わることは出来ない。そうして一年後は変わってるはずだ。
 それがイノベーションのということなのだから。
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政治をイノベーション

2018-02-04 | 掲示板
 イノベーションは始まっていると思う。様々な思いがありながらも、ただひたすらに愚直にやって来た。その行動がイノベーションを起こすと信じているからだ。そしてそれをやれる人間がいる。僕らはだからその願いを託している。
 それでも名前を書いてもらうということが、そんなに簡単なこととは思っていない。
 いや、むしろものすごく難しい。
 けれど、難しいからこそ、イノベーションの威力は侮れないのではないか。
 僕らはそのことを信じているし、立ち止まらない。
 それは僕らに必要な未来のためだし、今僕らがやらなければならないことなのだ。

























 よろしくお願いします。
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緊張感もあり悪くないが   相棒‐劇場版‐首都クライシス 人質は50万人!特命係 最後の決断

2018-02-03 | 映画

相棒‐劇場版‐首都クライシス 人質は50万人!特命係 最後の決断/橋本一監督

 テレビシリーズの映画版シリーズらしい。テレビのものは観たことが無いが、なんとなく雰囲気で知らないでは無い。水谷豊のややわざとらしい演技(前からそうだと言われればそうだったけれど)と名探偵コナンのような謎解きが売りのようだ。相棒というからに相棒がいるようだけど、そんなに重要ではないような気もする。いや、観ている人にはそうでもないのだろうか?
 以前に外国の日本領事館で多くの人が毒殺されるという事件が起こる。そこで少女が一人だけ生き残るが、失踪してしまう(誘拐されたらしい)。その後ある組織が日本のスポーツ大会の凱旋パレードの中でテロの予告があるのだったが…。
 話の筋を追うのがめんどくさいくらいにいろいろ伏線が張ってある。それを水谷が見事な推理で解き明かしていく。だから最後はやや説明的なものが多いのだが、雰囲気としては悪くないし、なるほど物語はそのようなものだったのだというカタルシスはあるようだ。いろいろと暗い過去があって、人間はいつまでもそういうものを引きずって生きて行くより無いのだろう。
 劇中さまざまなどんでん返しがあって、生き残った謎の少女の活劇なんかも見どころかもしれない。そういうアクション系は若手に任せて、理論の部分はホームズがやるんだという映画なのだろう。警察の中にこんな人がいたら、ずいぶん犯罪解決は楽であろう。
 僕のように特にテレビシリーズを知らなくても楽しめるのだが、恐らくテレビを知っている人の方が面白いのかもしれない。そういう濃いキャラクターがたくさんいるようで、そういう演技合戦を楽しむ映画なのだろう。わざとらしいのも、そういう個性の表れだろう。分かりやすいが、やはりテレビ的だなとは思った。最初はまあまあ面白そうだと思っていたが、もう僕は観なくてもいいかもしれない。
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捨てられないけど捨てる

2018-02-02 | 境界線

 世間には断舎利という言葉があるようだが、確かに物を捨てるというのはあんがい難しいものだ。いらなくなったものは捨てる。当然のことのように見えて、当然のことで無いからである。
 ものが無くてシンプルに暮らしている人を見ると、確かに羨ましいようにも見える。余分なものが無いというのは、それだけでずいぶん面倒の無い世界のようにも感じる。
 しかしながら現実は厳しい。いつの間にかものは溜まっていくものだし、そもそもゴミという判別の出来ないものが多いからこそ捨てられないのである。いくら今使わなくなったといっても、まだ使えるものであるとか、頂きものであるとか、思い出があるものとか、記念品であるとか、家族の誰かのものであるとか、自分では判断できない得体のしれないものであるとか、そういうものを選別する作業というのが、また人間を苦しめる要因なのではなかろうか。後悔というのは後でするものだが、無くしてしまったものは取り返しがつかないものかもしれない。そういう恐怖感が、たとえ今の一瞬はいらないものであっても、執着として躊躇させてしまうのである。
 いらないものとは、それが無くては飛び上るほど困るもの以外のすべてだというのが、いわゆる断舎利の極意だと聞いたことがある。なるほど、とは思う。飛び上るまで困るものなんてそんなにあるわけが無い。しかし実際は何だろう。そうやって捨ててしまうと、飛び上らないまでも困りそうだというのが、やはりぐずぐず頭の中でわだかまるのを感じる。写真の類など、なくても困らないかもしれない。でも無ければやっぱりさびしい。読んでしまった本でも、もうほとんどは読み返さない。しかし勝手に捨てられたら、やはり怒りを感じるのではないか。自分で捨てられればいいが、自分に怒りを感じるのではないか。もちろんため込みすぎて物理的にどうにもならないというのは分かるのである。
 やはり簡単には捨てられない人間の方が、自然なような気もする。捨てられる神経は異常なのではないか。捨てられなさすぎてゴミ屋敷化するのは異常だが、多少の躊躇があって保留があって、やっぱり捨てられない心情は王道なのではないか。場所に限りが無かったら、ずっとなんでも溜め込める人生の方が、しあわせなのではないか。
 まあしかし捨てなくはならないのである。今日もものは溜まっていく。そしてその下の方に埋まっているモノたちの多くは、間違いなくこれからもいらないものなのである。いらないものだから捨てる。それはやはり生きている人間の為なのかもしれない。
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確かにほげとらした

2018-02-01 | 散歩




 移動して会議の場所へ。立派なゲートボール場その他の施設がある。



 建物も立派だし、中は階段が入り組んでて不思議な構造だった。



 昼までみっちりお話で来て、仕事できてほんと良かったです。ちょい懐かしい人にもあえて、嬉しかったであります。

 昼なんで飯食いに行きましょう。



 名前は変ですが(理由はあとでわかります)、有名店だそうです。





 中は公民館みたいな感じもする。



 調理室は扉の向こう。



 やってきました、ウニ飯の定食。



 やっぱ旨いっすよ、これ。



 すぐ港になってて、海女さんたちがウニ鮑なんかを獲る小屋場のようなところのようだ。

 そうしてその港に地蔵さんがたっている。



 これが有名な「はらほげ地蔵」なんである。



 九州などの方言で、穴をあけるのを「ほがす」という。ほがしてあるのをほげているという。地蔵のお腹のところにに穴を掘っているから「ハラホゲ」らしい。



 そうなんだ。でも、わからんぞ。



 お地蔵さんの前掛けをめくって見たら、ほげてました。



 雪がちらついて寒かった。



 写真うまく撮れなかったけど、海も荒れてました。





 せっかくだからというのもあって、一緒の方といくつか挨拶にも回ったのですよ。
 コーヒーもらったりして恐れ入りました。



 そのついでにですね、お約束の観光地にも立ち寄ったという訳で。





 いやあ、見事にお猿でしたな。これは昔の人も驚いたでしょう。もちろん見る角度もあるんですが、こりゃどう見ても猿ばい、って感じの岩でした。寒くていろいろ遊べませんでしたけど。



 でもまだ飛行機まで時間があって、



 博物館行きました。



 壱岐にはいろんな出土品がたくさんあるんだそうです。設備も立派だし、見どころもたくさんあって300円。凄くお得なところという感じがしたです。





 眺めもいいです。



 あのあたりに王国があったんだそうだ。



 朝鮮半島から、対馬、壱岐を経由して、さまざまな交易がなされていたんだろう。


 
 ガイドの人の説明聞いてて写真撮り忘れたが、ミニチュアの再現がものすごくよくできていて、それが一番面白かった。

 適当におみやげ買って、空港着いた。パトカー専用の駐車スペースが確保されていた。



 という事で、さようなら。壱岐いいところっすね。また来たいです。



 寝る前に録画してたたなくじ撮ると、



 三つとも日曜の勝利でお願いします!
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