kosakuの雑念

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何もかみ合っていない議論の典型

2012-10-05 00:02:28 | 日記
朝日新聞 2012年10月4日(木)

オピニオン欄:修士はいい先生の条件か

民主党議員の鈴木寛さんは、教員免許更新制は10年間も間があって、免許を更新してしまえば不適格な教員が10年居続けることになることを問題だとおもっているが、対戦相手(?)の陰山英男さんは、免許更新制のせいで、免許失効を恐れる若者の教員志願者が減ることを懸念しているらしい。
そんな程度で意を翻す教え子たちがいるのも大変なことだ。

鈴木さんは、教員と子供の親との学歴の逆転現象が起きたから、教員は修士が必要なのだという。
笑っちゃうほどわかりやすい話だ。
そして教員免許が簡単に取得できないほうがいいと言っているのに対し、陰山さんは、教員の修士化は、教員になるハードルを上げてしまうから良くないと考えているようだ。

一方は教員のハードルが低すぎると論じ、一方はすでにハードルが高すぎると論じる。
なんだこりゃ?って感じだ。

だいたい、幼稚園から高校までの範囲の教師をひっくるめて教員というのも大雑把すぎるんだけど、とにかく世間一般の考えでは、以前の大分県の教員採用試験の不正があったように、教員というのは、労働時間に比して収入が多い職だと考えられている。
ゆとり教育とか少人数学級だって、どうせ休みと雇用の確保のためだけだろ?って思っている。

その視点からすると陰山さんの話は全然世間の冷たい目が分かってないよなあという気はする。

とはいえ、修士化には反対である。
だって、そうなったら先生になりたくてなったという人しかいなくなってしまう。
そんなのは気持ち悪い。

むかしを美化するつもりはないが、メーカーの営業マンを経て教師になった人とか、数学の研究者になりたかった人とか、いっぱいいたような気がする。

そうした人たちから勉強がどのように役に立つのかとか、自分がどうしてその科目にハマったかとか聞くのは楽しかった。
また何年分かのボーナス全額はたいてすごい望遠鏡買ったとか、仕事と趣味が一体化しているような人もいて、たぶんそういうのが感化する力なんだと思う。

いろんなバックグラウンドを持つ人が教員になれるルートがあればいいと思う。
テストスマートに人を感化する力は無い。