魚も鳥のつがいのようにカップルの関係の深いものがいる。オスがメスの気に入る巣を作り、誘い出して卵を産んでもらい、子育てするというのは結構ある話だ。そういうことをさして、ふつうは夫婦で子育て(多くの場合卵がかえるまでが目的だが。その後の子育てをするのもいないではない)するようなほほえましい行動のように紹介されることが多い。実際かいがいしく卵の世話をしたりする光景は、なんとなくユーモラスで温かいものを感じさせられるものである。
ところでそのようにして、まずはメスの気を引こうとして、自分のエサなどをオスがメスに与えるというのはよくある。そのようにして気に入ってもらい、お互いの愛の巣を育みカップルが成立したとする。あるテレビで見た魚は(おそらく南米の魚だったと思う)そのようにしてカップルが成立した後に、メスの魚を別の水槽に移して隠してみた。その後に別のメスをその水槽に入れると、なんとオスは巣にそのメスを誘いエサを与えるという行動をとるようになるのだという。そうすると鳥のつがいとはまた、別なのか? という疑問がわくだろう。問題はそこからで、今度は別の水槽に移したメスを隣の水槽に並べて、行動が見えるようにする。そうするとオスはこれまでエサをやっていたメスに餌をやる行動をやめ、巣に入ることすらしなくなるのだという。見られていることが分かると、浮気をしなくなるのだ。
非常に人間的な行動のようにも思われるが、ある意味きわめて合理的なようにも感じられる。ふつうは奥さんに怒られるから(多分怖いからというのはありそうではあるけど)浮気をやめているとも考えられるが、別の水槽から見られているだけで浮気をやめるわけである。何らかの理由で去ってしまったつがいのメスがいなくなったので、新しいメスに乗り換えようとした訳で、つがいのメスが隣の水槽にいることが分かったので、新しいメスから離れたとも考えられる。見られていると都合が悪いというのは人間の感情的なものとしては分かりやすいが、最初のつがいとの関係で一度スイッチのようなものが入るとその関係を優先し、それが無い状態だと次のパートナーへ切り替わるのではないかとも考えられる。前のパートナーをもとの水槽に戻すと激しく怒られるなどしたのならもっと面白そうだが、おそらくまたエサをやり巣に誘うのではなかろうか。
もちろんこのことで、魚であっても関係性を大切にするという根拠にはなるとは考えられる。もともと築いた関係性を大切にして、いわゆるカップルや家族などを形成するようなことの起源があるのかもしれない。初めて会う個体や、なわばりなどがある外部の同類などとは違って、自分の領域で仲良くなる個体を優先して守るというような、本能と関係する感情が生まれていったのではなかろうか。これだけですべてを語ることはできないが、見られているだけで浮気をしないというオスの行動は、オスの狡さの証明とはまた別の問題なのではなかろうか。